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<82話
脚本は、なんてことのない話だった。いくつもの童話の主人公たちを組み合わせた、いわゆるパロディもの。さすがに受験生だからな。イチからキャラクターを練り上げて一本の舞台作品を書き上げるのは、大変だ。
なんてことはない、と言ったが、なかなかに面白い。シャレが利いた脚本に、演じ手たちの全力の演技が乗っかって、笑えるシーンではどっと会場が沸く。
「先輩、まだかなあ」
ぼそっと柏木が言う。俺も同意見だ。
「王子様の出番は最後だと、相場は決まっているじゃありませんか」
こういう場で、私語は慎むタイプの呉井さんが、珍しくも小さく口にした。薄暗い会場の中でも、呉井さんは期待に満ち溢れた目をしているのがわかる。わかりやすく花形である王子役を演じる(はず)のいとこが自慢なのだろう。
俺たちも頷いて、楽しみにその時を待った。
時間的にもそろそろラストが近い。そのとき、ようやく王子様が現れた。
「あれ……?」
瑞樹先輩じゃ、ない?
舞台袖から出てきた、背格好だけで別人だとわかった。瑞樹先輩は、そんなに背が高い方じゃない。俺と同じか、ちょっと低いくらい。それに、痩せたとはいえ、ムキムキの筋肉マンではない。
場面は、王子がいばら姫のところにやってくるシーンだった。女子主体の舞台らしく、登場人物は今のところ、王子様以外は女子ばかりだった。孤独を愛し、百年のひきこもりを敢行しているいばら姫。彼女の心の平穏を守るために、百年後にやってくる予定の王子を撃退しようと、他の物語の主人公の孫娘たちが奮闘するコメディである。
いばら姫を最後に守るのは、しめ縄のごときラプンツェル(の孫)のみつあみ。高笑いするヒロインはどう見ても悪役で、ここまで自爆をし続けてきた他のヒロインたちの敵討ち(仇も何もないんだけど)と意気込んでいるが、空回りしている。
王子はあっさりと剣を振るい、みつあみを切ってしまう。悲痛な叫びをあげ、文句を言いに来たラプンツェル孫の唇に人差し指を当て、「ショートカットの方が可愛いよ」と口説き始める。他の孫たちもやってくるが、王子はひとりひとりに違う甘いセリフを吐き続けて、照れる者もいれば、吐き気を催すものもいる。結果として、全員が行動不能の状態に陥った。
そして閉ざされた扉が開き、いばら姫が姿を現す。
「っ」
俺たちは息を呑んだ。他の観客は純粋にその美しさに見惚れていた。俺たちは「彼女」の正体を知っているゆえの、驚愕だ。そして俺たち三人の中でも、柏木と俺たちの驚きの理由は異なる。
「瑞樹先輩、お姫様なの……?」
柏木の言葉の最後の方は、うっとりした調子になっていた。アイドル衣装も通ずるところのある王子様もよかったけれど、お姫様のドレスもよく似合っている。おそらく彼女の頭の中では、新しいコスプレ衣装の案でも浮かんでいるに違いない。
俺は柏木から視線を外し、そっと呉井さんを窺った。舞台上のライトが微かに照らす彼女の横顔は、はっきりとわかるほど青ざめていた。肩がわなわなと震えている。
舞台用にメイクを施された瑞樹先輩は、あまりにもよく似ていた。写真から「彼女」が抜け出てきたように。
呉井さんの唇が、小さく名前を呼ぶ。
「……るな、ちゃん」
呉井さんの心を捕らえて離さない「彼女」の名前を、俺はしっかりと記憶に刻み込んだ。
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