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<50話
「寝てもいいよ」
俊の言葉に、途端にとろんと目を蕩けさせた湊は、うん、と頷く間もなく、すぅ、と音もなく眠りに落ちて行った。がくり、と頭の重みで首が曲がり、下手をするとむち打ちになるぞ、と俊は自分の肩に湊の頭を預けさせた。
少しやつれたな、と俊は湊の寝顔を見てぼんやりと思った。やつれた理由はわかりすぎるほどわかって、心が痛む。そっと長い耳を撫でてやると、「ん……」と小さな声をあげ、湊は俊に擦り寄った。
可愛い、と思ったことを、否定することはできない。そんな戸惑いを押し込めて、俊は笹川に対して口を開く。
「藤堂刑事は、なんて?」
湊の記憶が戻った時点で、藤堂は部下に命じて倉橋家に連絡を密かに取らせていた。息子さんが行方不明になっていたのが見つかりました、と報告をしたところ、両親はあっさりと「そうですか」とだけ言った。
両親との折り合いが悪かったのは確かな様子だった。彼らは湊の暮らすアパートの家賃だけは支払っていたが、湊がどこで何をしようと関知していなかった。
「……まだ、彼らには自分の息子の身に何があったかは、知らせていない」
湊の両親が冷たい淡々とした対応をしていたものだから、誘拐されて、無事に救出されたところまでしか伝えられておらず、湊の遺伝子の半分は、人間ではなくなってしまっているということを、藤堂は伝えることができなかったそうだ。
誘拐前から家族との折り合いが悪かった湊が、ウサギの耳と尾を持つことになったと知ったら、悪化の一途を辿り、おそらく彼の家族は、二度と湊を顧みないに違いない。
俊も母との関係はあまりよくないが、父とは言葉少なながらも理解しあってきた。自分は家族に恵まれていないと思っていたのは間違いだった。
「ただ、両親はそんな感じだが、妹は泣いて心配をしていたそうだ」
「妹……」
兄妹仲は、親子関係よりは良好であったらしい。泣きながら、「お兄ちゃんはいつ帰ってくるんですか!?」と、湊の無事を告げた警察官に対して食ってかかったという。一人だけでも湊のことを心配してくれる人間がいてよかった、と俊は思った。
誰からも顧みられない、そんな孤独、湊が味わっていなくてよかった、と。
「でも、妹さんにも言えないですよね、こんな……」
それだけ慕っているということは、親から見れば放蕩息子で好かれていなかったとしても、妹から見れば自慢の兄だったのだろう。その兄が、男の性欲の対象とされ、愛玩の対象としてウサ耳をつけられたことを知ったら、ショックで倒れてしまうかもしれない。
いずれにしても、真実を告げるのは時期尚早だし、湊の意志を大切にしなければならない、と笹川は溜息をついた。
「そう、ですね……」
柔らかな湊の髪の毛が、頬をくすぐった。甘い寝息が耳に響く。 嫌じゃない。不快じゃない。胸の奥がちりちりと、暖かい炎でゆっくりと焦がされているような感覚に陥る。
「……お前が支えてやれ」
笹川の声に、言われなくても、と俊は小さく頷いた。
もう、覚悟は決まっている。
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