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<10話
烏が振り返り、振り返りしつつ立ち去った後で、雨子がぽつりと言った。
「……流行り病の季節ですわね」
「うん」
水無月に入り、暑さは増している。蒸した空気はどこへ行っても逃れられるものではなく、健康そのものの露子でさえも参っている。
病魔はこういうときに襲い掛かって来るのだ。暑さで弱っている老人や子供に率先して憑りついては、体力の続かなくなったものたちの命を奪う。
陰陽師たちは、特に大貴族の依頼を受けて、病気平癒の術を行う。表舞台に立つわけではない俊尚も、裏方で忙しいのだろう。
効き目があるのかどうかは知らない。助かれば術者のおかげ。助からなければ仏や神や、天の意志。彼らが責められることはない。
「ほんと、この時期は嫌になるわ……」
「姫様」
普段以上に苛々してしまうのは、大嫌いな夏だからだ。暑さは露子からすべてを奪っていった。母が亡くなったのも夏、乳母――つまりは雨子の母が亡くなったのも、夏。絶対に私は夏に死んでやるものですか。露子は心に決めている。
「効き目があるのかどうか、私にはわからないけれど……」
それでも必要とされていて、しっかりと夫は務めを果たしているのだろう。自分に対しての仕打ちはひどいとは思うけれど、彼は決して、無責任な男ではないということがわかる。
だからこそ、露子は期待してしまう。結婚した責任を取って、彼が自分を抱いてくれるのではないか、と。愛してくれなくてもいい。ただ、夫婦としての務めを果たしてくれるだけでいいのだ。陰陽術師としての仕事と同じように。
そう願う露子の背を、汗が伝い落ちていった。今日も暑い。水の一杯でも飲ませてから烏を帰らせればよかった、と後悔した。
結婚する前にもよく見ていた夢を、その夜久しぶりに見た。露子は幼い子供で、母が臥せっている部屋の外の廊下で一人、毬をついている。
ひとつ、ふたつ、みっつ。そして転がっていく毬。蝉の声と僧の声が耳をつんざく。追いかける露子よりも先に、少年がそれを拾う。
少年の顔はいつもどおり、逆光で見えない。それでも今までは、優しく微笑む唇の形はなんとなくわかった。けれど今日の夢は、どこかいつもとは異なる。彼の唇は引き結ばれたまま、厳しさをたたえている。
いつだって彼の一言は同じだった。「見つけた」。嬉しそうに彼は言うのに。
『すまない』
何についての謝罪なのか明確にすることはなく、彼の姿は薄くなり、露子の意識は現実へと浮上した。
>12話
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