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<第一話⑧
ようやく春めいた空気が感じられるようになってきた。雪はすっかり溶けて、太陽の光は柔らかい。
看板を出しに外に出ると、途端に風が強く吹く。そうなるとさすがに寒くて、捲った袖から覗く腕を摩った。
「雨宮さん!」
「陽太」
今日は月曜日で、陽太は仕事があるはず。スーツ姿の彼は、「ちょっと抜けてきた!」と、すがすがしいまでのサボり宣言。大丈夫なのかと問えば、「懇意にしている管理会社が近くにあるから、ついで」と笑った。どちらがついでなのやら。
「これ、開店祝い」
「わ、ありがとう!」
高かったんじゃない? という言葉は飲み込んだ。贈り物の値段について言及するのは、失礼だ。胡蝶蘭などプレゼントされたのは初めてで、受け取ってその優雅な姿を愛でる。
陽太は私が出した看板を見ている。裏は黒板になっていて、今日の日替わりランチを書くようにした。ちなみに今日は、おにぎりプレートだ。おにぎりは梅しそと、朝市で買った鮭の切り身で作った鮭フレークだ。おかずはきんぴらごぼう、おからハンバーグ、卵焼き。お味噌汁もサービスで。
「『真昼の月』、か」
「うん。『月虹』に敬意を示して、ね」
おばあちゃんのクリームシチューに相当する料理を提供した私を、マスターは認めてくれた。食事の後に出した事業計画書。自分で作ったものだけれど、「温かいランチで午後からの元気を」だと物足りない。私は一度返してもらって、サインペンで――ボールペンの細い字だと、この気持ちは伝わらない気がしたのだ――、新たなコンセプトを殴り書きした。
『美味しいランチと店主のお喋りで、みんなが元気になるカフェ』
豚汁の味噌やごぼう、野菜の出汁が個性として、シチューの味わいになるように、私の持つ元々の特性を、店の味としてアピールしていく。
今はまだ、婚約破棄のダメージが抜けない。一生抜け出せずに、新しい恋ができずに終わるかもしれない。
あの男は、「お前がお喋りすぎて疲れる」と、浮気の原因を私に責任転嫁した。慰謝料も払ってもらったし、相手の親も息子のことをカンカンになって叱った。全面的に悪いのは向こうだが、彼の言葉は、私の胸に棘として刺さったままだった。どこか、「私がもう少し大人しい女だったなら……」と、思いつめてしまっていた。
ランチカフェを成功させたら、きっと心の傷は塞がる。私のお喋りは悪くない。何にも悪いことなんてなかったんだって、自信に繋がるはずだ。
大きな胡蝶蘭の鉢を抱えている私を、道行く人はちらちらと見てくる。新しい店がオープンするのだと、少しでも知ってもらいたくて、笑顔で声を張り上げた。少しだけ震えたのは、武者震いってやつだ。
「カフェ『真昼の月』は、本日十一時オープンです! 美味しいランチを用意して、お待ちしています!」
>第二話①


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