孤独な竜はとこしえの緑に守られる(44)

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43話

「陛下。あなたは今、正気じゃない。ナーガの幻術にはまっているのです」

 幻術? なんだそれは? 

 そんなこと、ありえない。ナーガは唯一の味方だ。今こうしている最中もきっと、自分の後ろに控えているに違いない。何か間違いがあったときには、表に出て助けてくれる。あれはそういう男だ。 

 いっそのこと、ベリル亡き後は彼を後宮に入れようか。顔の右半面は焼けただれているが、その欠点を補ってなお余りある美貌なら、貴族たちも納得するに違いない。

 名案だと歯を剥き出しにして笑うシルヴェステルに、カミーユが立ちはだかる。さあ、早く二人とも殺してしまおう。そして政務などそっちのけで、後宮でくつろぐのだ。

 可愛さ余って憎さ百倍、一歩ずつじりじりと二人に接近するシルヴェステルの耳に、「ジョゼフ!」という鋭い声が聞こえた。いつの間にか傍に戻っていたナーガの声である。

 ジョゼフ。これもまた、気に入らない男の名前だった。自分の有能さを笠に着て、カミーユやベリルに取り入った人間族。自分の妃であるベリルに対して、ぞんざいな口をきく、無礼な男。

 だいたい最初から、彼をベリルに付けるのは反対だった。二人が強く推したから、渋々受け入れただけ。

 ああ、もしかして最初から?

 最初から、自分は道化でしかなかったのか?

 ベリルはカミーユともジョゼフとも通じていて、三人でこそこそと睦み合いながら、シルヴェステルを嘲笑っていたのか。ベリルがいつもと違う顔で笑うのが浮かんで、シルヴェステルは喉を鳴らした。

 誰から殺すべきか、シルヴェステルは逡巡した。その間に、ナーガに呼ばれてやってきたジョゼフは、人間とは思えない俊敏さを発揮して、間合いを詰めていた。

 手に光るのは、短剣。まっすぐにシルヴェステルの心臓を狙って突き出してくる。

 剣術を修め、身体を鍛えているとはいえ、今のシルヴェステルは、嫉妬に心を支配されており、冷静ではない。反応が遅れ、とてもじゃないが避けられないと、覚悟した。

 竜王は竜人以上に頑健な肉体を誇るが、さすがに心臓にナイフを突き立てられるのは、致命傷となる。

 シルヴェステルは、反射的に目を閉じた。しかし、予想した痛みはなかなか訪れなかった。

「ベリル様!」

 カミーユの悲痛な叫びに目を開けたとき、急に頭の中の霧が晴れたような気がした。

 そしてそれは、ジョゼフも同じだった。暗い瞳をしていた彼は、状況を理解しきれていない様子で、呆けた。けれど、自分の手を伝い落ちていく血液に、にわかに正気を取り戻して絶叫する。

「あ、あああああ!?」

 咄嗟に短剣を抜いたジョゼフに、カミーユは「馬鹿!」と叫んだ。刺さったナイフが止血していたのに、急に抜いたものだから、間欠泉のように血が噴き出す。まともに頭から血を浴びて、ジョゼフは自分のしでかしたことへの恐怖に震えていた。

 兇刃に倒れ伏したベリルを、シルヴェステルは助けることができない。駆け寄ったカミーユが、必死に傷口を押さえている。

『陛下のことは、俺が守りますからね』

 ことあるごとに口にしていた彼の言葉を、どれだけ真剣に考えていただろうか。腕っ節も弱く、剣の才に優れていたわけでもないベリルに守られる事態などありえないと、聞き流していた。

「ふむ……そうなりましたか」

 この場にそぐわない冷静なつぶやきは、ナーガのものであった。明らかにこの男が悪いというのはわかっていたが、今は捕らえるどころの騒ぎではない。この口ぶりだと、殺す相手はシルヴェステルでもベリルでも、どちらでもよかったようだ。ナーガは修羅場に背を向けて、逃げ出す。追うよりも、ベリルの方が優先だった。震える手をシルヴェステルは彼に伸ばす。

 馬車に轢かれても無傷だったベリルが、どうしてこんな目に。

 痛みに喘ぎながら、ベリルはシルヴェステルの手を、弱々しく握り返した。

「俺が守るって、言ったでしょう……?」

 一度、ぐっと力が入ったかと思ったが、次の瞬間には指がほどけ、力なく腕が垂れ下がった。

 呆然とするシルヴェステルをよそに、加害者たるジョゼフは、血濡れの両手も構わずに、顔を押さえて泣いていた。

「俺が……俺のせいで!」

 抜いたナイフを拾い上げ、彼はふらふらと立ち上がり、自身の喉に刃をつきつけた。

「この命で、償いを……!」

 自害を図った彼を止めたのは、カミーユだった。火事場の馬鹿力ともいえる瞬発力で、ためらうジョゼフの手からナイフをたたき落とす。

「お前が死ぬのは今じゃない!」

 すべて証言するまでは、死なせない。カミーユの怒号に、ジョゼフはわあわあと泣いた。

 シルヴェステルは背後の二人のやりとりなど、まるで耳に入らなかった。

 竜王は必ず、愛した者に先立たれる。わかってはいたけれど、それはまだ遠い未来の話だと思っていた。

 命はこんなにも簡単に、失われてしまう。

「ベリル……! ベリル!」

 シルヴェステルは、ただひたすら、ベリルの名を呼び続けた。

 最後の方はすでに言葉ではなく、咆吼と化していた。

45話

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