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<第一話⑥
「うーん……」
タブレットでレシピサイトを漁ること数時間、このサイトもそれらしきレシピはヒットしなかった。
そもそもクリームシチューって、誰が作ってもそんなに変わり映えのしないものだ。特に市販のルーを使う場合は、レシピとして掲載するほどでもないと思う人が多い。
「カレーと違って、隠し味も特にないしなぁ……」
あの日、夕飯を食べながら陽太が教えてくれた秘策。ばあちゃんのクリームシチューに近いレシピを探すのが、私の日課になっている。
『俺が生まれるときに、兄貴はばあちゃんちに預けられていて。そこで食べたクリームシチューが美味しかったらしいんだ』
家に帰ってから母親に「シチューが食べたい」と珍しく我儘を言ったそうで、普通に作ったところ、「違う」と。陽太が大きくなって付きっ切りでなくてもいいようになってから、「ルーじゃないなら本当の手作りかしら」と、気合いを入れてホワイトソースから作ったが、それも違ったらしい。
ばあちゃんのクリームシチューが食べたい。
幼い頃の願いを、いまだに兄弟ふたりで飲むとマスターは口にする。
もしも私がそれを再現できたのなら、マスターは私が店を間借りすることを認めてくれるだろう。そう思って、一生懸命に考えているのだが、結果はあまりよろしくない。
手元のノートには、陽太が兄から聞き出した、思い出のクリームシチューについての情報がいくつか。
①普通のシチューよりも色が黄色っぽく濃かった気がする
②具の中に普通はシチューに入れない具材(なんだったかは覚えていない)
③祖父は七味をかけて食べていた
④パンじゃなくてご飯だった
「どれもこれも、たいしたヒントではないんだよなあ」
仕方ない。マスターがおばあちゃんの家に預けられていたのは、母親が出産のために入院しているわずかな期間で、それも三十年近く前のこと。当時五歳か六歳だったマスターが、しっかりと覚えていられるわけもないし、作り方を祖母に尋ねたりするわけもない。
どうしても知りたいと、陽太とともに彼の実家を訪ね、お母さんに心当たりがないかと聞いた。
「ああ、あれね」
と言って、佐藤兄弟の母は困ったように微笑んだ。
息子の強い要望、しかもいつも大人しく、聞き分けのいい長男の可愛い我儘を叶えるために、彼女は陽太の祖母……すなわち、自分の姑に頭を下げた。あの子がここで食べたシチューのレシピを教えてほしい、と。
安心して息子を預けることのできる関係だったのだから、別に不仲だとか意地悪をされていたわけじゃない。仲はよかったし、実の息子である夫抜きで訪れることもあった。ふたりで台所に立ち、料理をすることも。
『でもねえ、お義母さん、教えてくれなかったの。レシピなんてたいしたものはないのよ、って笑うだけで』
パッケージに書いてあるとおりの作り方ではない何か。それを人はレシピと呼ぶ。家庭料理だから目分量、適当、ということもあるだろうが、それでも具体的に何を使うとか、コツはこうだとかを口頭で教えることくらい、できたはずだ。
どうして彼のおばあちゃんは、お嫁さんに料理を教えなかったのか。可愛い孫の頼みだというのに。
やっぱり意地悪な心が多少あったんだろうか……でも、陽太のお母さんの様子だと、本当に仲がよかったみたいで、「他の料理の作り方は、みんな教えてくれたの」と言っていたしなあ。
ちなみに彼女たちのもうひとりの息子で孫であるはずの陽太はというと、「俺が物心つく前に、ばあちゃんはもう死んじゃってたから……」と、問題のクリームシチューだけでなく、祖母の料理は一切記憶がないとしょげていた。
その様子があまりにも、雨に打たれて打ちひしがれている犬みたいだったので、思わず頭を撫でたらすぐ復活していたけれど。
「次の水曜日、か……」
決戦の予定日だった。クリームシチューでマスターの心を解きほぐしたところに、新しい事業計画書を叩きつけて許可を得る。いつまでも昼間の時間を遊ばせておくのももったいない。マスターは、すでに自分の伝手を辿り、誰か適当な人はいないかと、探し始めている。
ここで説得できなかったら、自分の店を開くことができない。それに、バー「月虹」のフード問題も解決しないだろう。
「うー……」
頭を抱えていると、玄関のチャイムが鳴る。立ち上がりかけたが、る母の方が早かった。夕方の中途半端な時間に来るのは、おそらく配送業者だろう。そういえばこの間通販した洋服が来るのっていつだっけ。
届いた荷物の確認とともに、気分転換にコーヒーを飲もうと、部屋から出る。母はまだ玄関にいた。
「どうしたの? 何届いた?」
「ああ、まひる」
段ボールから漂ってくる甘い香り。
「りんご?」
「そう。青森のおじさんが送ってくれたんだけど、毎年食べきれなくて、最後の方は美味しくなくなっちゃうのよね……今年はあんたがいるから、多少はマシだろうけど」
言いながら、ビニール袋にリンゴをほいほいと詰めていく。できる限り真っ赤で美味しそうなのを見極めようという目をしているので、高校の授業のことを思い出しながら、「そっちよりこっちのが美味しいよ、たぶん」と、一番よさそうなのを入れてあげた。
「これ、お姉ちゃんのところにもっていってくれる?」
「えー」
家事手伝い、居候の身である無職が迷惑をかけている自覚はあるから、両親からの頼みは断らないようにしている。そんな私がなぜ不満の声を上げたかと言えば、ひとつには、姉の家にこれから向かうということは、向こうで夕飯を作らされる可能性が高いこと。そしてもうひとつは、同じ市内とはいえ、徒歩で行けるような距離ではないということ。
自転車ならば行けるが、この時期の北海道はすでに冬に片足を突っ込んでいる。海風を切って進まなければならない自転車は、なるべく乗りたくない。
「最近練習してるでしょ、車。ほら、行ってきなさいな。何事も実践よ」
「うー」
確かに、この街で生きるのならば自動車運転は必須技術だ。免許も一応ある。東京では車なんていらなかったし、自動車じゃなきゃ行きづらい場所に行くときは、繁明がレンタカーを借りて迎えに来てくれたものだ。運転経験がほぼゼロの私が、函館のベテランドライバーと並走するのは怖くて、目下練習中である。
「ほら、行ってきて。今日の晩ご飯は私が作っておくから。晴日によろしく」
「はーい……」
りんごがたくさん入った袋を渋々受け取った。おじさんには、来年からうちじゃなくて姉の家に直接送ってもらって、そこから我が家がおすそ分けをもらった方が効率的であることを、ぜひ伝えてほしい。
「あ、まひるだ!」
安全運転第一で、気を張って辿り着いた姉の家。チャイムを鳴らして開けてもらった瞬間、部屋の中で遊んでいた甥っ子がこちらに気づき、走り寄ってきた。
「こんばんは、光。学校楽しい?」
「うん!」
小学校一年生。まだ何の苦労も知らない甥の光は、満面の笑みを浮かべてまとわりついてくる。姉に渡すと、「上がりなさいよ。ついでにりんご剥いてちょうだい」と言われた。りんごくらい自分でやりなよ、と思ったけれど、慣れない運転で精神的に疲れていたこともあり、お邪魔することにした。
姉の家には三人の子どもがいる。一年生の光を筆頭に、年長さんの姫、二歳の夢と、全員やんちゃ盛りだ。
「こら。まひるおばちゃんは包丁握ってて危ないから、離れなさい!」
お茶を淹れながら、母は子どもたちに怒鳴る。これが毎日毎時間毎秒続くと考えると、母親って本当にすごい。
「はいどうぞ」
お茶請けに持ってきたりんごを出す。姉はその状態を見て、目を丸くした。
「ナニコレ」
「なにこれって、りんごだけど?」
一般的にはりんごは皮を剥き、八等分くらいにして芯を除く。私だって、本当にお客さんに出すのならそうやって提供するけれど、ここは自宅のようなものである。
「なんでもそうだけど、皮や芯の周りに一番栄養も美味しいところも詰まってるの。この薄さなら、子どもたちも皮ごと食べられるでしょ?」
りんごを薄めに、輪切りにしただけだ。芯を取らなくてもいいので、包丁さばきがいまいちな初心者でも簡単に食べられる。
「ふーん。てっきりうさぎにでもしてくれるかと」
「うさぎ!?」
りんごを摘まみながら、姉が余計なことを言ったせいで、可愛いものが大好きな姫が反応した。
「まひるちゃん、うさぎさんのりんごできるの!?」
興奮は妹の夢にも伝わって、ふたりで「うさぎ! うさぎ!」の大合唱だ。どうすんのよ、これ。夕飯前にりんごをもう一個剥けって? と姉に目配せすれば、頷いた。知らないぞ、夕飯入らないって言われても、私のせいじゃないからね。
りんごをもうひとつ手に取って、りんごうさぎの作成をスタートする。三兄弟の視線が釘付けだ。
「なぁ、まひる。りんごの皮、ながーく剥ける?」
「ん? うん、剥けるよ。超得意。なんで?」
「ママ、できないもんねー」
「ねー」
「できなくたって食べられるんだからいいじゃない」
まぁうさぎにするなら皮を剥く必要もないからいいんじゃないかな。姉の剥いたりんごは、実の部分まで削れていそうだけれど。
「はい、うさぎさん。どうぞ」
「わー! うさぎ!」
「うさぎ!」
しゃくしゃくと美味しそうに食べ始める子どもたちを眺めていた。
うさぎが存在したのは一瞬だったな……。
「ねえ、ちょっと相談に乗ってくれる?」
「ん?」
夕飯を作れ、と言われるかと思ったが、「相談」に留めておいてくれるとは、我が姉ながらその成長が嬉しい。学生時代は何せ、バレンタインのチョコレートだの憧れの先輩の部活への差し入れだの、作れと命じられて作らされていた。家庭を作っていく人間の自覚があって何よりである。
「これなんだけど」
冷蔵庫の中には、ばかみたいに大きな寸胴鍋があった。中身は……
「カレー?」
「ぴんぽーん」
家庭で大量に作るものといったら、カレーと相場は決まっている。豚汁の場合もあるが。たくさん作って次の日に回すのが賢い主婦というもので、姉も実践しているらしい。
「でも、作りすぎちゃったんだよね。光が好きだからさ、いっぱい食べると思ったのに、『明日の給食もカレーだよ』って言われちゃって……」
「ああ……」
それは辛い。子どもがいると、給食とのかぶりも意識して献立を立てなければならないが、確認が頭からすっぽ抜けることもある。好きなものだから二日くらい連続で食べてもいい、というタイプも多いが、光はそうではなかったらしい。毎日違うものを食べたいという食いしん坊タイプである。私も同じく。
「なんかいい食べ方ないかな?」
そうだなあ……。
ご飯に混ぜて生卵や温泉卵を載せたらドライカレー風味。混ぜご飯にして耐熱皿に入れ、上から追いカレーをしてチーズをかけてオーブンに入れたらドリア。チャーハンにするのも面白い。ちょっと鶏ガラスープの素を入れて刻みねぎもあしらう。コロッケは美味しいけれど、手間がかかるから「作って」とねだられるだろうし、やめておこう……。
「簡単なのはカレーうどんかな。めんつゆと合わせてさ、蕎麦屋のカレーが美味しいのってあれ、めんつゆの出汁が効いてるからなんだよね。おもしろいよね、和と洋が合わさって、新しいメニューが生まれ……」
料理のことが一番口が滑らかになる。そのことを姉もよく知っているから、ある程度好きに喋らせてくれる。ヒートアップすると止めてくれるのだが、今日は自分から噤んだ。
カレーに、めんつゆ。洋のものを和にアレンジしたメニュー。
「お姉ちゃん、ごめん! 私、帰る! 帰るっていうか、ちょっと寄るとこあるから!」
「は? まひる? いや別に作ってって言ったわけじゃないけど……うん」
私のあまりの勢いに押され、姉はたじたじだ。異様な雰囲気を感じ取ったのか、まだ赤ちゃんみたいな夢が、ふやあ、と泣き始める。姉が次女を構っている間に、私はさっと玄関へと向かった。スマホで通話ボタンを押しながら。
「あ、陽太。ごめんだけど、今から陽太のお母さんのところに行きたいんだけど、大丈夫かな? うん、そう。もしかしたら、わかったかもしれない」
ばあちゃんのクリームシチュー。その答えが。
>第一話⑧


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