迷子のウサギ?(52)

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51話

 さすがに重くて湊を運ぶことは不可能だし、人目を気にしつつ一気に移動しなければならないので、湊を起こした。寝ぼけ眼を擦りつつ、ふにゃりと寝ぼけた笑みを浮かべた湊の頬を優しくぺちぺちと叩いて「しっかりしろよ」と俊は促した。多分に照れ隠しの要素も入っている。

 実家に行ったときよりも、一人暮らし――いいや、湊と二人暮らしか――のこのアパートの部屋の方が、「家に帰ってきた」という安心感が強い。

 まだ眠くてふらふらしている湊を促してなんとか着替えさせ、ベッドへと連れていく。湊はベッドに倒れこんで、そのまま枕を抱え込んだ。

 それほどまでに眠いのか、と俊は納得して、寝室を出て行こうとした。それを止めたのは、小さく嗚咽する、声。

「っ」

「湊?」

 枕を抱きしめたのは、涙を殺すため。俊は慌ててベッドの傍に戻り、湊の頭を撫でた。おずおずと顔を上げた湊の目には、大粒の涙。そして喉の奥から迸る悲鳴が上がる。

 もう、戻れない――!

 悲痛な叫びだった。普通の人間に戻ることもできず、家に帰ることも容易ではない。受け入れてはもらえない。ウサギのヒューマン・アニマルの悪評は、一般人の間にも当然広まっている。家族の元に行けば、彼らに迷惑がかかる。

 親のこと以上に、気にしているのは妹のことだろう。兄がウサ耳になったのだと知れたら、学校でも苛められる。湊は妹のことを、本当に可愛がっていたのだと俊は知った。

 おそらくは、車の中での俊と笹川の会話を聞いていたのだろう。両親には心配もされず、逆に妹には心配ばかりをかけている。そんな自分が情けなくなった。その結果が、この涙なのだろう。

「戻らなくて、いい……なんて言えないけれど」

 俊は湊の涙にぬれた顔を、自分の胸に押し付けた。シャツがまた濡れる。今日は泣いてばかりだ。仕方のないことだけれど、俊としては、湊には笑顔でいてもらいたいのだ。

「俺が、いるから……ずっと、傍にいるから」

 それじゃ、駄目か?

 俊の問いに、湊はふるふると首を横に振った。

「め、めいわく、かける……」

 今更だろう、と言ったら湊が傷つくのは目に見えているから、俊は言わなかった。

「そんなこと、ない」

「いつ、変に、なるかも、わかんない……っ」

 やはり急に訪れた発情は、湊を深く傷つけていた。また同じ状態になったとしたら、再び自分は俊の上に乗りかかって、行為に及ぼうとする。それがいけないことだということを、理性のある今はわかっているのだが、熱に侵されてしまえば、すっかり忘れて自分の中の炎を鎮めることだけを願ってしまう。

 二度、三度とそういことを繰り返せば、一緒にいたいと言ってくれた俊も愛想を尽かす。そうして捨てられた後は、どこに行くのだろう。

 湊はそう、考えていた。不安になっていた。俊のアパートを追い出されても、実家に帰ることもできない。

「変になったって、いいから! 俺が、お前に傍にいてほしいんだ!」

「嘘だっ!」

 湊が信用していないのは俊の言葉ではなく、自分自身だ。いつ来るかわからない、次の発情期に、異様なまでに怯えている。

 最後の手段、とばかりに俊は湊の手首を押さえつけて、ベッドに押し倒した。涙で真っ赤に腫れた目。そこだけ白いウサギのようだ、と思う。本気で抵抗すれば簡単に押しのけられるはずなのに、湊はきょとんとした目で現状を理解していない様子だった。

 答えはすでに、出ている。新幹線の中で、あれこれと考えた結果だ。悩むことは、もうやめた。一緒にいると居心地がいい理由。湊のことを可愛いと思う理由。さらわれたときも、乱暴されそうになったときも、心臓がつぶれそうなほど心配になった理由。全部、一つだったのだから。

「好きだ、湊」

 ぽわ、と湊の目が丸くなった。言われたことを消化しきれていないのだろう、呆然としている間に、キスをする。涙の味がした。

「……嘘、だ……」

「嘘じゃない」

「しゅ、俊の好きは、友情の好き、だろ?」

「違う」

 友情だけなら、頬ならまだしも、唇になんて、口づけるものか。わからせるために、もう一度俊はキスをする。今度はより深く。

 口の中は柔らかく、甘く、俊を受け入れる。発情なんてしていなくても、ここは熱い。舌でゆっくりと掻き混ぜて、それから離した。

「え、あ……なん、で」

「だから言ってるだろ、好きだって」

 嘘、とまた湊の口からぽろりと零れる。その度に俊は、湊の口を塞いだ。何度も繰り返して、ようやく湊は俊の想いを「嘘だ」と言わなくなった。キスのされすぎで唇が痛い、と文句を言う湊に対して、俊は「返事は?」と尋ねた。

 ――キスを拒まなかった時点で、答えはわかっているのだけれど。

 湊はキスで濡れたままの唇――赤いけれど、それはもはや、俊の中のトラウマを刺激するようなものではない――を薄く開いて、ごく小さな声で「俺も、好き」とだけ言って、恥ずかしくなったのか、ごろんと寝返りを打ってうつ伏せになり、顔を隠してしまった。

 好きだ、と言い、言われるだけでこんなにも胸が温かくなることを、俊は今まで知らなかった。今まで恋だと思っていた感情は、いったいなんだったのか。不思議な気持ちになる。

 絶対俺の方が先に好きだったのに、俊が俺のこと好きなんて聞いてない、などとぶつぶつ言っている湊の身体は、相変わらず俊よりも屈強で大きいけれど、引き締まった尻には茶色くてふわふわもこもことした、可愛らしいまん丸の尾がついている。つい誘い込まれるようにそれに触れると、「ふひえ!」と間抜けな悲鳴が湊から零れた。

「……弱点?」

「ち、ちが、違う! たまたま、だ!」

 真っ赤な顔に潤んだ目は説得力に欠けた。どちらかといえば顔も端正な男前といえるだろうに、俊の目には可愛らしく映る。

「湊」

 ゆっくりと覆いかぶさっていく。不思議そうな顔で湊は俊を見つめた。

「俺、発情期じゃない、けど……」

 揺れ動く瞳は不安を抱いている。

「発情期じゃなきゃ、しちゃ駄目だっていう理屈は、ないだろう?」

 だってお前は人間なんだから。

 愛情を示すために交わるのが、普通だろう?

53話

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