重低音で恋にオトして(6)

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5話

「あれ~? 松川まつかわじゃん。それに鈴木も。お前ら知り合いだったのかよ」

 耳障りな甲高い声で、しかも早口。顔を見なくてもわかる。石橋である。

 少数精鋭を謳う医学部は、学生同士はみんな顔見知りなのだろう。響一は石橋に会釈したあと、そのまま俯いて黙ってしまった。

 ここは年上で、石橋との付き合いも長い自分の出番だな。

 そう覚悟した敬士は、石橋をキッと睨みつけると、「そうだけど、なんだよ?」と、まともに相手をする気はないと示した。

 石橋は女をふたり連れていた。どちらも化粧が濃くて、髪色は派手だ。爪が凶器のように長いあたり、清潔さを求められる医学部の人間ではない。夏本番まではまだ時間があるというのに、半分下着みたいな格好をしている。

 これは敬士の偏見だが、おそらくは、将来有望な医者の卵と出会うためだけに入学した女に違いない。

 石橋はふたりにこそこそ耳打ちをした。すると、彼女たちは「やだぁ」と、楽しそうに嘲笑する。

「二浪でケーザイなんて、終わってるぅ」「てっちゃんとは全然違うじゃん」などと、敬士を馬鹿にしてくる女たちにも腹が立つが、それ以上に石橋である。

 この男はあろうことか、同じ医学部である響一のことすら、下に見ていた。

「鈴木も、俺たちとは話が合わないからって、こんな奴と付き合わなくてもいいだろ。お前んち、親父は医療関係ですらないんだから、コネづくりのために、付き合う相手は今のうちから選んだ方がいいぞ」

 例えば俺とか、を言外に匂わせた上から目線のアドバイスは、響一と敬士の両方を貶めるものである。自分のことはどうだっていいけれど、響一を馬鹿にされたのは、許せない。特に、彼自身の問題ではなく、父親の職業のことで貶すという点が、理解できなかった。

「親父さんが何者だろうと、響一に関係ねぇだろ」

 下の名前で響一と呼んだ敬士に、「おや?」という顔をしたものの、石橋は馬鹿にして、鼻で笑った。 

 敬士は頭に血が上がり、手を出しかけるが、こんなところで乱闘騒ぎを起こしたら、こちらの負けだ。何よりも、響一にまで迷惑がかかる。

 努めて冷静になろうと深呼吸をした敬士は、石橋に哀れみの視線を送った。

「そんな風に親のことを持ち出すことでしか、響一に勝てないんだろ」

 馬鹿にしていた相手から、逆に見下されるとは、思っていなかったのだろう。絶句した石橋に畳みかける。

「子どもは親を選べない。しょうもないこと自慢してないで、立派な医者になれるように努力しろよ」

「なんだと」

 粋がって脅しつけるようなセリフを吐いても、石橋は所詮、甘やかされたお坊ちゃんだ。凄みはまるでない。敬士はシッシッ、と追い払う。

 石橋は歯噛みしていたが、テーブルの上の教材を見て、底意地の悪い笑みを浮かべた。

「松川、お前さあ。馬鹿が努力したって、無駄なんだよ」

 努力しろと言われたのが癪だったから、敬士の努力を嘲笑うことで、溜飲を下げようとする。本当にむかつく奴である。

 拳を振るわせつつも、「無駄になることは、絶対にねぇんだよ」と、敬士は言い放った。

「確かに、努力しても自分の望む結果が得られるかどうかはわからない。でも、努力したっていう経験の蓄積は、自分の中に絶対に残る。他の場面で必ず生きてくるんだよ。必死で努力したことのないお前には、わかんないだろうけどな」

 ギラリと視線を光らせて石橋を睨みつけ、格好良く啖呵を切った。

 が、そのセリフは受け売りである。視線を向けなくても、向かいの席に座ったままの響一が、息を吞んだのを感じた。

 鋭い目つきに圧倒されたのか、石橋は大きく舌打ちをして、学食を出て行った。見た目からして頭が悪そうだったギャルふたりは、「あ、待ってよぉ」と、石橋に駆け寄っていった。

 ここまでのやり取りを目にしても、あの男につくとなると、彼女たちの見る目のなさが心配になる。

 石橋は、特に目立った特徴のない男だったが、「医者の息子=上流階級の人間である」というアピールだけは、昔から自信満々に行っていた。

 その言葉に載せられ、騙される人間は多かったが、少しでも賢ければ、彼の言葉は人を貶め、自分が優位に立つためのものであること、医学を志す者の態度ではないことは、すぐにわかるものだ。

 あいつ、昔から友達はいなかったよな……ああいう取り巻きみたいなのは何人か連れてたけど。

 中学のときのことを思い出して、遠い目をしかけた敬士を、「敬士くん、今のって……」と、控えめな響一が現実に引き戻す。

 敬士は少しだけ照れくさくて、彼の顔を直視できない。耳が赤くなっていなければいいな、と思いつつ、照れ隠しの笑みを口元に浮かべた。

「そっ。キョウのセリフ、パクちゃった!」

 それは、チャンネル登録者数が千人を超えたときの特別番組でのことだった。事前に視聴者からの悩みや相談事を、ラジオDJに扮したキョウが解決に導くという趣向だった。

 ちょうど、二浪が確定した日のことだった。

 楽天家の敬士であっても、さすがに参っていた。二浪させてほしいと親に頼み込むか、それとも大学進学を諦めるか悩んだ。

 そんなとき、受験生の視聴者からの「成績が上がらず、こんなことをしても意味がないのではないかと、勉強に身が入りません」という悩みが寄せられていた。

 めっちゃわかる!

 共感した敬士がじっと耳を傾けていると、キョウも深く頷いてから、ひとつひとつ言葉を選んで話し始めた。

『努力は裏切らない。努力は必ずしも実るとは限らない。俺はどっちも正しいと思います。ただ、実り方は自分が望んだものではないかもしれない』

 そんな言葉の結びとして語ったのが、先ほど敬士が怒りを滲ませながらぶつけたセリフだった。

 椅子に座り直して、敬士は改めて、当時のことを振り返って響一に頭を下げた。

「あのとき本当に、このままやってていいのかなって思ってた時期だったんだ。キョウのあの言葉聞いてさ、オレ、ちゃんと努力ってしてきたかなって振り返って……ガチでもう一年だけやろうって思って、親に頭下げて、二浪させてもらったんだ」

 それから死ぬ気で勉強しても、所詮は三流大学にしか合格できなかった。それでも、あのまま進学を諦めたところで、フリーターにしかなれなかかっただろう我が身を思えば、就職の可能性が広がったことは、大きな成果である。

 ラジオ風とはいえ、決められた台本の、言ってしまえば一般論でしかない陳腐な言葉だ。個人的に寄り添ってのものではないのはわかっていても、キョウの口上に載せられると、敬士にとっては金言になるのだった。

「あのラジオ風番組から、オレ、キョウのことがもっと好きになったんだよね」

 なーんて、告白みたいで恥ずかしいな……。

 頭を掻いた敬士に、響一は何も言わなかった。

 あれ? と彼の顔を見れば、なんだか赤くなっている気がする。

「キョウ……じゃなくて、響一? どうかした?」

 ハッとした響一は、ぶんぶんと首を横に振って「なんでもない」と言いつつ、「実は」と、打ち明けた。

「あの番組だけは、オレが全部台本を書いて喋ったんです」

「え?」

 共同運営のいとこは、いつも通り自分の書いた台本を響一に読ませようとしたけれど、彼は断った。

「実際の運営者はドレミの方だけど、視聴者は俺のことを頼って、メッセージをくれていた。だから、自分の考えをちゃんと話したかったんです」

 もう一年も前のことなのに、覚えていてくれて嬉しい。

 鼻の頭を真っ赤にして、響一は照れくさそうに俯いた。石橋の嫌味を黙って耐えていたときとは違い、嬉しそうにしている。

 敬士はなんだか、黙っていられなくなった。

 憧れのキョウが、自分の思っていたとおりの誠実な人で嬉しかった。許されるのならば、大声で「この人、オレの好きな人!」と、叫んでいるところだ。こんなに魅力的な男なのに、本人にはまるで自覚がないのが悔しい。

 身を乗り出して、響一の肩を強く叩く。どちらかといえば体育会系のノリで生きてきた敬士のパワーに、響一は衝撃に眉根を寄せながら、顔を上げた。

 まっすぐに目を見据える。眼鏡の奥の彼の目を通して、心に真っ直ぐ届いて、自信という名の花が咲くように。

「あの日の言葉はオレに刺さった! だからきっと、響一はいい医者になれる!」

 敬士はズブの素人だ。医者に向いているとか向いていないとか、実際のところはわからない。

 でも、響一の相手を一番に考えるところ、言葉を尽くそうとするところは、「人」相手の仕事に向いていると思った。実際上手に話せないとしても、真心はきちんと伝わる。

 医者に必要なのは、技術よりも話術よりも、誠心誠意相手と向き合う心ではないだろうか。

「でも、俺なんか……今だって、石橋くんに何も言い返せなかったし」

 肩を落とした響一に「ああもう!」と、敬士は自身の使っていたヘアクリップを素早く外し、彼の前髪をがっつり上げてとめてやった。

 へんてこりんな髪型になったが、鬱陶しいよりは、はるかにマシだ。

「視野が狭いんだよ! オレなんか、って言うな! ほら、こうしたらイケメンだし!」

 眼鏡を外すと、急に視界が悪くなったせいか、眉間に皺が寄り、瞳が潤む。普段の頼りない表情ががらりと変わり、敬士は思わず息を吞んだ。

 響一が自分を卑下するほどではないということは知っていたけれど……ここまでイケメンだったか?

「さ、敬士くん。眼鏡、返して……見えない」

 おずおずと返却を迫られるまで、敬士は響一の眼鏡を、握りしめたままでいた。馬鹿力でフレームが歪んでしまったかと慌てたが、かけ直した響一は、特に不具合を訴えなかったので、ホッとした。

7話

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