ごえんのお返しでございます【2】

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ごえんのお返しでございます

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 糸屋って知ってるか?

 駅までの道のりをゆっくりと歩きながら、篤久の話を聞いた。

「糸屋?」

 どんな店なのか想像ができなかった。篤久のことだから、大盛りサービスの充実したラーメン屋か。

 いいや、それなら美希は無関係。僕の背中に痛烈なダメージを与える必要はない。

 ならば、彼女を誘いたい店か? 

 僕の脳内では、いかにも女子が「カワイー」と写真を撮りまくるだろう、ファンシーなカフェしか浮かばなかった。経験不足で、しかも想像力が貧困だ。

 女子が集団で訪れる店への偵察は、単独だとキツいのは理解する。だが、男ふたりで行ったところで、場違い感は変わらない。むしろ、羞恥心が二倍になるだけだ。

 さすがに断ろうかと思ったが、どうやら篤久の言う糸屋は、僕の脳内にある店とはまるで異なるものであるらしい。

 市内でも、デートに向いている飲食店やカラオケなどの商業施設が集まっているのは、学校の最寄りバス停からバスに揺られて十五分の商業地区。

 しかし、糸屋があるのは学校から徒歩で行ける――僕らは家から一番近い高校を選んで受験したので、小さい頃からしょっちゅう通っている、商店街だった。

 東京のなんとか銀座みたいに、テレビの取材が入ったり、観光スポットになる場所じゃない。僕がもっと小さかったころよりも、ずいぶんとシャッターが下りたままの店が多くなった。

 閉店した店舗を、格安で貸し出す事業も始まっているようで、糸屋はそういう経緯でオープンしたばかりの店なのかもしれない。若者が都会に流出するのを防ぐ目的もあり、そういえば先日も、手作りアクセサリーを売る店がオープンしていた。

 好きな子へのプレゼントを買いたいのか、と問えば、ちょっと違うと言う。

「糸屋ってさ、噂があんだよ」

「噂、ねぇ」

 商店街の隅の隅、住宅地との境目にあるその店は、一見するとただの古民家だった。看板も何もなく、引き戸の出入り口があるだけだ。

 糸屋は、その名前の通り、糸や紐、リボンなどを販売している店だった。

「手芸品店?」

 というわけでもないそうだ。針や布はなく、本当に「糸」やそれに類するもの全般しか扱っていない、なんともニッチな店である。

 金持ちの道楽でやっている店なのか、はたまたこだわりのセレクト品や珍しい輸入の品物などを扱っている、知る人ぞ知る名店なのか。

 贈り物にしては人を選ぶし、元体育会系男子である篤久が、用事のある店ではない。だからこそ、「噂」について入店前に聞くべきだろう。

 篤久は、「こないだ聞いたんだけどさ」と切り出した。

「この店、縁結びや縁切りができるらしいぜ」

 思わず、まじまじと彼の顔を見つめる。

 野球に打ち込んでいた篤久は、それにふさわしい体格をしている。運動とは無縁の僕とは比べようもなくたくましい彼が、恥ずかしそうに頬を染めている。

色が白いのならまだ格好もつくだろうが、篤久は地黒だし、長年の屋外活動の結果、ずっと日焼けしている。可愛いとはとても言えない。

 年相応か、それ以上にごつくて、夢見る乙女という風貌ではない篤久が、「縁結びのおまじない」について話をするのは、ギャグでしかなかった。

 思わず笑いそうになって、口元を押さえる。手の内側では、唇が変な形に歪んでいる。

「赤い糸を買って、五円のおつりをもらえばいいらしいぜ」

「ふーん」

 子どもの頃から遊んでいる商店街だが、そんな噂話は初めて聞いた。店の存在すら知らなかったから、当たり前だが。

「逆に縁切りしたいときは、白い糸なんだって」

 そして篤久は、赤い糸を買いに来た。

 縁を結びたい相手は、隣の席の濱屋美希。

 入学直後の休憩時間、うちの教室の前には人だかりができていた。それも男ばかりでむさくるしい、まさしく黒山。

 彼らのお目当ては、美希だった。彼女は、こんな片田舎にいるのが信じられないほどの美少女だった。僕は詳しくないけれど、なんとか坂のなんとかちゃんに似ているとか、それ以上だとか。

 確かに、美希はパッと目を引いた。すらりと手足が長くて、顔が小さい。目が大きくて鼻が小さくて、唇は何か塗っているのか、ふっくらつやつやしている。睫毛は長くてくるんと上向きで、声もよく通り、きれいだ。

 ……こんな風に詳しく思い浮かべることができるくらい、実のところ、僕も美希の美貌には、心惹かれている。

 同じクラスに、いい匂いのする美少女がいたら、つい見てしまうのは、男のさがだろう。

 学校中の噂の的になる美少女の隣の席に座ることになったラッキーマンが、茂木もぎ篤久だった。前後左右にそれから斜め。八人しかいない、選ばれしポジションだ。

 中でも隣は、特別だ。逆サイドは女子が座っているから、彼女の真横にいる男は、敦久だけ。

 まあ、席替えまでの話だが。

「隣なんだから、そんなうさんくさい話に縋らなくても、自分からもっと話しかければいいだろ」

 こうやって話をしている間も、来店する客はひとりもいない。扉は閉ざされたままだし、店主が出てくることもない。だいぶ大きな声で喋っているのに。本当に人が働いているのかどうかも、怪しいくらいの静けさだった。

 いつの世の中も、おまじないだとか占いだとか、そういうのが好きな人種は多い。特に老いも若きも女性。

 本当にこの店が噂になるくらいの縁結びスポットだとしたら、もっと来客があるはずだ。篤久はきっと、からかわれたのだ。

「そんなこと、できるわけねぇだろ」

 美希と話すことさえできれば、篤久に望みがなくはない。

 親友のひいき目と言われればそれまでだが、彼はいい感じにマッチョだし、明るいし、目も当てられないブ男じゃない。ちょっと頭が悪いのと、いろいろガサツなのが、玉にキズ。

「ああ……ナイトたちね」

 話すことができれば、という大前提をクリアできないのは、がっちりと美希をガードする連中がいるせいだった。席が離れているくせに、チャイムが鳴ると同時に、美希の方にやってきて、次のチャイムまでべったりの連中だ。

 彼らが守るお姫様に、おいそれと話しかけようとすれば、睨まれる。正当な用事があったとしても、嫌な顔をされる。美希本人は、他の男子に話しかけられることも、それをガードする二人組も気にしていない様子だった。

「まあ、一軍男子に僕らがかなわないっていうのは、同意するけどさ」

「だろ?」

 言いながら、篤久は意を決して扉に手をかけた。呼び鈴のない住宅に、不法侵入しているみたいで、少し気が引けたのは僕だけらしい。篤久はまるで気にしていなかった。

 外観は古い家だったが、中はこざっぱりとリフォームされていて、店としての体裁が整えられている。

 床はきれいに掃き清められており、部屋の中央には何も置かずに、壁際に展示を集めていることで、実際よりも広く感じた。

 アンティークというよりも古道具と言った方がしっくりくる、飴色の、ところどころが剥げた小さな棚の引き出しには、紙で「白」「赤」「黒」……と、色の名前が書いてある。

 マスキングテープとかならイマドキなのに、学校で配られるプリントと同じ、くすんだ色の紙を千切ったものだったので、おどろおどろしい感じがする。

 何よりも、窓があるのに光は淡くしか入り込んでこないのが、不気味さを増長する。照明は、天井から吊り下げられた裸電球のみだし、今はついていなかった。昼間は節電をしているのかもしれない。

 五月の爽やかな空気、少し汗ばむ気候は外の世界の話で、店の内外で、隔絶された気がして、思わずぶるりと身を震わせた。

 あまり長居をしたくないと思う僕をよそに、篤久は興味深そうに、店の中をうろついた。きぃきぃと耳障りな音を立て、引き出しを開けている。

「いらっしゃいませ」

 篤久の行動を注視している背中に、声をかけられた。澄んだ、川のせせらぎみたいな声。女の人。

 振り向いた僕は、ハッと息を飲んだ。呼吸を忘れてしまったのは、その人が、僕がこれまでに見てきた誰よりも、美しかったからだ。

 腰まで長く伸ばした黒髪は、店の売り物と見間違うほど、まっすぐでつややかだ。クセ毛の僕は、純粋にうらやましい。

 肌は白く、唇は赤い。切れ長の目は伏せられていて、睫毛の影が色濃く落ちる。あまりにきれいだから、こぞって真似をする女性が続出したという、中国の美女の話を思い出した。あれはしかめっ面だったっけ。

 何歳くらいだろう。同年代くらいの若い人にも見えるけれど、もっとずっと年上にも感じる。

 美希は実在する美少女だが、この人の存在は、ふわふわと漂う霞のようで不確かだ。彼女を認識しているのは僕だけで、手を伸ばして触れようとした瞬間に、消えてしまいそうな気さえする。

 隣の篤久も、ぼーっと彼女を見つめていた。注目されるのは慣れているのだろう。店主らしい女性は気にした様子もなく、「ごゆっくり」と笑みひとつこぼさずに、カウンターの内側の椅子に座り、縫い物を始めた。彼女の髪とは真逆の、真っ白な糸を、同じく白い布に刺している。

 僕は急に我に返り、篤久を肘でつついた。突如現れた美女に、目と心を奪われている場合ではない。

 この店に長くいると、なんだか頭がおかしくなりそうだった。鼻をくすぐる古い木材の匂いに、くしゃみをひとつした篤久は、「お、おう」と、本来の目的を思い出して、「赤」と書かれた引き出しを開けた。

 赤い糸。小学校のときに家庭科の授業で買わされた裁縫箱の中に入っていた縫い糸や、ミシン糸とは違い、芯になるものにぐるぐる巻かれていない。ゆるくまとめられ、束になっている。

 篤久はそれをひとつ、ひょいと取り上げると、再びギコギコと音を立てて、引き出しを閉める。

 大雑把な彼は、完全に閉まるのを待てずに、わずかに隙間が開いたままだ。気づいてしまった僕は、力を入れて閉めた。

 その間に、篤久は会計を済ませる。糸の値段などたかがしれているし、ポイントカードなんて気の利いた販促物も、この店の感じだと、用意していないに違いない。

 店の雰囲気に合わせた古めかしいレジスターが、チン、と、聞き慣れない、けれどどこか懐かしい音を立てるのはすぐだった。

 僕はカウンターを振り返る。縫い物を中断して立ち上がった店主は、篤久と同じくらい背が高い。チビの僕は圧倒された。

 彼女は言う。赤すぎる唇で。小さいのに、澄み渡っているせいで大きく聞こえる声が、僕の鼓膜を震わせる。

「ごえんのお返しでございます……」

 ぞっとする微笑みを浮かべて。

 呆然と彼女を見つめる僕を正気に戻したのは、篤久だった。おつりの五円を大切そうに財布の中にしまった彼は、「紡ー?」と、声をかけてきた。

「お前もなんか買う?」

「いや……いい」

 首を横に振る。その合間にも、ちらりと僕は、店主の顔を確認した。

 開いているのかいないのかわからない目で、彼女はじっと僕を、凝視しているような気がした。

【3】

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