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<3話
「お前それ、エロ漫画ばっか出してる会社じゃん!」
スマホで調べ、ひとりが叫んだことで火がついた。高校時代とは違い、多少洗練された様子の九鬼は、眼鏡の奥の目を光らせている。
「そうだが」
冷淡な声音は、素面であれば威圧を感じるところだが、残念ながら全員がほどよくできあがっている。怖い物知らずもいいところ、九鬼の背中をバンバンと強く叩いてやめない。
「お前、絶対女の経験ないだろ? 童貞がつくるエロ漫画なんて、恥ずかしくて読んでらんねーや!」
ゲラゲラと下品な笑い声を立てる界隈に、気分が悪くなる。
やっぱり断ればよかった。一足先に社会人になったせいか、モラトリアムの最後のあがきとばかりに馬鹿騒ぎをする学生たちとは、話が合わない。
「ほんとあいつら下品だよね。姫はあんなの聞いちゃだめ!」
近くにいる取り巻きは取り巻きで、自分のことを生娘とでも思っているんだろうか。
上京してすぐに、アナルバージンは捨ててるっつーの。
焼酎のグラスを傾けつつ、九鬼の姿から目が離せなかった。
記憶の中にあるのと変わらない。オタクだなんだとからかわれても、びくともしなかった彼のことを思い出す。
学ラン姿の九鬼と、現実の九鬼をダブらせていると、千隼は「あれ?」と、気づいた。
酒の肴にされ続けている九鬼が、ジョッキを呷る。無表情のままだが、目の端が赤い。酔っているのかもしれないが、その割に蕩けた様子は皆無だ。
千隼はしばらく様子を見てから、立ち上がった。勝手に注文された甘いカクテルのグラスを手に、ふわふわした足取りで、九鬼を取り囲む集団に向かう。
「あっ、ごめーん!」
棒読みで謝ると同時に、ずっと九鬼に言いたい放題していた男の頭の上で、グラスをひっくり返した。乾いたあともベタベタするから、ビールをかぶるよりも悲惨だろう。
「何すんだよ!」
食ってかかろうとした男相手に、千隼はわざとしなをつくって反省の素振りを見せる。
「ごめんね。俺、酔っちゃって。足滑らせちゃった」
目をうるうるさせる。学生時代に身につけた技術である。
同級生はみんな、千隼の涙に弱い。きっと大学でも、女子の涙に騙されているに違いない。
案の定、酒をぶちまけた千隼ではなく、頭から酒をかぶった男の方が悪いという空気になる。周りはみんな、自分の味方だ。
「ほら。向こうで飲み直そう?」
小首を傾げて誘うと、ひどい目に遭ったにもかかわらず、男はほいほいとついてくる。デレデレした顔は気持ち悪いが、おくびにも出さない。
男の背を押して場所を移動させながら、千隼は振り返り、九鬼と目を合わせた。
彼の表情に揺らぎはないが、肩から力が抜けていた。
顔に出ないからといって、何も感じないわけじゃないのだ。九鬼ははっきりと嫌がっていたし、怒っていた。飲み会の雰囲気を壊さないよう、我慢していただけ。
あの日、九鬼が自分にしてくれたことを、今度は自分が彼に返せたようだ。
高校時代で唯一といってもいい、九鬼との思い出。
告白後、先輩にドン引きされ、「もちろん冗談ですよ。やだなー、先輩」とごまかして逃げたことは、千隼の心の傷だ。高校を卒業してからは、忘れた頃に疼く程度だが、振られた直後は、生々しく血を流したままだった。
男子校だからって、同志なんていない。ノンケの男の「可愛い」「姫」「愛してる」は信用できない……。
それまで受け入れていたお姫様扱いに、嫌気がさした。「不機嫌です」と、もろに顔に出してふてくされていても、周りはわかってくれない。姫がご機嫌ななめだぞ、と、余計にはしゃぐだけだ。
誰が千隼の機嫌を直すのかを競い合っている喧噪の中、大きな音を立てて立ち上がった九鬼に、注目が集まった。
彼は、はっきりと言った。
『いい加減にしろよ。そいつ、本気で困ってる。女扱いして喜んでるのはお前らだけで、姫野自身は楽しくもなんともないんだよ』
千隼の本音を看破して、取り巻きたちに苦言を呈したのは、まともに話したこともなかった九鬼だけだった。
きっとそのとき、自分は彼に助けを求めるような情けない目を向けていただろう。
それこそ、勇者に対して「守ってほしい」と懇願する、ファンタジー世界の姫君のように。
>5話
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