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<11話
そんなに心配なら、現場に立ち会えばいい。
和音の誘いに乗って、初めて収録部屋に入った敬士は、カメラに映らない物陰で、居心地悪くぽつんと立っていた。
不安に視線をさまよわせていると、響一と目が合う。彼は「大丈夫だよ」と口パクで敬士を慰め、笑った。
いやもう絶対顔出しでしょ。
そう思っていた。だが、開始三十秒前に、「じゃあ用意して」という和音の号令に従って、彼が持っていた何かを被った。そしてこちらに再び向き合った瞬間、敬士はブフ、と噴き出してしまった。
和音は先ほどの豚。響一は馬のゴムマスクを被ったのだ。なるほど、これなら生配信でカメラの前に出たとしても、二人を特定するには至らないというわけか。
全頭を覆う形なので、イケメンかどうかなんて、誰にもわからない。ファンの夢を壊さず、笑いを取ってごまかすという、ぎりぎりの妥協点である。
肩から力が抜けた。
でも、顔出しじゃないのなら、重大発表ってなんなんだろう。
生配信がスタートして、敬士の疑問はすぐに解消した。
『さっそくなんだけど、重大発表でーす。いえーい!』
和音は平素よりもテンションが高い。ドレミというキャラクターを作っている。響一はキョウとして、彼女の隣で口数は少ないながらも、的確なツッコミや進行を行っていて、いいコンビだった。
『なんと、私ドレミ、音無鈴香名義で小説家デビューが決定しました!』
鈴ノ音屋開設の理由がそもそも、自分の書いた小説をもっと読んでもらうための入り口にしたいというものだったので、和音の夢が叶った形になる。
音を立てるのはまずいので、敬士は音を立てずに拍手で祝う。あとでちゃんと言えばいいだろう。
そこから和音は、タイトルや出版社を発表、興味を煽るようにあらすじを語った。
『えーと、キョウです。初めまして、こんにちは……こんばんは、か』
ひとしきり本について語ったのち、馬マスクの響一が、ゆっくりと話し始めた。敬士は息を止めて、彼の言葉のひとつひとつを全身で聞く。
『相方のドレミが、いよいよ小説家デビューということで、俺の役目ももう終わりかな、なんて思ってたんですけど』
うっかり声を上げて抗議しかけて、口を両手で塞いだ。あわあわしていると、馬のマスクがこちらを向いて、笑っているような気がする。
『あんた縁起でもないこと言うのやめなさいよ。コメント欄が阿鼻叫喚の地獄になってる』
モニターを覗き込んで、「ははっ」と、今度は本当に笑った。
『ごめんなさい。うん、思ってはいたんだけどね。俺にはずっと一途に応援してくれている人がいるんだって思ったらさ、よっぽどの事情がない限り、やめるわけにはいかないよな……って。だから、しばらくはまだ、ドレミのわがままに付き合うよ』
かぶり物は外せないけれど、これがあの、「顔出しなんて無理」「ちゃんと話せない」「みんなを幻滅させてしまう」と、情けない顔をしていた男の姿だろうか。
堂々とカメラの前で、一度もつっかえることなく話している響一を見て、なんだか鼻の奥がツンとしてくる予兆がした。
『ということで、今日の配信ラストは、ドレミのデビュー作に出てくるワンフレーズを朗読したいと思います』
部屋のライトが切り替わる。無駄に照明に凝っていて、ムーディーなピンク色の灯りが、目にチカチカ痛い。
まだ本の形になっていない、ダブルクリップで止めただけのコピー用紙を手に、響一は軽く咳払いをして、ゆっくりと視聴者に語りかけ始めた。
『どうしてだろう。お前は、他の女たちとは違う。目も口も頬も髪も、すべて、他の人間と同じなのに。なぜこんなにも、触れたいと思う?』
『そうか。これが、人を愛するという気持ち……なあ、今度は俺から言わせてくれ』
紙から顔を上げて、響一はカメラを覗き込み、それから敬士を真っ直ぐに見つめる。馬のマスクの向こう側に、響一の顔がはっきりと見える気がした。
真剣な瞳に、誠実な微笑み。響一が、一番格好良く見える表情だ。
『愛してる』
「っ!?」
甘く掠れたウィスパーボイスは、敬士の股間を直撃した。
しまった。こんなことなら、家で抜いてくるべきだった!
中途半端なところで止めたせいで、ナマのイケボによる愛の言葉で、完全に股間が大暴走である。
Tシャツの裾をどうにか引っ張ってごまかしてみるものの、接近されれば、すぐにバレるだろう。
息を潜めている間も、配信はエンディングトークで盛り上がっている。
一度反応してしまうと、それが演技ではなく、素の声であってもダメだ。響一の低い笑い声が、ダイレクトにずしんと響く。下着のサポート機能はほとんど役に立たず、外から見ても丸わかりになってしまいそうだ。
抜きたい。でも配信が終わるまでは動けない。
『それでは鈴ノ音屋、これからもまだまだドラマを作って参りますので!』
『よろしくお願いします。キョウでした』
『ドレミでした~。ばいば~い』
馬と豚のいとこ同士がカメラに手を振っている。数十秒くらいそのまま振り続けて、カメラを止めた。
敬士は二人の横をすり抜けて、トイレに行こうとダッシュした。その手を響一に掴まれて、引き留められる。
「ちょ、あの、トイレっ!」
詳しく説明をすることはできず、トイレだけを連呼している敬士の頬は、熱をもっていて赤いに違いない。響一は少しだけ考えて、「あ」という顔をした。
和音は配信の後始末をして、こちらには注目していない。完全に視界から外れたところで、響一は少し屈んで、囁いた。
「トイレじゃなくて、俺の部屋で」
>13話
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