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<3話
錦織香貴、職業・俳優。
誰もが知る公式プロフィールは以上だが、ガーデニング趣味のある人間ならば、もうひとつ知っていることがある。
彼は教育テレビで絶賛放送中の「ガーデニングびより」という園芸番組のナビゲーターを、三年務めている。勉強熱心な態度と花への愛情、何よりもその、見るからに実直そうな好青年ぶりが、主におばさま方の胸をきゅんきゅんときめかせている。
「役作りに没頭すると、いつも寝食忘れちゃうんですよねえ」
一言で母は、「こいつはやばい」と思ったのだろう。母性本能とやらが刺激されたのかもしれない。素早く残りの唐揚げを、使い捨ての容器に詰めた。
「唐揚げ大好きなんで、嬉しいです」
遠慮する素振りもなく、笑顔で香貴は受け取った。芸能人のゼロ円スマイルは、刺激が強い。ぐっ、とうめき声をあげた母はなんとか踏みとどまった。
「それでは僕は、これで」
「ちょっと待てよ。あんた、どうやって帰るつもり?」
ほくほく顔で帰宅しようとする香貴の肩を掴んで引き留めた。あいにく、彼の乗っていた愛車は現在、商店街の自転車屋に緊急入院中である。
「ひとりで帰したら、今度は警察の世話になりそうだし」
ただでさえ、もう日は落ちきってしまっている。暗い中で、こんなぼんやりした男をひとりで歩かせるわけにはいかない。好きじゃないから、と見捨てられるほど、涼は薄情ではない。
「駅の反対側に出ただけでしょう? 歩いてだって帰れますよ」
自信満々なのは、当の本人ばかりなり。母は無言で、車の鍵を寄越す。たいして身長の変わらない男の首に腕を回し、「いいからいいから」と引きずって、助手席に乗せた。
それから涼は、滅多に使うことのないカーナビに、香貴の自宅住所を入力した。
>5話
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