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「まあ確かに、こんな金髪じゃあ、親父はキレるかもな」
ルームミラーに映る自身の姿を見て、独りごちた。
涼が「フラワーショップふじまさ」を継いだのは、二年前だった。いずれは二代目として花屋の店先に立つことは、規定路線だった。そのために園芸の専門学校に行ったり、造園業者でアルバイトをしたり、種苗業者に就職までした。三十になるまでは経験を積み、その人脈やノウハウを生かすつもりでいたのだ。
予定が三年も早まったのは、父が急逝したためだった。脳卒中だった。しょっちゅう頭が痛い、と不機嫌になる父だったので、どうせいつもの偏頭痛だろうと、家族も本人も、放置してしまった。倒れたときにはもはや、手遅れだった。
母は「ひとりでもなんとかなるから」と言い張ったが、車の免許も持っていない。配達は中止するにしても、どうやって花を市場まで仕入れに行くのかと主張し、涼はあっさりと仕事を辞めた。そして、当時付き合っていた恋人にも振られた。
結婚するつもりでいた。だが、そう思っていたのは涼だけだった。
会社を辞めて、実家の花屋を継ぐ。ついてきてほしい。
給料三ヶ月分には満たないが、婚約指輪を渡そうとした涼の先手を打ち、彼女は「私、小売りとかまったくやる気ないから」と言ってのけた。
節目節目でプレゼントしてきた花束は、あんなに喜んでいたのに。
ひどい裏切りだと感じた涼が呆然と反論しても、彼女……いや、元カノは、涼しい顔で肩を竦めた。
『花は嫌いじゃないけど』
けど、に続くのはなんだ?
口にしなかったのは、理性が勝ったからだ。同じ方向を見ていない人間を、なだめすかして一緒になったところで、早晩破綻するに違いない。
会社を辞めたその足で、美容院に向かった。金髪に染めたのは、自分なりに彼女や会社の仕事への未練を断ち、両親の店を繁盛させるという決意表明だった。商店街に住む仲間たちはやんちゃで、何かある度に派手な頭にするのは、中学の頃から当たり前だった。
涼自身は進学や就職のために地味にしていただけで、実は明るい髪にすることに憧れていた。これからは晴れて、自由の身。自分の責任において、何をどうしようと勝手だ。
見た目が変わっただけで、自分の中身は何にも変わったところはないのに、常連客は「昔は可愛かったのに」と、小言を言う。
その「昔」って、小学校に上がるか上がらないかの頃だろ。
やや毛先の痛んだ髪の毛を摘まむ。個人的には似合っていると思うので、今さら髪色を戻すつもりはない。黒髪のときは幼く見られていたが、この色にしたら年相応に見てもらえるようになった。「化粧したらキャバ嬢になりそう」と言われては、幼なじみをぶん殴っていたキツい目の女顔は、ヒョウやトラっぽく見えるようになった、はず。
母と店を、父に代わって守らなければならないのだから、見た目だけでも強い方がいい。
そう気負っていた涼だが、母の反応は、「いいんじゃない? でも、客商売だから汚らしくならないようにね」と、あっさりしたものであった。
今日はこれで配達も終了。夕焼け空を眺めつつ、川沿いの道路を運転する。住宅街からまっすぐに伸び、店舗兼住居のある商店街に続く道は、父の運転する車の助手席に乗っていた頃からの、お気に入りだ。最近になって気づいたのは、西日に目を細める父の顔を見上げるのが好きだった、ということだった。
他の車もなく、父との思い出に浸りながらゆっくりと運転する。
あの頃の親父と、おんなじ顔してるんだろうな。
ふとミラーを覗いて目に入ったのは、自分の顔よりも、背後を走る自転車だった。
小さく映り込んでいるだけだが、明らかに挙動不審だ。ギリギリでバランスを保ち、操縦できているのが不思議でならない。気になってしまい、ハラハラと見守っていると、案の定。
「あっ」
自転車ごと倒れた。おまけに川縁の歩道だったので、そのまま土手へと転がり落ちていく。涼は慌てて車を止めて、駆け寄った。
「大丈夫か!?」
抱き起こした男の身体は、想像以上に軽かった。襟ぐりがヨレヨレになり、中央には得体の知れない染みがついたTシャツから長い腕が伸びている。真っ白で、浮き出た血管も寒々しい。
三月頭のこの時期に、この薄着。とても正気とは思えない。
目元には濃い隈ができており、何かを伝えようと、口をパクパクさせている。
遺言か。
涼が耳を寄せると、かろうじて聞き取れたのは、
「お、おなか……すいた……」
だったので、心底呆れ、一瞬気が遠くなりかけた。
頭を打った心配は、なさそうだ。
>3話
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