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<【7】
ふたりで酒を楽しんだ夜以降、ジョシュアは別人のようになった。
第一の変化は、早めに帰ってくるようになったことだった。食堂で一緒に夕食を摂るようになった彼を、アンディたちは「支度が一度で済んでラクになった」と、笑っていた。
アルバートが来る前、レイナールはひとりで食事をしていた。それは、王宮にいたときも、神殿にいたときも当たり前だった。無駄に長い食卓の短辺に腰掛けてのディナーは、どんなに豪華な晩餐であっても、質素な精進料理であっても、等しく砂を噛みしめるようなものであった。
男を下賜されることになった孫を心配してやってきたアルバートは、ジョシュアとレイナールが揃った食卓を、にこにこと見つめていた。
ふたりきりだと、まだ緊張して会話が弾まないレイナールたちの間を取り持って、アルバートは好々爺然と振る舞った。正直、助かった。食べている間も、ジョシュアはじっとレイナールのことを見つめていて、居心地が悪い。
「そんなに見とったら、食事の味もわからなくなるだろうが」
諫められて、ようやく視線を食事に戻してくれるのだが、ふと気づけば、見つめられている。
「レイが可愛いのはわかるが、ほどほどにしておけ」
「お祖父様。そういうわけではありません」
レイナールは小首を傾げる。
可愛い、は言われ慣れていない形容詞だった。白金の髪と銀星の目は、母国では崇拝の対象である。レイナールは賞賛の言葉を受けることが多々あったため、逆に自分の見た目には無頓着だ。
こちらの国には始祖への信仰はない。外に出たことがないから、マリベルの「レイナール様は本当にお美しい」という賛辞しか聞いていないが、「可愛い」は、今まで生きてきて、初めての褒め言葉だった。
恥ずかしいような、嬉しいような。むずがゆい気持ちにそわそわしていると、何を思ったのか、ジョシュアはじっとレイナールの顔を見つめて、少し慌てた様子で、
「いや、レイは確かに可愛いと思うが」
と、言い訳じみてつけ足した。
可愛くないと思われたのが嫌だったわけじゃない。複雑な心境を説明するには言葉を知らず、レイナールは小さくなって、「ありがとうございます」と返すのに、精一杯だった。
ジョシュアはそれから、ことあるごとにレイナールのことを褒めた。「可愛い」「きれいだ」「頭がいい」……他の貴族であれば、もっと美辞麗句を並べ立て、詩的な言い回しを好む。花のように、などの比喩表現を多用する。言葉を飾れば飾るほど、軽薄で嘘っぽく聞こえるものだ。
ジョシュアの褒め言葉は端的な分、本当に感じたままを伝えている。だが、そんな風に褒めそやしてくるようになった理由は、わからないままだ。
本人に聞くのも、なんとなく憚られて、レイナールはアルバートに尋ねたが、彼は笑って、何も言わなかった。そういうことは、本人に直接聞きなさい、と。
それが恥ずかしいから、アルバートを頼っているのに。
本当の祖父のように慕っている彼に、上手く答えをもらえなかったレイナールは、少し拗ねた。
子どもっぽいことを考えている自分に驚く。子どもらしさとは無縁の幼少期だったのに。
最も驚いたのは、ジョシュアが花束を抱えて帰ってきた日のことだった。
その場には、レイナールだけではなく、アルバートはもちろん、住み込みで働いている三人も集っていた。カールは部屋の隅に控えていた。マリベルとアンディとは、一緒にカードゲームをしていた。彼らはアルバートに誘われることにも慣れていて、マリベルに至っては、翌日の夕食後のデザートの交渉権を賭けていた。
出迎えすら忘れて盛り上がっていたところに帰宅したジョシュアを見て、目が点になる。
大輪の薔薇を集めた花束は、全員の目を惹いた。レイナールはカードを伏せて立ち上がり、「お帰りなさいませ。ごめんなさい。お迎えにあがれずに……」と、全員を代表して謝罪をする。
ジョシュアは不機嫌ではなかった。だが、「ん」と、無言で花を寄越す仕草は、少しだけ乱暴というか、ぶっきらぼうだった。
後にマリベルは、「年頃でこじらせた男の子が、素直になれずにつっけんどんになっているみたいでしたわねえ」と、このときのジョシュアについて語った。
「これ、ジョシュア」
祖父には彼の感情がお見通しらしく、短く叱責をする。いい年の大人になっても、祖父には頭が上がらないジョシュアは、「レイに、プレゼントだ」と、たどたどしく口にした。
「私に?」
片手では足りず、両手でもまだ余る。花束は美しいが、何の理由もなく渡す品ではない。誕生日でも、レイナールがここに来て一年などの節目の日でもない。困惑しているレイナールに、ジョシュアはさらに混乱させることを言う。
「すまなかった」
何が?
と、問い質すことができなかった。頭を下げているのは彼なのに、妙な圧力を感じる。レイナールたちは、無言でジョシュアの言葉の続きを待つほかない。
「レイを迎え入れてから、初夜もせずにずっと放っておいて、すまなかった」
「……はい?」
謝罪の理由を説明されても、まるで理解できなかった。
自分の能力の問題だろうか?
思わずアンディやマリベルたちを見ると、自分より長い付き合いのはずの彼らも、あんぐりと口を開けていた。部屋の隅のカールもまた、唖然としている。いつも取り澄ましている彼が、珍しい。
頼みの綱のアルバートは、笑いを噛み殺すのに一生懸命で、ちっとも役に立ちそうにない。
部屋の中のなんとも言えない空気感に、ジョシュアは気づかない。自分の言葉を吐き出すことに集中しているせいかもしれない。「式は」とか、「故郷の家族に挨拶を」とか、謎の単語が聞こえてきて、慌てて口を挟む。
「あの、ジョシュア様」
式というのは、結婚式のことを言っているのだろうか。
「どうした? ボルカノではなく、ヴァイスブルムの神殿の方が都合がいいか?」
本気で結婚式を挙げるつもりでいる彼は、すでに頭の中が婚礼の最中であるらしい。
「ジョシュア様。私は確かに、ボルカノ王からあなたに下賜された身ではありますが、男です」
「……それが?」
「法律上結婚はできませんので、式は必要ありませんし、その、初夜? というのも、ちょっと……」
周囲から男嫁が来たと言われるのが申し訳ないと恐縮していたのに、ジョシュアはなぜか、自分のことを本当に妻として扱うつもりになっている。
彼は明らかに納得のいっていない顔で、「む。そうか……」と、残念そうにしている。孫のしょんぼりした様子を、祖父はとうとう耐えきれず、声を上げて笑った。立ち上がり、ジョシュアの背をばしばしと叩く。「痛い……」と、閉口するのもおかしかった。
レイナールたちは立場上、主人のことを笑うわけにはいかないのだが、釣られて笑い始めてしまった。カールですら、壁に向かって肩を震わせている。
家人の反応が解せないという顔で、ジョシュアは口を引き結んでいた。
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