<<はじめから読む!
<17話
『だよなあ。ホモなんてキモいよな。可哀想に』
そう言われて、要は困ったように笑うほかなかった。陽介に悪いと思ったが、東京でいくら噂になろうとも、彼へのダメージは少ない。それに、同級生たちも、目まぐるしく動く都会の生活の中で、要のことなんて、すぐに忘れるだろう。
「俺は、甘かったんだ」
結局、彼らは忘れてはくれなかった。当時は今ほど、SNSが発達しているわけではなかったから、メールによってじわじわと、陽介がゲイだという噂が広まっていった。嫌がる相手に無理強いするような鬼畜だと、尾ひれをつけたのは、要自身だ。そして、とうとう陽介自身の耳に入ることになった。
今まで黙っていた俊平は、さっと墓石を横目で確認して、「でも、それが原因で自殺したとか、そういうわけじゃ、ないでしょう?」と、震える声で問う。確かに、陽介が死んだのはその一件から、三年後のことだ。
「噂の原因が俺だということがばれるのが怖くて、電話に出なかった。メールも返さなかった。それでも陽介は、何度も根気よく連絡を寄越した。それも、ある日を境に、ぱったり届かなくなった」
てっきり、諦めたのだと思っていた。大学四年ももう終わりに差し掛かり、大学院の入試も終わっていた。数学の研究者として、生計を立てられるかどうかはわからなかったが、自分なりに頑張ってみよう。そう決意していた。順風満帆な未来しか、要は見ていなかった。
「卒業式の日にやってきた両親に、俺は、陽介が死んだということを、聞かされた」
罪悪感を残していた要は、母親に聞いたのだ。陽介はどうしているのか、と。実家に帰省したときも、陽介の元に遊びに行かなくなった息子を見て、母は仲違いしたのだと解釈していた。
彼女は、それをよいことだと思っていた。自慢の息子は東大生。高卒で働いている友人はアンバランスだ。在学中から、母は陽介との付き合いに介入しようとしていた。
だから、一月前に起こった事故のことを、彼女は要に伝えなかった。故意にか、単に忘れ去っていたのかは、いまだにわからない。
二月の寒い、吹雪で前が見えない日だった。スリップして、ガードレールに激突した。エンジンに引火し、爆発した。
「即死だった、と」
要は真っ直ぐに、墓石に目を向けた。この中に陽介は、いるようで、いない。いないようで、いる。骨になってしまった親友は、要の懺悔を聞いているのか、いないのか。
「そうか……だから先生は、男だからって、俺の気持ちをないがしろにしなかったんだ……」
俊平の顔を見ず、要は頷いた。男相手なんて気持ち悪いから無理だ、と振ることだけはしたくなかった。そういう差別意識が、陽介を傷つけたのだから。
「俺は、謝ることができなかった!」
「せんせ、い……」
謝罪するチャンスは、いくらでもあった。電話がかかってきたとき、他愛のないメールが来たとき。だが、要は自らの保身に走った。そして永久に、陽介は要の手の届かないところへ行ってしまった。
「噂の原因を……俺のことを、彼はどれだけ恨んだだろう」
要が大学院に行かず、地元に戻ってきたのは、罪滅ぼしのつもりであった。陽介の人生は絶たれたのに、自分には明るい未来が待っているなんて、許せなかった。
大学卒業後の二年間は、何も手につかずに引きこもっていた。無理矢理外に連れ出したのは、北見校長だった。陽介の祥月命日の寒い日に、北見は彼の墓に、要を引きずって行った。
彼の墓前で、要はようやく、自分が何をすべきなのかを理解した。生きている限り、この土地を離れずに、陽介の墓を守っていこうと誓った。北見は要の声を聞き届け、それから、「うちで教師として働かないか?」と誘った。
生きていくためには、働かなければならない。要は北見の勧誘を受け入れて、数学教師として働き始めた。北見は、要に居場所をくれた。
「でも、先生のことを好きだった人なんでしょう? そんな人が、先生のことを恨んだりなんて……」
カッとなって、要は俊平の襟首を掴んだ。自分よりも背の高い男に、それはさして効果はなかった。
「……だったら、証拠を見せてみろ。陽介が、俺を恨んでいないという証拠を!」
低く振り絞った声に、俊平は黙りこくった。理系の世界では、実験を通じて証明することがすべてだ。仮定を定理へと変えるには、証拠がなければいけない。
しかし、もうすでに検証する相手はいない。当時の未読メールが溜まった携帯電話は、要の手元にあるものの、壊れてしまっていて、中身を確認することはできない。
ぽつりと雨粒が、二人の間に落ちていく。糸を引くような細い霧雨は、世界の色を変えていく。要の眼鏡は、次第に役に立たなくなり、一度取り払った。
絶句したまま立ち尽くす俊平を、裸眼のまま睨みつけて、要は逃げた。
>19話
コメント