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<17話
暦の上では秋になったが、まだまだ残暑は厳しい。季節に合わせた単に、裳を合わせて露子はまず、俊尚の元を訪れた。
三つ指をついて礼をし、しばしの暇を請う。
「父が夏の暑さにやられ、先日倒れたとのことですので、一度実家に帰らせていただきますわ」
懇願ではなく、決定事項として話す露子に対して、俊尚は視線だけを寄越した。冷たい、と感じるのは彼の元々の目の造形が鋭い形をしているだけだということに、露子はようやく気がついた。
だから怖くなんかないわよ、と露子はさっさと退出し、用意させていた牛車に乗った。雨子は不安そうに「いいんですか?」と囁いた。
「何が」
「旦那様に嘘など申し上げて」
父が倒れたというのは大嘘だった。あの父親は、暑気のせいで食欲不振になるという可愛いところはない。しばらく会ってはいないが、ピンピンしているに違いない。
「いいのよ。どうせあの人は、調べたりしないでしょ。お父様と勤めてるところも違うし、ばれたりしないわ」
牛車は揺れながらゆっくりと進み、実家・藤原高道邸にたどり着いた。早速降りようとした露子だが、御者が制止した。
「誰かお屋敷から出てきますので、しばらくお待ちを」
お忍びでの帰省だ。いつも以上に慎重にならなければならない。露子はこっそりと牛車の中から顔を出して、それが誰なのかを窺った。
何度か見たことのある顔だ。誰だったかしら、と考えているとその男がこちらを向いたので、慌てて露子は顔をひっこめた。
屋敷の中に入ると、父はやはり元気にしていた。嫁ぐ前よりも太ったような気がする。
「およ? どうした露子?」
「里帰りよ。それよりさっき、うちから出ていく男の人を見たんだけど、あれ、誰だったっけ?」
ああ、と父は笑った。
「安倍殿さ。知っているだろう? 安倍芳明殿」
その男は数年前から父が懇意にしている陰陽術師であった。
「安倍殿は最高の術師だ。我が家の繁栄のためのお札を作ってもらったのだよ。見るか? ん?」
手にした札をほらほらと見せびらかす父に、いらないと手を振って、露子は元々使っていた部屋に引っ込む。
あれだけ俊尚との縁談で、彼を持ち上げていたくせに、全く結婚の旨みがないと知るやいなや、手のひらを返して、再び安倍芳明に傾倒しているのだ。我が父ながら情けない。娘婿を応援しようという気概はないのか。
嘆息しつつ、露子は身支度を整える。一番立派な衣に身を包み、渋々ではあるが紅を差す。再び用意させた牛車に乗り込む前に、一応父に出かける場所を告げた。
「ちょっと女御様のところに行ってくるわ」
「女御様?」
自分のできる限りのことはする。そのためならば、最大の伝手を使うことも厭わない。例え彼女に迷惑をかけたとしても、最後まで露子は抵抗する。
>19話
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