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<75話
クリスティンの部屋でもよかったのだが、孤児たちにはよほどのことがなければ、個室は与えられていない。院長の狙いは二人の肉体である。他の子供と一緒では、襲うに襲えない。そのため、案内されたのは客間であった。とはいえ名ばかりである。貴人が視察に訪れた際に通すと説明されたが、使われた形跡はほとんどなかった。掃除もなおざりになっていて、棚に溜まった埃を、指でなぞった。汚れた指先に、ふっと息を吹きかけた。くるりとクリスティンに向き直ると、慣れないスカートの裾が翻り、むさくるしい男の足が現れる。その落差が面白かったのか、少女はぬいぐるみの陰で、くすくすと笑った。
「さて、クリスティン」
「はい」
誰が聞き耳を立てているかわからない。壁も扉も薄そうだったので、極力小声で会話をする。
「僕、いや、私が君を守る。心配せずに、夜は眠るんだよ」
「おじ……クレアおばさんは、寝ないの?」
クレマンは諦めを含んだ微笑を浮かべて、彼女の頭をぽふぽふと優しく撫でた。もともと不眠気味ではあったが、マノン・カルノーの処刑以降、ひどくなった。こういうときばかりは、薬に慣れた身体が恨めしい。
ああ、そうだ。薬を使われる可能性も考慮に入れておかなければ。自作の眠り薬はまったく効力がないが、相手は裏社会の人間とも繋がっている男だ。クレマンの使わない未知の成分を使った薬を盛ってくる可能性もある。
しまったな。オズヴァルトに頼んで、軽食をこっそり差し入れてもらうようにすればよかった。夕食前にクリスティンを帰すと約束したのが仇となり、クレマンはパンとスープ以降は何も口にしていなかった。
きゅるり、と腹が鳴るが、しばらくの我慢だ。
自分に言い聞かせて、クレマンはディナーの誘いを辞退した。体調を崩した、と筆談で説明すれば、院長は「お大事に」と口先だけの見舞いを述べた。内心では、これでよりやりやすくなったと思っているに違いない。
しかし、クリスティンを食堂に一人で行かせるのは心配で、食事は部屋に運んでもらった。何も食べないクレマンを遠慮がちにちらちらと見ながら、彼女はスープを掬う。くず野菜しか入っていない、味の薄そうなスープだ。
ここを出たら、絶対にブリジットの料理を食べさせてやろう。
クレマンはそう思いながら、彼女のスプーンの持ち方を正した。
>77話
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