ごえんのお返しでございます【33】

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ごえんのお返しでございます

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【32】

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第四話 きょうだいあい 

 夏休みになって、僕は糸屋「えん」に入り浸っていた。

 父は仕事に行くが、専業主婦の母は、家にいる。学校がないと、ずっと顔を合わせることになり、気まずい。かといって、自分の部屋に引きこもっているのも、不健康だ。

 店の中は狭いし、真夏になった今も、薄暗い。窓は採光と空気の通り道として存在しているが、すりガラスのため、はっきりと見えない。透明度と明るさは比例する。

 裸電球が規則的なリズムで揺れ動くのは、自然の風ではなく、頭が痛くなるほど利いた、エアコンの風のせいだった。

 休み中、僕は大部分を店で過ごした。図書館に行ったり、大輔に誘われて、街に遊びに行くこともあった。

 糸子にもらったバイト代を貯めていたけれど、家にいる時間をなるべく減らそうと思えば、出費はかさむ。

 背に腹は代えられず、もらったポチ袋をそのまま握りしめ、ファミレスやファストフード店に駆け込むこともあった。

 糸子は僕の存在を気にしていなかったけれど、陳列スペースを無理矢理あけて、立ったままで宿題をしている僕のことを、さすがに不憫に思ったらしい。

 椅子と小さな丸いテーブルが、いつの間にか用意されていた。

 糸子をまじまじと見れば、素知らぬ顔で無視してくれる。あらためて礼を言っても、特に反応はないだろう。

 僕は黙って頭を下げて、ありがたく好意を受け取った。その分、毎日店に行けば掃除をする。狭い店だ。一瞬で終わってしまうので、宿題をする時間はたくさんあった。

 計画的に取り組んだ結果、七月中にほとんどが終わってしまったので、図書館で借りた本を読んだりして、自主的に勉強に取り組んだ。

 勉強とはいえ、学校のものではない。仏教をはじめとした宗教関係の本を読んで、執着を手放すための教えを知るためだ。

 自分に絡みついているという黒い糸が気になるのもそうだし、篤久や美希に起こった悲劇は、強い執着の結果だったから。

 もしも誰かが赤い糸を買って、おかしな言動をし始めたときには、役に立てるように。

 まぁ、僕に固執している相手がいったい何者なのかわからないから、自分の身の安全を守ることはできそうもない。

 また、僕自身が誰かに執着することは、きっとこれからもないだろう。そういう性分だ。狂うほどに誰かを好きになるのも、一種の才能なのだと思う。

 本を閉じた瞬間、扉が開いた。

「いらっしゃいま……」

 せー、と言おうとして、そのまま口を噤んだ。立ち上がりかけていたのを、中腰で一度止まり、すとん、と椅子に座り直した。お客さんじゃなかった。

「よう、紡。宿題終わったか?」

「大輔さんと違って僕は計画的なので」

 あっさりと言って会話を打ち切ろうとする僕と、話を続けようとする大輔の攻防戦。彼の来店理由は、僕を心配してじゃない。背中に隠しているつもりらしいが、バレバレである。

「なんだよ紡。冷たいじゃん」

 僕は無反応を貫いた。彼は僕の口添えを頼ろうとしているけれど、無視。

 大輔のお目当ては、店主の糸子だ。確かに絶世の美人かもしれないが、この女に言い寄る大輔の気が知れなかった。

 彼は働いている実家の精肉店の店休日の度に、正確には、休憩時間になる度に、店を訪れる。

 ちなみに糸屋「えん」は年中無休。たまに僕が来るとはいえ不定期だ。完全にひとりでやっている店なのに、この店主はいったい、いつ休んでいるのか。

 そっぽを向いたままでいる僕に、大輔はようやく諦めがついたのか、「よし」と鼻息を荒げた。気合いを入れて、カウンターへと接近する。

 ここ数日はすごすごと帰宅していた。いよいよ覚悟を決めたのか。

 協力するつもりは毛頭ないが、気になってしまう。僕は大輔の行動を、ハラハラと見守った。

 手元の刺繍を刺している布に影が落ちても、糸子は顔を上げなかった。

「あああ、あの、糸子さん」

 名前を呼ばれてはじめて、彼女は大輔の存在を知覚する。不憫なことだが、それは別に大輔に限ったことではない。僕のことだって基本は無視をする。

「あの、その、これ……!」

 差し出したのは、小さなブーケだった。ミニひまわりがメインで、夏らしいトロピカルな色彩に溢れたプレゼントを差し出されて、糸子は「あら」と、微笑んだ。

 対人で、彼女が表情を変えるのも珍しいことだ。普段よりも一層唇を笑み曲げて、目を細めている彼女は、花束を手にした。

「素敵ね。小さくて、可愛らしい」

「あ、あ、えっと、大きいのと迷ったんですが、喜んでもらえて、嬉しいっす。ウッス」

 体育会系丸出しの応答は、さながら美女と野獣を彷彿とさせるやりとりだ。

 迷ったというのは体のいい言い訳で、大きな花束は、基本、客の要望に応えるオーダーメイド。

 花の名前も知らないし、糸子の好みも知るよしもない大輔には、注文のハードルが高かった。

 その点、ミニブーケはすでにできあがっているものの中から選べばよい。

 やれやれと呆れて店主たちを見ていると、再び扉が開いた。今度こそ客だと思って立ち上がったが、やっぱり純粋な客ではなかった。僕は軽く、「いらっしゃい、渚さん」と声をかける。

 派手なギャルメイクの渚は、魚屋の娘で大輔の幼なじみだ。彼がうちの店に来て、糸子に言い寄っていることを、快く思っていない。

 僕に片手を挙げて応じてみせた彼女は、すぐに目を吊り上げて、デレデレしている大輔の首根っこを掴んだ。

「ぐぇ!」

 この光景を見るのも、もはや何度目か。いい加減に学習した方がいい。渚の気配を感じたら、糸子から離れて彼女の相手をする。これが渚の怒りを回避する、唯一にして絶対の王道だと、僕ですらわかっているのに。

 ひょっとして、わざとなのか?

「だーいーすーけー。もう昼休み終わって、おばさんたち困ってるよ」

「げ」

 家族経営、いずれは店主になることが決まっているとはいえ、今の彼は、親から給料をもらって生活している身である。名残惜しそうに糸子に頭を下げて、大輔は慌てて帰って行った。

 店内に残ったのは僕らと、渚。

「渚さんは、帰らなくていいの?」

 彼女は首を横に振る。

「あたしは、たまに手伝ってるだけだから」

 高校卒業後、すぐに実家の肉屋に就職した大輔とは違い、渚は栄養士を目指して大学で学んでいる。看板娘として店先に立つことはあれど、厳密にはアルバイトですらないから、時間に融通が利く。

 だからといって、この店にいても面白いことなんて、ひとつもないはずだが。

 僕が渚の動向を観察していると、彼女は突然、もじもじし始めた。僕はとりあえず、思い浮かんだことを言ってみた。

「渚さん。何か買うものでもあるの?」

 と。ここは商いをしている場所なので、当たり前の問いかけだ。

 すると、彼女は面白いくらいに反応をみせた。肩を大きく跳ね、恐る恐る、僕の顔を覗き込む。不安そうな表情に、僕はようやく合点がいった。

「赤い糸、探してる?」

「なっ……」

 絶句したのは、図星だからだ。

 黒島糸子が営む「えん」にまつわる噂話は、篤久との一件を吐露するにあたって、ふたりには、ひととおりのことを話していた。

 糸を買うときに、ちょうど五円のお釣りが出るように代金を支払う。赤い糸は縁を結び、白い糸は縁を切る。

 もちろん、ただの都市伝説だ。けれど、人間の思い込みの力というのは、その後の偶然をすべて、「糸のおかげだ」と結びつける。

 糸子曰く、「信念」によって、人は結ばれる。別離もまたしかり。

 僕は棚の中を漁り、赤い糸の束を取り出した。

「はい」

 差し出す僕に、渚は「まだ買うって言ってないし!」と、無駄な抵抗を始める。

 他人の色恋沙汰に首を突っ込んでも、不愉快で厄介なことにしかならない。

 それでも彼女に赤い糸を押しつけたのは、渚ならば、悪いようにはしないと思ったからだ。

「大輔さんには、もっと素直なアプローチじゃないと、気づいてもらえないと思うよ。あの人、ば……単純だし」

 馬鹿、と言いかけてさすがにまずいと言い直したが、渚にはお見通しだろう。馬鹿という言葉以上に、聞きとがめるべき言葉があったせいで、彼女は大きな声をあげた。後ろめたい、何か隠しているのが明らかである。

「べ、別に、大輔のことなんて……!」

 じっと見つめる。僕の視線に「うっ」と言葉を詰まらせた渚は、最終的には息を吐き出すとともに、自分自身の気持ちを認めた。

 だいたい、二十歳を過ぎた男女が、わけもなくベタベタしているのは、幼なじみといっても不自然だ。

 最初にこの店で会ったときのことを思い出して、うんうんと頷いている僕に、真っ赤になった渚が、「早く売るなら売りなさいよ!」と、声を荒げた。

 恋するギャルという生き物は、恐ろしい。自分の心のままに、吠え立てるのだから。

 僕は彼女に糸を渡した。こう付け加えるのを忘れずに。

「これだけは忘れないで。この糸は、お守りであって、万能な魔法の道具じゃない。渚さんが勇気を出して、自分の力で幸せになることを、僕は願っているからね」

 赤い糸の万能感に溺れると、篤久のようなことになる。

 今は回復しつつあるとはいえ、まだショックが抜けきらず、病院通いをしている篤久のことを思ったのか、彼女は複雑な顔をで、こくりと頷いた。

 そして糸をカウンターへと持って行く。彼女にとっては恋敵の黒髪の美女が、待ち構えている。

 最初は睨みつけていた渚だったが、三秒も目を合わせていられなかった。美貌に気圧され、黙って下を向く。

「これをください」と言う声は、ぼそぼそと聞き取れない。

 気持ちはよくわかる。糸子は得体の知れない女だ。黒目がちな瞳はすべてを見透かし、自分の矮小さを嫌というほど思い知らされる。彼女に恐怖を覚えずに、むしろ恋心を抱くことのできる大輔は、よほどの大物なのか。それとも鈍感なのか。おそらく両方だ。

「ごえんのお返しでございます」

 決まり文句を述べる彼女の声と同時に、窓につるした風鈴が、シャラリと音を立てた。涼しげな音と音が重なって、僕はどこか、背筋が寒くなるのを覚えたのだった。

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