クレイジー・マッドは転生しない(106)

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クレイジー・マッドは転生しない

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105話

「トラックに跳ねられて異世界に行けるっていうんなら、俺も連れていけよ。なんなら学校から飛び降りたっていい。ここは二階だから微妙だけど、運がよければ死ねる」

 俺は鎖を引いた。繋がった手錠によって、呉井さんの身体は容易に引き寄せられる。呆然としていたせいで、踏ん張って抵抗することも忘れているようだ。そのまま俺は、呉井さんのことを、手錠で繋がっていない方の腕を使って抱き締めた。

 無論、女の子を抱き締めるなんて生まれて初めてだ。緊張しないといえば嘘だが、それ以上にこの場面では、必要なことだと思った。

 瑠奈の言葉が思った以上に深刻に根を張った呉井さんの心には、荒療治が必要だ。俺ははっきり言って、瑠奈ほど口が達者じゃないし、頭もよくない。だから行動で示すしかなかった。

 俺には、俺たちには呉井円香が必要だ。転生後の君は、君自身ではない。

「ほら、どうやって転生したい? これからトラックが走ってそうな大通りまで出て、探そうか?」

 耳元に畳みかけると、抱いた呉井さんの身体が、ふるふると細かく震え始めた。そして、嗚咽交じりに「嫌」と呟く。

「嫌? どうして? 呉井さんは転生できると思ってるんだろ? 俺も一緒に異世界に行くだけだよ」

「ちが……う……」

「呉井さんとなら、どこに行ってもきっと面白いだろうなあ! 和風でも中華風でも、オーソドックスに西洋風でも。呉井さんはどんな世界に行きたい?」

 殊更に明るく言うと、呉井さんはとうとう耐え切れずに、叫んだ。

「ダメ! わ、私は……私は、明日川くんを殺したくないッ!」

 殺す、というキーワードに、俺はそっと呉井さんから離れた。涙の粒が真珠のようだ。指で拭うなんて、気障な真似はできない。俺はポケットからハンカチを取り出して、彼女に渡した。

「俺も。俺だって、呉井さんを殺したくない。死なせたくないんだよ。瑠奈のとき、呉井さんもそう思ったはずだ」

 目の前で命を絶った、大好きないとこ。何もできずに見送ることしかできなかった彼女に対して、呉井さんの心は罪悪感でいっぱいになった。

 自分ができるのは、彼女の遺言を守ることだけ。

「十七になったら、会いに来て。待ってるわ、って。瑠奈ちゃんは言ったの……だから、私、私は」

 すぐにでも後を追いたかったけれど、我慢した。十七歳と、彼女は指定したから。その日のことを――今日のことを、指折り数えて待っていた。

 わざと気取った喋り方をして、異世界転生を夢見る少女を装った。誰とも親しくならないように。誰にも本気で心配されないように。どうせ死に別れるのだ。お互いに傷は浅い方がいい。

 転校生の俺に声をかけ、どこから転生してきたのか聞いてきたのも、理由は同じだった。クラスの中で一人だけ、事情を知らない奴がやってきた。彼女は自分の容姿が他人の気を引くことを自覚している。俺が自分に興味を抱く前に、先手を打った。

 だが、俺に部活に入らないか勧誘してきた理由は、それだけじゃないだろう。

 きっと、誰かに自分を止めてほしかった。死への恐怖は根源的なものだ。いくら死を覚悟していたとしても、だ。心の奥底では、思想の転換を図るきっかけが欲しくて、瑠奈の精神支配から抜け出したくて、たまらなかった。

 何も知らない俺は、異世界転生を語る呉井さんにぎょっとしながらも、普通に付き合ってきた。瑞樹先輩たちによる圧力もあったけれど、なんだかんだ面白がっていたのは事実だ。

 俺を起点として、同じクラスに柏木や山本という友人もできた。

「呉井さんはもう、一人じゃない。だから、もう向こう側に急いでいく必要はないんだ」

 鎖が切れる音が聞こえた気がした。勿論、繋がった手錠はそのままだ。呉井さんは涙を流しながら、微笑んだ。

「瑠奈ちゃんは、怒るかしら……?」

「どうかな。案外、喜ぶんじゃないか?」

 何もかも自分の思い通りになることしか知らず生き、死んでいった少女。死後、ようやく自分の意のままにならない人間が出てきたことを、面白がるような気がする。悪魔のような女だったが、彼女を真に理解する人間が傍にいれば、結果は違っていたのかもしれない。

 いずれにせよ、日向瑠奈は死に、呉井さんは生きている。この事実は変えられないし、当分変えるつもりはない。

「俺たちと一緒に生きてほしい。まだまだ楽しいことがあるんだから」

「例えば?」

 具体的には……うん。俺もオタクだから、リア充的な青春の過ごし方はよくわからないんだよな。

「……一緒に探そうよ」

 呉井さんは笑う。心の底から。

 もしも本当に転生して、瑠奈と再会する日が来るとしても、それはまだ先のこと。人間、誰しもが辿り着く彼岸。

 その日まで、呉井さんは生き続ける。

「とりあえず今日のところは、帰ろうか」

「帰るにしても……」

「ああ、うん。大丈夫……」

 電話一本で、お迎えが来ますからね……。

 すぐに駆けつけた仙川は泣きそうな表情ながらも、俺を般若のごとき顔で睨みつけることは忘れずに、手錠の鍵を外してくれたのだった。

 呉井さんを送り届けてから、俺は仙川によって、瑞樹先輩宅に連行された。今夜は寝かせてもらえないようだ。

107話

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