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<第一話⑦
水曜日、バー「月虹」の開店前に集合した。メンバーは三人、私と陽太と、それからマスターの鉄平さんだ。
彼は「何度来たって駄目なもんは駄目だぞ」とでも言いたそうな無表情のままだった。兄の隣で、陽太はハラハラと、「本当に間違ってないよな?」と、不安げな目をこちらに向けてくる。
私は陽太に向かって大きく頷いた。それから、家で仕込んできた鍋を火にかける。途端に店に広がるのは、クリームシチューの匂い。
「これは……」
マスターの目が見開かれる。
人間の記憶の中で、最後まで残るのは視覚情報でもなく、音声情報でもなく、匂いなのだという。ばあちゃんのクリームシチューは美味しかった、という記憶はあっても、それがいったいどんな味なのか思い出せずとも、匂いで確信したに違いない。
「ばあちゃんのに、似ている」と。
じゅうぶんに温まったところで、皿に盛りつけた。ここでうっかりしていたことに、ご飯を持ってくるのを忘れたことに気づく。せっかくなら、白いご飯と一緒に食べてほしかった……!
悔しい思いをしつつも、顔には出さなかった。こういうのは自信満々に提供した者勝ちなのだ。
「どうぞ、召し上がれ」
マスターは皿と私の顔を交互に見て、それから陽太に目を向けた。弟らしい、小憎らしい顔でにやっと笑うと、陽太は兄の背中をバシバシと叩いた。お前か、そうだよ俺だよ、のやり取りが無音声でなされているのが、赤の他人の私にもわかる。
思うに、兄弟ふたりとも無口だと、話す以外のコミュニケーションが頻繁に行われ、その結果「察する」という力が身に着くのだろうと思う。陽太は今はマシだけど、高校時代は本当に無口だったし、マスターは客商売をしているとは思えないくらい、輪をかけて寡黙な人だ。
スプーンを手にして、マスターがシチューを掬うのを、固唾を飲んで見守る。これで全然違うとなれば、美しい思い出を汚されたと、もう二度と話を聞いてもらえなくなるかもしれない。自然と両手を組んで、祈るような気持ちで目を閉じた。
「……うまい」
その一言を聞くまでが、永遠かのように長かった!
目を開けた私に、マスターはぎこちない微笑みを向けていた。皿を指さして、「記憶の中のシチューによく似ている……でも、どうやって?」と、尋ねてくる。
幼少期の彼が、母親に何度ねだっても出てくることはなかった料理だ。もうとっくに諦めていた。それが今、鮮やかに蘇ったのは、一度もそのシチューを食べたことのない、私によるものだった。
「答えはね、豚汁です。おばあちゃんは、たくさん豚汁を作った次の日に、シチューのルーを入れて出したんです」
シチューのことは覚えていても、その前日のメニューについて、マスターは記憶にない。だから確認することはできないが、目の前の料理の味が証明している。
「陽太から聞きました。おばあちゃんのクリームシチューは、ちょっと色が濃くて、おじいちゃんは七味をかけて食べていた、と。最初は蕎麦つゆかも、と思ったんですけどね。でも、それだけならシチューには普通は入っていない何らかの食材は、入らないでしょう?」
彼が掬ったスプーンの上には、ささがきのごぼう。それから大根に、豆腐。
私はこのシチューのために、陽太たちの両親に尋ね、祖母の作った豚汁に近いものを研究した。
おばあちゃんの豚汁は、北海道の家庭ではオーソドックスだと思う。豚肉はもちろん、野菜は根菜をたっぷりと。じゃがいもとさつまいもを両方使って、ボリューム満点。だからこそ、一回では食べきることができない。姉の家でカレーのリメイクの相談に乗っているときに、思いついたのだ。
洋のカレーを和のカレーうどんにアレンジできるのなら、和を洋にすることだってできる、と。蕎麦屋のカレーが美味しいのと同様、豚や野菜から出た出汁、それから味噌がうまい具合に隠し味となって、確かにそれは、新しくも懐かしい味だった。
「アレンジメニューだから、おばあちゃんは『レシピというほどのものはない』なんて言ってたんですね」
「……忙しかっただろうからな、ばあちゃんも。料理も手抜きになるか」
祖母がわざわざこしらえた料理ではなかったことを知り、マスターは少し残念そうだった。慣れない子どもの世話で疲れていたに違いない。料理も手抜きになる。仕方のないことだ。自分に言い聞かせている彼に、私は「何言ってんですか!」と、腰に手を当ててふんぞり返る。
「誰が手抜き料理だなんて言いました?」
「え、でも……手抜きじゃん」
「陽太! あんたまでそんなことを……」
普通科だったとはいえ、調理科が併設された高校に通っていたのに、料理に対する造詣が浅すぎて悲しくなる。よよよ、とひとしきり泣き真似をしてやって、「ご、ごめんなさい」を引き出した。私たちの茶番を、目を瞬かせて眺めていたマスターに、こほんと咳払いひとつして、私は「いいですか?」と、話し始めた。
これは私の持論だけではない。「あなたたちのお母さんから聞いて、間違いないと思います」と、前置きして。
「アレンジは、決して手抜きなんかじゃありません。もちろん、手軽にできて便利という事情もありますが、そこには愛があります」
「愛……」
ぽつりと零したのは、マスターと陽太、同時であった。ふたりは顔を見合わせている。
「お母さん、洋食の方が得意だったんでしょう? ハンバーグとか、コロッケとか。コロッケを手作りできるなんて、すごいことですよ。手間暇がかかりますからね、あれは」
調理科で学んだ私ですら、「あれは一大仕事だよね」と、あまりやりたいとは思えないのだ。付け合わせのキャベツを千切りにすることすら億劫なのだ。それを作ることのできるお母さん、偉大である。ちなみに我が家は、コロッケは冷凍コーナーにある「揚げるだけ」のを買ってくる派だ。
佐藤兄弟の頭の中には、母が作ってくれた料理の数々が浮かんでいることだろう。あれが美味しかったとか、こっちも捨てがたいとか、たぶんそんなことを考えている。
「小さいときのマスターは、おばあちゃんの家に預けられて、きっとお母さんのつくるご飯が恋しかったんじゃないでしょうか?」
ハッとした顔になる。
子どもの好きな洋食メニューを得意とする母親の元から、和食メインの祖母の家へ。弟が生まれるという喜び以上に、幼い子どもにはストレスだったに違いない。
「ハンバーグが食べたい、グラタンが食べたい。そんな風に我儘を言ったかもしれません」
三十年近く前のことで、本人の記憶にはないだろう。けれど、目を閉じれば、ありありと見える気がするのだ。
今目の前にいるマスターをちっちゃくして、髭を取って、髪も短いかな? そんな男の子が、おばあちゃんのご飯を前にして、「お母さんのご飯が食べたい!」と、べそをかく姿が。
「豚汁をそのまま出すことだってできたんです。でも、おばあちゃんはそうしなかった。作り慣れていない洋食を求める孫のために、いろいろ考えた結果が、この豚汁シチューだったんです」
海外では、毎日同じメニューが並ぶのが当たり前だったりする。ランチは食品保存のためのチャック袋に、食パンで作ったハムサンドひとつだけ。そう考えると、毎日違う献立を作り、お弁当や給食とのかぶりも気にしている日本の主婦は、大変だ。
姉は料理が苦手だけど、カレーをそのままじゃなくて、飽きずに食べてもらえる方法で出そうとしていた。
「同じものを続けて出したくない。食べ慣れた洋食で、少しでも寂しさを紛らわせてあげたい。私は、おばあさんのマスターへの……鉄平さんへの、確かな愛情の表れだと思います。アレンジ料理は、確かに簡単ですけど、実際は、調理の前にあれこれいろんなアイディアを出して考えているから、同じだけ時間はかかってるんです」
手間暇をかけなければ愛情とは呼ばない、なんていうのは時代錯誤だ。美味しいご飯を手早く、お腹を空かせた家族に食べさせたい。それだって大きな愛情によるものだ。
私が勤めていた会社は、冷凍弁当やお惣菜をつくる会社だ。かんたん、おいしい、はやいだけじゃなくて、「やさしい」もコンセプトに入っていた。
私はそれを、体に「やさしい」=ヘルシーだと解釈していたけれど、実は家族や自分自身への愛も、その言葉に含まれていたのだな、と今さら気がついた。
マスターは、黙ってシチューを食べた。ゆっくりと味わって、そしてガツガツと、子どもが大好物を前にしたときと同じように。
すっかり空っぽになった皿を持って、彼は「おかわり」と言った。私の大好きな言葉だ。
「はーい」
「あ、兄貴ばっかりずるい! 雨宮さん、俺にも」
「はいはい。たくさんありますからねー」
カレーやシチューもそうだけど、大きな寸胴鍋で作った方が美味しい料理というのは確実に存在する。豚汁はその代表格だ。町内会のイベントで振る舞われる豚汁の、なんと美味しいことか。そんなわけで、作りすぎてしまったのである。
兄弟ふたりは、競うように食べた。十代の高校生男子か!? というくらい、よく食べた。
ふたり姉妹の私の家では見たことのない光景に、思わず声を上げて笑った。きょとんとした目で見てくる兄弟は、第一印象とは違って、そっくりであった。
>第一話⑨


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