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<【9】
その夜、ジョシュアはレイナールの部屋を訪れた。
入ってくるなり頭を下げたジョシュアに、面食らってしまう。慌てて顔を上げさせるべく説得するが、彼はなかなかに頑固で、最敬礼の角度を崩さなかった。
「ジョシュア様?」
「昼間のことを、カールから聞いた。感謝する」
すぐにでも返信をしなければならないことはわかっていたが、書類仕事ですら億劫なのに、文面を考えて書かなければならない手紙は、もっと苦手だった。気の利いた言葉は思い浮かばないし、字も自信がない。
「サインをする前に、すべて目を通したが、相手によって書く内容も違っていたし、何よりもまず、字がきれいだ。本当に助かった」
「いいえ。私にできるのは、あのくらいのことですから」
謙遜ではなく、レイナールは本当に、たいしたことがないと思っている。幼い頃、実父に届いていた手紙は膨大だった。そのひとつひとつに目を通し、丁寧に迅速に返事を綴っていく父の足下で、自分は遊んでいたのである。
実父に比べれば、レイナールが今回代筆した分量はさほど多くはなかったし、祝福に丁寧に礼を述べればよいだけだったから、悩むこともなかった。
だが、ジョシュアたちに取って見れば、「たいしたこと」であった。真剣な顔で、
「これからも頼む」
と、頭を下げてきた彼に、レイナールは快く請け負った。
「それから、これはカールから。悪かった、と」
「カールが?」
謝られる意味がわからないまま、差し出されたのは手紙の束だった。無骨な字に見覚えはなく、レイナールは送り主を確認する。
「ヴァン……!」
ボルカノに着いて早々、病に倒れたヴァンからの便りに、レイナールは興奮した。ペーパーナイフを用意するのも惜しく、手でビリビリと封筒を開けて、目を通す。
彼も今はすっかり治っているようだ。国へ帰れとレイナールは言ったが、アーノン公爵の命令どおり、ボルカノでのレイナールの生活を支えるべく、王都へとやってきている。
グェイン邸での扱いも難しいだろうから、傍に仕えることはしないが、いつでも動くことは可能だという、頼もしい言葉。
「よかった……」
胸に手紙を抱いたレイナールに、ジョシュアは再び謝罪する。
「カールが隠していたんだ。心から謝っていた。悪い奴ではないから、許してやってほしい」
執事として、信頼できない人間の私信を制限するのは、当たり前だ。レイナールは気にしていない。
「大丈夫。気にしないようにお伝えください」
「ああ……ありがとう。カールのことも、手伝ってやってほしい」
これまで、レイナールは家の中で役割を与えられたことがなかったように思う。
忘れがちだが、この国での自分は客人ではなく人質で、おとなしくしているのが仕事のようなものだから当然として、母国でも、レイナールはただ持ち上げられるだけの人形であった。王族の一員となっても、政治的な役割を求められたことはない。神殿ですら、行事の度に民の前に顔を出す程度で、他の神官たちのように、きつい奉仕活動の順番が回ってきたことがない。
唯一、今回ボルカノに送られることになったときに下された命令が、自分の役割であった。
嫌なことを思い出してしまった。
レイナールは、自分自身の行く末を、幸せだと信じることができない。母国では幸福の象徴として、市民から分不相応なほどに敬われていたが、ボルカノでは違う。
幸福ではなく、自分がこの国にもたらすものは、むしろ。
「レイ?」
訝しむ呼びかけに、ハッとする。じっとこちらを覗き込むジョシュアに、レイナールは「ごめんなさい。ぼんやりしてしまいました」と、謝った。
「いや。疲れたのか?」
「い、いえ……そうなんでしょうか……」
追い立てられるようにヴァイスブルムを出立し、ボルカノ王と謁見。どうにか切り抜けて、グェイン邸に迎え入れられて、ようやく人心地ついた。それに、今日カールと和解したことで、厄介な居候から、彼らの友人くらいの地位にはなれたように感じたこともある。
緊張が抜けると、それまで蓄積した疲労感に初めて気がつく。レイナールは、自分が余計な不安を覚えてしまうのも、すべては疲れのせいだと結論づけた。
「今日は早くに休んだ方がいいかもしれませんね」
ジョシュアに笑ってみせると、彼は真剣に心配している顔だった。大丈夫だと笑って顔の前で両手を振ると、その手を取られる。
「ジョシュア様?」
力強いのに、痛くない。レイナールの両手首を片手でまとめられそうなくらい、彼の手のひらは大きい。ところどころ硬いのは、剣だこだろうか。
またぼんやりと物思いに耽っていると、「いいか?」と、突然問われ、詳しい内容を聞かずに、レイナールは反射的に頷いていた。
「あ、え? すいません、何のお話でしたか?」
怒られても仕方のない失態だったが、ジョシュアは決して声を張り上げたりしない。顔は強面だし、軍を率いる立場としては、怒鳴ったりすることもあるのだろうけれど、レイナールの前では、基本的に荒々しい一面は封印している。
彼は噛んで含めるように、ゆっくりともう一度説明をしてくれた。
「次の休みに、一緒に出かけよう」
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