白金の花嫁は将軍の希望の花【11】

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【10】

 ジョシュアにとって、丸一日の休みは珍しいことだ。軍だけでなく、王都における侯爵の仕事もこなさなければならない。領地は祖父に守ってもらって、現在は仕官しているが、そう遠くないうちには、領地に戻る予定だから、そのための勉強も欠かせない。

 そんな貴重な休みを、自分のために使ってもらうのはもったいない。

 遠慮するレイナールに、「礼だから」と、ジョシュアは言い張った。主張を押し通す力が強いのは、もちろん彼で、レイナールは戸惑う。けれどその実、出かけることができるのは、少しだけ楽しみだった。

 グェイン邸に迎え入れられても、人質に過ぎないレイナールは、屋敷の敷地内しか歩くことができなかった。外に出るなと命令されたわけではない。ただ、厄介なことが起きると想定されるのは事実で、自主的に屋敷の中で過ごしていた。家人たちも、何も言わなかった。

 引きこもりの生活には慣れていると思っていたが、神殿での生活は、森へ行って祈りを捧げ、木の実や薬草を採集したり、意外と屋外での活動は盛んだったのだと、改めて気づく。

 暖かい日には、庭仕事のあとに、外でティータイムを楽しむこともできたけれど、ヴァイスブルムよりは温暖な気候とはいえ、秋も深まり、長時間外にいるには辛い季節になってきた。

 レイナールの日常は、すべて家の中で完結するようになりつつあった。本を読み、手紙を書き、鉢の雪割草の手入れをして過ごす。平気なつもりだったが、外出に対する浮かれっぷりを冷静に分析すると、それは自分自身を騙すための強がりに過ぎなかったようだ。

 久しぶりの外だ。わくわくする。動きやすいように、長い髪はまとめてもらった。

 そわそわしているレイナールに、マリベルは微笑み、外套をかけてくれた。彼女の背はレイナールよりもだいぶ低いので、屈んだ。背中や肩をトントンと叩く手つきは優しくて、顔も知らぬ母が、こんな人だったら、と思う。

「奥様のコートですが、よくお似合いですよ」

 細身とはいえ、男のレイナールが着ても十分なデザインと丈の長さから、ジョシュアの母は、きっと背が高い人だったのだろうと思う。少ない荷物で渡ってきたレイナールは、ありがたく上着を借りることにして、マリベルにも礼を言った。

「準備はできたか?」

 部屋にやってきたジョシュアは、レイナールの姿を見て、言葉を切った。まじまじと見つめられ、身を少し縮めてしまう。マリベルは変わらず、にこにこしている。

「あの、お母様のコート、お借りしてもよろしいですか?」

 おそるおそる尋ねると、ジョシュアは、我に返り、「ああ」と頷いた。

「よく似合っている。使ってもらえたら、母も喜ぶだろう」

 彼は手を差し出した。物語のヒーロー……騎士や王子が、姫君をエスコートするときの仕草だった。子どもの頃に読んだ絵本の中のヒーローは、細身で、いかにも女児が好きそうな感じだった。ジョシュアは正反対の存在だと思う。

 いつも難しい顔をして、甘い言葉のひとつも吐きそうにない。全身無駄なく筋肉に覆われていて、子どもだったら、泣いてしまうかもしれない。

 そういえば昔、実父の仕事に連れられた先で出会った少年。彼もまた、ジョシュアと同じく、無表情で少しだけ怖かった。でも、迷子になったレイナールの世話をしてくれた少年は、見かけによらず優しかった。

 ジョシュアもまた、優しい。素直に彼の手のひらに、自分の手を重ねた。大きくて、皮膚の厚みが少し触れただけでわかる。ゴツゴツと彼の人生を象徴している。

 ふたりを乗せた馬車は、ゆっくりと走り出す。気の利いた話題をジョシュアに期待するのは酷だったし、レイナールも、雑談はあまり得意ではなかった。

 必然的に沈黙が車内を支配する。レイナールがぼんやりと窓の外を眺めていると、城下町を通り過ぎていくのに気づいた。

「ジョシュア様。どこへ?」

 てっきり街を散策するものだとばかり思っていたので、戸惑う。

「いいや……少しな」

 多くを語らない彼に、レイナールは押し黙った。先ほどまでの静寂は、心地よいものだったのに、今はなんだか、尻の座りが悪い。

 馬車はどんどん、郊外の森へと向かう。不安が襲ってくる。これまでグェインの屋敷で、本当に幸せに過ごしてきたけれど、真っ逆さまにここから転落するのではないか。

 ジョシュアは軍人だ。国王の命令に逆らうことはできない。

 レイナールを始末しろという勅命が出ているとすれば?

 手厚く扱うのは、自分を油断させるため。ジョシュアは優秀な軍人だ。腹芸も心得ている。

 最悪のことを想像して、レイナールは次第に気分が悪くなってくる。青い顔をしているのを心配して、「大丈夫か?」と、声をかけてくれるジョシュアに、レイナールは必死に首を横に振る。

 本当にジョシュアが自分をだまし、殺そうとしているのならば、逃げなくてはならない。護身術や剣術は習っていても、身を守るための武器が手元にない。そもそも、力も足の速さも、ジョシュアに敵うはずがない。

 馬車が停まり、ジョシュアが先に降りる。

「レイ」

 躊躇するレイナールに、ジョシュアは手を差し出した。彼の顔を見上げる。嘘やごまかしはない、ように思う。不思議そうにこちらを見つめるジョシュアの手を、レイナールは覚悟のもとに取った。

 信じよう。ジョシュアの不器用な優しさは、偽りではない、と。もしも本当に、彼が自分を亡き者にしようとしているのなら、黙って受け入れよう。

 森には慣れていて、すたすたと歩くレイナールに、ジョシュアは意外そうにしていた。

「神殿生活で、森にはよく行っていたので」

「そうか」

 どんどん奥へと入っていく。レイナールは背後を振り返りつつ、ジョシュアについていった。

 森はそれほど広くはない。晩秋の木々は葉を落としつつあって、高度を落とした太陽の光が差し込んできて、明るい。

 無言で歩き続けていると、歓声が聞こえた。

 こんなところに、大勢の人がいる?

 いよいよ不審さが増したところで、「グェイン将軍!」という声が聞こえた。

 広場に出たふたりを待っていたのは、敬礼で迎える、男たちの集団だった。戸惑うレイナールを後目に、ジョシュアは「いいから。訓練を続けろ」と、淡々と言った。

「はい!」

 威勢のいい声は揃っており、地面が揺れる。彼らは二人一組になり、刃を潰した訓練用の剣を使って打ち合いを始める。素人目から見ても、気合いが入っているのは、ジョシュアが見守っているからだろう。

 レイナールは隣に立つジョシュアを見上げた。角度が悪くて、あまりよくわからないが、唇は引き結ばれていても、口角が上がるのを隠せていない。自分が率いて戦う兵士たちの出来映えに、一定の満足を得ているにちがいない。

 どうして訓練場に連れてこられたのか理由はわからなかったけれど、安堵した。何の力も持たないレイナールを殺すにしても、この人数は戦力過多だ。暗殺の可能性は消えた。

「グェイン将軍、少しよろしいですか」

 年かさの男は、身につけた装備も、一般兵より豪華だった。おそらくこの隊の隊長であろう。

「む」

 レイナールをひとりにしてしまうことを、彼は渋った。こちらを向いたジョシュアに、レイナールは首を横に振り、大丈夫だからと請け負う。

「ここで訓練を見ていろ。危ないから、不用意に近づかないようにな」

「ええ」

 振り返りしつつ、ジョシュアは隊長について、天幕の中に入っていった。

 途端に、空気が変わる。隊長の監視の目が消えたそうだ。

 いち、に、いち、に……かけ声は次第にばらついて、小さくなっていく。つばぜり合いの音よりも、ぼそぼそという話し声の方が大きくなっていく。真面目に打ち合っているのはほんの一部で、多くの兵士たちは、こちらをちらちらと伺ってくる。

 話し声は、レイナールにとっては不快なものだった。

「あれが将軍の……」

「男だって……」

「本当に? まぁあれなら、男でも……」

 と、男の身でありながら、国王から下賜されたレイナールの下品な噂を、本人のいる前で披露するのだから、彼らの程度というものが知れる。最も悪質な連中は、手が滑った振りをして、模造剣をレイナールの元に飛ばした。本気で投げなければ、届くはずがない場所にいるのに。

「すんません。手が滑りましたあ」

「重いんで、そのままにしといてくださーい」

 女のような形をしているからと、馬鹿にしてくる連中に、さすがのレイナールも腹が立った。

 自分のことはどうでもいいが、ジョシュアを見下されているようで、腹が立つ。

 レイナールは、足下に落ちた剣を取った。それほど重くない。にっこりと兵士たちに微笑みかけて、剣をくるりと回し、構えた。

 彼らはレイナールの意外な動きに、目を丸くしている。その隙に、外套を脱ぎ捨てたレイナールは走り寄った。

 神殿の男は、僧兵に混じって自衛のための訓練が必須になっている。怪我をするからと遠ざけられがちだったが、もともと貴族の嫡男であり、手ほどき程度は幼少期に受けてきた。

 剣を飛ばしてきた張本人は無視して、その相方に振りかぶる。突然のことに焦った男だが、さすがにジョシュアが目をかけている隊の一員、咄嗟に一撃を受けてみせた。

 レイナールはひらりとジャケットを翻し、距離を取る。にやりと笑って片手で挑発をする。実父には怒られるだろうけれど、格好良いから一度やってみたかったのだ。

「生意気な……っ」

 相手が上司の所有物ということを忘れた男は、レイナールに突進してくる。周りの方が慌てて「馬鹿! お前!」と、止めようとしたが、頭に血が上がっている。

 実戦とは違い、模擬戦では冷静さが勝敗を分けるものだ。直線的な動き、フェイントという搦め手を忘れている兵士は獣のようなもので、レイナールは剣すら使わずに、さっといなしてみせた。

 本気で打ち合えば、簡単に痛めつけられてしまうことを理解しているから、戦い方は自然と、攻撃を躱して機を狙うことになる。相手が完全に我を失い、均衡を崩したときに、レイナールは強く叩き込むつもりだった。

 だが、決着のときは訪れなかった。

「何をしている!」

 真っ赤な顔をした男の顔が、一気に白くなる。声の主はジョシュアである。レイナールも、肩で息をしながら、彼の方を向いた。

「何をしているのかと、聞いている」

 第一声の怒号も迫力があり恐ろしかったが、静かに怒りを蓄えている追及もまた、兵士たちを震え上がらせる。レイナールたちを遠巻きに、じりじりと後退していくが、ジョシュアから目を離すことはない。森で熊に遭遇したときの対応と同じだ。

「レイナール。何をしていた」

 兵士たちも恐れを成す将軍の低い声、睨みつける鋭い視線は、レイナールだって恐ろしい。けれど、涼しい顔を保ったままで、言った。自分は悪くない。

「この人たちが、剣を投げて寄越したので。宣戦布告と取りました」

「ばっ」

 さすがに「馬鹿!」と言うのは憚られたらしく、男は口元を覆って、「何も言っていません」と首を振る。

 レイナールはジョシュアを見上げた。臆してはならない。しっかりと、言うべきことは言わなければ。

「ジョシュア様が私のことを令嬢のように扱うので、私が男かどうかを知りたかったようですよ。ねえ、皆様?」

 ぐるりと見渡して、ひとりひとりと目を合わせると、先ほどこそこそと喋っていた連中が、不自然に視線を逸らすので、丸わかりであった。

「私は確かに非力ですが、女性ではありません。私を馬鹿にすることは、グェイン将軍をおろそかにすることであると、わきまえなさい」

 高位貴族特有の、高圧的な「笑っていない」微笑を口元に湛え、レイナールは言い放つ。ジョシュアも含めてしん、と押し黙った空気を切り裂いたのは、拍手だった。

「いやはや、レイナール殿下はさすが、国王陛下とも堂々と渡り合っただけのことはありますなあ」

 隊長は、のんきに拍手をしながら、レイナールのことを褒めそやした。言葉だけ捉えれば、嫌味にも聞こえる。だが、彼の表情は柔らかく、レイナールに素直に感心しているのがわかる。

 権威に弱い兵士たちは、隊長が「殿下」とあえて呼びかけたことで、ようやくレイナールが、他国の王族であり、国王からジョシュアに託されたことを思い出して、青くなった。

「それにしてもお前たち……」

 隊長はギロリと部下たちを睨みつけた。先ほどまで気のいい笑みを浮かべていたから、その落差がすごい。思わず、こちらがぶるりと震えてしまう。

 呆然するレイナールをよそに、隊長は怒声を浴びせながら、兵士たちの元へと駆けていき、特に直接問題を起こしたふたりに関しては、拳を振るって制裁をしていた。

 自分もやり過ぎたから、ほどほどにしてあげてほしい……手の施しようがないほど怒っている人間を見ると、当事者なのに冷静になってしまう。

 レイナールはジョシュアを見上げた。彼は脱ぎ捨てられたコートをレイナールの肩にかけると、小さく頷いて、隊長と兵士たちの間に入った。隊長はいまだ怒りが収まらない様子だったが、部下たちに剣を持ったままで走らせることで、どうにか溜飲を下げた様子であった。

 ……という話を、帰ってきてからマリベルたちに話をした。ジョシュアも一緒にティータイムを楽しんでいて、こじんまりとしたタウンハウスに住み込みで働いている彼らは、主人にも物怖じせず、ふたりの外出の顛末を聞き出そうと、その場に留まっていた。

 アンディは軍人時代に戻ったかのように、ジョシュアの首に腕を回して部屋の隅へ連れて行き、何事かを話し始めた。ジョシュアの頭が微かに揺れている。

 マリベルは「育て方を間違えたようですね……」と嘆き、カールさえも、ジョシュアに呆れた様子で溜息をついている。

「仕事ぶりをレイナール様に見せたかったのは理解しますが、事前に何も言わずにお連れする場所ではありませんね。どうして先に、我々におっしゃらなかったんでしょう。相談されていたら、全力でお止めしていましたよ」

 と、散々だ。

「まさかそんな野蛮な男ばかりのところに、レイナール様をお連れするなんて……」

 泣き真似すらしてみせるマリベルを、レイナールは苦笑しつつ宥めた。

「森に行くのは、いい気分転換になったから」

 嘘でもなんでもなかった。森林浴は気分がよかったし、売られた喧嘩を買って立ち回ったことは、マリベルをこれ以上心配させたくないから言わないが、いい運動になったのは事実である。

「いいえ、レイナール様。ジョシュア様は何もわかっていらっしゃらないのです! もっとこう、街で評判の美味しいお店に行くとか、きれいなものを見に行くとか! どうしてこんな朴念仁に育ってしまわれたのかしら。お祖父様もお父様も、もっとスマートでいらっしゃったのに」

 ブツブツと言うマリベルに、さすがについていけずにレイナールも愛想笑いを浮かべるしかなく、視線を部屋の隅にやる。すると、アンディの話(おそらく説教か助言のどちらか、あるいは両方だろう)もちょうど終わったようで、彼はジョシュアの背中を、バシン、と叩いた。あまりに大きな音だったので、レイナールの方が驚いてしまう。ジョシュアは痛みを少しも感じていない顔で、一度、咳払いをした。

「その、レイ」

「はい」

「……今度の休みに、やり直しをさせてくれないか? 芝居でも見に行こう」

 恭しく手を差し出されたが、アンディたちの顔色をちらちらと伺いながらだったので、面白くなってしまった。

 レイナールは、彼の手を取らなかった。

「私は構いませんけれど、ジョシュア様、お芝居の最中に居眠りをしたりしませんか?」

 悪戯心を声に載せてからかえば、ジョシュアは再び、大きく咳をひとつした。

 どうやら図星だったらしい。

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