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<第一話⑤
水曜日。
私は毎日がお休みだが、今日は不動産屋の陽太もお休みの日だ。
「いらっしゃい」
出迎えた私を上から下までザっと見た彼の頬は、ほんの少し赤かった。今日は暖かい日だと思ったけれど、車をずいぶんと離れたところに泊めたのかな。近くのパーキングは教えてあったのに。
「あ、これ」
手土産はミスタードーナツだった。
「わ、めっちゃ嬉しい! ありがと! 向こうでも食べないことはないんだけどさ、やっぱこっちの値段知ってると躊躇しちゃうよね。一個の値段で二個食べられるもん……」
アラサー女性で、朝食や昼食代わりならまだしもおやつの時間にドーナツを二個食べる食いしん坊だと思われてしまうことに、はたと気がついた。見れば陽太は、買ってきたドーナツの個数を指折り数えている。うわあ、恥ずかしい!
「陽太はドーナツどれが好き? 私はね、やっぱりシンプルだけど、フレンチクルーラーかな。空気食べてるみたいでいくらでも食べられちゃうよね」
ああ、馬鹿! 食い意地が張っている人間の考え方を披露してしまった。芸人のカロリーゼロ理論と考え方が一緒だ。
いつまでも玄関先でドーナツトークを繰り広げている場合じゃない。私は陽太を家に通した。
「オジャマシマス」
明らかに緊張した様子の陽太だが、女ひとり暮らしの家じゃないんだから、そんなに硬くなる必要はない。すでに話を通してあった母が顔を出した。びくーっと肩を大きく跳ね上げた陽太は、ぴしりと気をつけの姿勢を取って、最敬礼の角度でぺこぺことお辞儀をする。
「は、初めまして! ぼぼぼ、僕、佐藤といいます。あまみ、ま、まひるさんとは高校の同級生で……」
どうどう、落ち着け落ち着け。
そんな風に言いたくなる焦りっぷりに、母も笑っている。
「あら、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。まひるとは仲がよかったのかしら? 大人になってから家に遊びに来るくらいですものね」
「そそそ、それはどうでしょうか……」
ちらりこちらを見てくる陽太に助け船を出す。
「ちょっと、お母さん。そんなんじゃないったら。私と陽太は友達。それ以上でも以下でもないの」
きっぱりと宣言をする。姉ほどではないが、母親も娘の浮いた話を聞きたがる悪癖がある。ぴしゃりと否定をしておいたから、これ以上からかってくることはない。陽太に視線を戻すと、なぜか彼は意気消沈していた。
気を取り直してドーナツの箱を母に渡し、自分たちが食べる分を選ぶ。フレンチクルーラーと、あとはダブルチョコレート。陽太はポンデリング一個だけで、もう開き直って食いしん坊キャラでいようと決めた。我慢しすぎるよりマシだ。
中三の段階で料理の道を志し、高校、大学と食物や栄養を学び、就職先でも毎日が調理実習みたいな仕事をしていたんだから、食べるのが好きに決まっている。
今さら、陽太の前で取り繕っても、ねぇ?
母がコーヒーを淹れてもってきてくれるというので甘えて、私は陽太と自室に向かった。
高校の時と寸分変わらない、だけどあのときよりもすっきりと整理整頓されている部屋。主がここにいなかった年月が長ければ長いほど、私物はなくなっていく。また物があふれる前に独り立ちせねば、とこれからやる作戦会議への気合はじゅうぶんだ。
「よし、やりますか!」
ぼんやりと部屋を見回して、なぜか深呼吸をしている陽太に声をかけると、やや遅れて、「あ、うん」と、返事があった。
小さなテーブルの中央に、ドーナツの皿を置く。まだ新しいノートを取り出し、今日の議題を発表する。
「鉄平さんをどうにかして説得しよう~」
「わー」
棒読みの歓声と拍手をありがとう。陽太、そういうキャラだったっけ? やっぱり就職すると、変わるんだなぁ。
咳払いをして、真面目に開始する。
「先週は鉄平さんに事業計画書を見せたわけですが、首を縦に振ってはいただけませんでした」
「うん」
バーが閉まっている昼の間、間借りして店をやるという話は、私と陽太は乗り気なのに、肝心の店主が断固として首を縦に振らない。
最初に話をした日は、完全に思いつきだったし、とりあえず手を挙げてみただけのように思われたかもしれない。本気だと示すため、食品衛生責任者の講習にも申し込んだし、防火管理責任者の方も行く予定だ。調理師免許を持っているというアピールもした。
カフェをやるつもりだが、コーヒーや紅茶は齧っていない。こちらも勉強をしつつ、詳しい人に仕入れを手伝ってもらう。パンも自分で焼くのは大変だ。幸い、高校のときの友人がパン屋の娘で、現在もそこで働いている。実際にオープンしたら注文させてほしいと頼み、親御さんからも了承を得た。
「なのに、肝心の計画が全然進まないのよね」
ぺらり、突き返された事業計画書を振る。婚約破棄の慰謝料(とは、彼らには言っていない)という自己資本があるし、食器などはバーのものをありがたく使わせてもらう。「月虹」が入る前は居抜き物件で、カウンターの中にはそこそこ整った調理設備が存在する。店をひとりで回すのは大変だが、対面式キッチンになっているので、店員がひとりもいない……という事態も発生しないから、どうにかなる。
厳しい顔をしたマスターは、私が作った計画書を見て、ぴしゃりと言った。
『これでは、店の売りがまったく伝わらない』
でかでかとしたフォントで印字した、事業計画書のトップにある店のコンセプトを指でなぞり、首を横に振る彼は、経営者の顔をしていた。今回はやらないけれど、銀行に融資を受けるときってたぶん、こんな感じなんだろう。甘いところを詰められる、という。
「『居心地のいいカフェ』なんて、なんにでも使えそうでキャッチコピーにはならないよね」
はー、と溜息をつく。
カフェにもいろいろある。有名店の元シェフやパティシエがオーナーを務める、行列が絶えない店。コーヒーあるいは紅茶にこだわりを持つ店。ゴージャスな非日常を楽しめる店。古民家を改造したほっこりする店。とにかく「映え」を意識した、可愛い食べ物と調度品に彩られた店。
東京にいたときは、カフェでよくおしゃべりをしたことを思い出す。大学のサークル仲間、バイト先の先輩、会社の同僚、またはひとりでも。そして婚約者だった繁明と、親友だった小雪。
特に小雪とは、カフェで何時間も過ごした。おしゃべりな私が、ただひたすら話を聞き、慰める役に徹するなんて、彼女の前だけだった。うるうるとした目で「どうしよう」「私が悪いの」と言われると、弱かった。今なら、「そうだね。あんたが悪いよね」と冷たく言い放つことができるのに。
彼女と行ったのは、スタバやドトール、どこにでも(函館にはあんまりたくさんはないけれど)あるチェーンの店で、そこで飲んだはずのカフェラテの味は、覚えていない。冷めた温度ばかりが記憶に残っている。
「雨宮さん?」
あの頃は嫌なことであっても、小雪のことを友達だと思っていたから、楽しいことの方が多かったよな~、と感慨に浸っていたら、心配させてしまった。苦笑して、持っていた計画書をビリビリに破く。一度ボツになったものを、後生大事にとっておく意味はない。
「ねぇ、陽太が思う居心地のいいカフェってどんな店?」
具体性のあるものに落とし込んでいこうと、陽太に尋ねてみる。同じ年でも男と女、着眼点は異なる。どっちがいい悪いとかじゃなくて、誰をメインターゲットにするかで話は変わってくる。
「そうだなあ……俺は」
一冊のノートを挟んで、向かい合っている。ペンを回して考えている陽太を見ると、なんだか高校生に戻ったみたいな錯覚をする。持っているのがシャープペンシルじゃなくて、ボールペンなのが大人になった証だ。
「俺は、仕事ができるカフェかな。長時間いても苦にならない椅子、頭がしゃきっとするコーヒー。それから」
彼は私を見て、ニッ、と笑った。昔は眼鏡と前髪で隠されていたから、表情の変化もわからなかったけれど、陽太はずいぶんと、ころころ表情が変わる。男の人には珍しいタイプのような気がする。
指を一本立て、
「食事が美味しい店!」
と、宣言した。
「やっぱり料理が美味いのが一番だよ。美味い昼飯は、午後からの活力になる」
陽太の言葉は、私に勇気をくれた。美味しい料理なら、自信がある。自分で食べても美味しいけれど、誰かに食べさせたいと思うとき、料理は不思議なもので、もっともっと美味しくなる。
私の店が、陽太やいろんな人が元気になれるような場所になれば。
「そうだね。私にはやっぱり、料理だ」
店の売り、というのは私の売り、ということだ。コーヒーや紅茶、ケーキにこだわったところで、それは私らしい店じゃない。マスターが言いたかったのは、そういうことかもしれない。原点に立ち返ってみれば、私は自分の料理をいろんな人に食べて、できれば褒めてもらいたい、という単純極まりない承認欲求からスタートしている。
「そしたら、余計なものは全部削ぎ落そう。売りはランチ。いくつも用意することはできないから、日替わりでワンプレート。洗い物が減るから」
「いいね。洋食だけじゃなくて、和食もやってほしいな」
「もちろん」
美味しいランチで午後の元気を生み出す店……うん、最初の案よりもずっといい。私らしいし、明確に「元気になりたい!」という人が来てくれそうだ。
でも、まだ物足りない気がする。料理以外の、何か特別なこと。自分の強みってなんだろう。
「しっかし兄貴、いつもはあんなに頑固じゃないんだけどなあ」
ひとまず固まってきたところで、母が持ってきたコーヒーとともにドーナツを食べ、陽太がぼやいた。
行儀のよくない食べ方してもいい? と言うから、いったいどんな食べ方を、と固唾を飲んで見守っていたら、ボールを一個ちぎって、ブラックコーヒーにつけて食べた。オールドファッションならたまにやるけど、ポンデリングでもやる人がいるんだな、と思うだけだった。許容範囲だ。
「そうなの?」
「うん。ほら、俺と兄貴、ちょっと年が離れてるからさ。俺にはそこそこ甘かったんだけど」
親が陽太を責めるシーンでも、お兄さんは庇ってくれたらしい。大人になってからも同じなら、ずいぶんと仲のいい兄弟だ。雨宮姉妹とはだいぶ違う。
「なんか、他にも懐柔できる手段があればいいんだけどなあ」
「うーん」
実際に料理を食べてもらうのが一番だが、口に合わないかもしれない。出て行ったという奥さんは、相当料理上手だったのだろう。店のフードを一手に任せるくらいだったのだから。調理師免許を持った、半ばプロのような私よりも、特別な愛情のこもった奥さんの手料理の方が、マスターには美味しいのは間違いない。
料理の腕には自信があるけれど、「愛」の話になると、途端にしょぼんと気持ちが萎えていった。
しばらく、陽太から兄の好物についての聞き取りをしてみたが、やはり「義姉さんのつくった~」という枕詞がつく。駄目だ、胃袋から落とすのは無理そう。
そんなこんなで、時刻は午後六時。そろそろ夕食の支度をしなければならない時間だ。何せ今の私は家事手伝いという身分なのだから。
「晩ご飯つくるけど、食べてく? 今日、お父さんは飲み会だって言ってたから」
「食べる!」
セリフに被せるように勢いよく首を縦に振る。父もいないし、簡単なものしか作る予定がなかったので、そんなに期待した目を向けられても困る……。
自室からキッチンに移動して、趣味の刺し子をしている母に、「陽太もご飯食べてくって」と告げた。手を止めて眼鏡を外した母は、
「やだ。あなた、今日適当にシチューにするって言ってたわよね? そんな適当でいいの?」
と、眉を顰めた。
「なんでもいいって言質は取ってあるから、大丈夫だけど」
今日の予定は、クリームシチューだ。付け合わせにサラダ。パンは店を始めたら発注する予定の、「森のベーカリー」で買ってきたバターロール。ふわっとしていて、スーパーで買うものよりもバターの風味が強く、断然美味しい。パンはちょっとしたごちそうだが、シチューはホワイトソースなんて作る気もなく、市販のルーを使う。
「ほんとに~? 何か買ってこようか?」
「いいよ。シチューが適当な分、サラダのドレッシング自分でつくるし」
それでは埋め合わせができないほどの手抜き料理なわけだが。料理を仕事にしようとしているとはいえ、家でも完璧な料理をするのは億劫だ。この世にはレトルト、合わせ調味料、ルーなどなど、便利なものがたくさんある。使わなきゃもったいない。
そうやって出来上がったシチューを前に、陽太は大げさに感動していた。
「にんじんが花の形だ……!」
甥っ子の小さい頃と同じセリフだったので、思わず笑う。ツボに入ってなかなか笑いが止まらない私を不思議そうな目で見て、「いただきまーす」と、スプーンで掬おうとした彼は、「あっ!」と叫んだ。
何かまずいものでも入っていただろうか。家族以外も食べるんだから、細心の注意を払ったはずなのに。
「ど、どうしたの?」
陽太はうずうずと身体を動かした。その顔は、「いいこと思いついた!」の顔である。
「ばあちゃんの、クリームシチュー!」
……いや、自分の中だけで完結されましても。
>第一話⑦


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