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<10話
結局、数回しか訪れることのなかった響一のマンションだったが、敬士は、道を覚えるのは得意だった。
大学近くに居を構えている彼の家までは離れている。電車に乗っている間も、そわそわして座っていられなかった。
エレベーターが五階に到着するまでも落ち着かず、扉が開いた瞬間、人がいるかもしれないという考えがすっぽ抜け、走り出す。幸い、誰もいなかった。
部屋の前に辿り着き、ピンポンとチャイムを鳴らす。イタズラか嫌がらせと思われそうなくらい、激しく連打した。
隣の部屋の住人が出てくる前に、早く出てきてくれ。頼む。
敬士の願いが天に通じたかは定かではないが、ガチャリと鍵が開く音がしたのは、目の前の扉だった。
「ちょっと、敬士くん。どうかしたの……?」
インターフォン越しではなく、直でドアを開けて対応することにしたのは、カメラで自分だということがわかっていたからだろう。
開口一番、名前を呼んだ響一の首根っこをぐっと掴んで、敬士は近所迷惑も省みず、叫んだ。
「顔出し配信なんて、するな!」
「はい?」
「響一の素顔知ってる奴、これ以上いらない! 全部オレだけにして!」
心の中に生まれた独占欲を全部ぶつけて、それでも足りなくて、敬士は響一の胸元めがけてアタックする。
苦しげな呻き声が頭上から聞こえたが、絶対に撮影場所には行かせるもんか。背中に腕を回し、ぎゅうぎゅうに締めつける。
「響一~? 何してんの? リハするって言ってんじゃん」
完全なる修羅場に、闖入者あり。
和音の声に、敬士はようやく我に返り、響一を見上げる。訳がわからないという間の抜けた表情であっても、彼はイケメンだ。想いを自覚したせいか、恥ずかしくなって頬が熱くなった。
「いやマジで何してんの?」
くぐもった和音の声に、「違うんです!」と、言い訳しようとした敬士だったが、彼女の姿を見て、「ぎゃーっ」と、悲鳴を上げた。
そこにいたのはサバサバしっかり系姉御肌の美女ではなく、怪人・豚マスクだったのだから。
人工的な肌色のゴム製マスクが、薄汚れているのがリアルで不気味だ。敬士は咄嗟に、響一の陰に隠れた。服の裾をぎゅっと握りしめ、恐る恐る覗き込む。響一が振り返り、微かに微笑んだ。
「和音。マスクマスク」
「あ」
忘れてたわあ、と明るく言ってのけてから、和音はマスクを取り、あっけらかんと笑った。
「ごめんごめん。で、何? 修羅場?」
響一が頷くより先に、彼の背後からひょこりと顔を出して、
「今日の生配信、響一に顔出しさせないでください!」
と、懇願する。
目をパチパチ瞬かせて、どうにか事態に得心がいった和音は、にやりと笑い、響一に意味ありげな目を向けた。
「ふーん。どうりで、あれだけ拒否ってたBLドラマやるって言い出すわけだ」
「和音!」
怒気をはらんだ声。けれど、敬士をちらちら見てくる目元は赤く、羞恥に染まっているようにも見える。
二人のやりとりについていけず、目を白黒させる敬士に、和音は自身の胸を強く叩いた。
「大丈夫よ」
と。
>12話
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