<<はじめから読む!
<2話
自転車を積み込み、ぐったりした青年を助手席に乗せた。帰り着いた自宅では、連絡を受けた母親が待ち構えていた。
青年よりも、花屋の力仕事を長年こなしてきた母の方が、圧倒的に逞しかった。涼が靴を脱ぐ間、支えるのを代わった母は、すん、と鼻をひくつかせて眉根を寄せる。
「ご飯より先にお風呂ね。あんた、一緒に入ってやって」
「はぁ? なんで!」
反射的に突っぱねるが、この男を一人で風呂に入れたら死亡事故に発展するのは目に見えていた。仕方なく、男を引っ担いで風呂場へ直行。
べたべたした髪を洗っているうちに、涼の内には奇妙な既視感が浮かび上がった。どこかで見覚えがある。
誰だったっけ?
考え込むと、うとうとした男がもたれかかってきたので、手早く風呂を終えた。
カラスの行水で出てきたときには、食卓には夕食の準備が整っていた。ぼんやりした男は、にんにく醤油の匂いにようやく覚醒すると、目の前の唐揚げに、猛然と向かった。
いったい、どのくらいの間食べてなかったんだよ。
思わず箸を銜えたまま、ぽかんとしてしまった。一人分ずつ取り分けてあるにもかかわらず、男は涼の皿に乗った唐揚げにまでも手を出す。
「あ、こら!」
一人っ子で、おかず戦争など噂にしか聞いたことのなかった涼は、反応が遅れた。男の手を払いのけようと動いたときには、もう彼の口いっぱいに頬張られている。
「お、俺の唐揚げ……」
しょげ返る涼に、母は「みっともない」と冷ややかであった。
「ふー。お腹いっぱい!」
油で唇はぬらぬらと光っていた。グロスを塗ったように扇情的ですらある。
やはりどこかで見たことがある気がする。そう思っているのは涼だけじゃなく、母も同じく首を傾げている。
空腹が満たされたところで、男はようやく正気を取り戻し、いそいそと姿勢を正して一礼した。
「ありがとうございます。助かりました。しばらく何も食べていなかったので」
いやあ、餓死するところでしたね!
明るく言い放ち、男は長い前髪を掻き上げた。
すると、どうだろう。
野暮ったかった男の風貌が一気に洗練され、まだ濡れたままの髪の毛は、妙な色香を放つ。眉はきりりと凜々しいが、きれいなアーモンド型の目を縁取る睫毛は、繊細だ。
涼と母は、同時に男の顔を指さし叫んだ。
「錦織、香貴!」
異口同音、しかし声に乗った感情は真逆だった。母は少女めいた黄色い悲鳴を上げてサインをねだり、涼は口元を引きつらせるばかりであった。
まさか、ご近所さんだったとは。
>4話
コメント