愛は痛みを伴いますか?(6)

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5話

「下僕ちゃんどうよ? あ、性奴隷ちゃんだっけ?」

 わざわざ嫌らしい言い方で幹也を称した友人を殴りつけたい衝動を、ぐっと堪えた。

「性奴隷じゃねぇよ。俺にはそういう趣味はない」

 否定のセリフは短く、一言で。言葉を尽くして説明したところで、面白がりたいだけの連中だ。ムキになって否定するところが怪しい、などとからかいの材料を与えるのがオチである。雪彦は何でもない顔をして、講義の準備をする。

「哲学なんて、やる気になんねぇよなあ」

「ほんとほんと。医者になっても使わねぇし、時間の無駄」

 一般教養には、人文科学や社会科学系の学問も入っている。実際医師になったときに使うかといえば使わないだろうが、一概に不要であると、雪彦はどうしても思えなかった。大学側が必要だと考えている科目を、学生が勝手に切り捨ててはいけない気がする。

 声高に医者に文系科目不要論を唱える面々は、同調を求めているだけだ。真面目に議論をするつもりはない。雪彦が反対意見を言えば、場が白ける。

「お。柳の下僕ちゃんじゃん」

 講義開始まで、あと十五分。後ろから座席が埋まりつつある教室に、幹也が姿を現した。後方の空き具合を窺うことなく、一番前の座席に座ろうとするのを見て、友人たちはひそひそと幹也について噂する。

「葛葉って珍しい苗字だと思ったらさ、くずの葉総合病院の次男だってさ」

「あそこんち、息子二人いたの?」

 雪彦は、興味ないという顔を作りつつ、しっかりと耳をそばだてて情報を拾った。

 不本意ながら、主人と奴隷の契約を結んだが、雪彦は彼のことを何も知らない。実年齢は一つ下の同級生。そこに彼の家が大きな病院らしいこと、兄がいるらしいことが追加された。

「しかも、特待生」

 入試上位者は、入学金や授業料が減免される。一般家庭出身で、特別裕福ではない雪彦は喉から手が出るほどその権利が欲しかったが、夢のまた夢であった。

「あんまり頭よさそうに見えねぇのにな」

 それは、確かに。

 今は後頭部しか見えないが、幹也の笑顔には毒気を抜かれる。全開の裏表のない表情には、思慮深さのかけらも感じられない。何も知らない幼い子供。あるいは好奇心いっぱいの大型犬。雪彦に対しては「奴隷にしてください」と、いかれたことを言うものだから、余計に秀才には見えない。

 俺がご主人様なら、命令すれば、勉強とか教えてもらえるんだろうか。

 特待生ということは、幹也はオールマイティにできる男のはずだ。今日の講義が終わったら、聞いてみようか。

「しっかし、マジだりぃな」

「そうだ。下僕ちゃんなら、柳が命令すりゃあ、俺らの代返もしてもらえるんじゃね?」

 思わず、「は?」という声が出かかった。本当に発していたら、以降はハブられるところだった。現状、彼ら以外の友人がいない以上、誰とも話ができなくなるだろう。

 そうしようぜ、と盛り上がる仲間たちの視線が、こちらをちらちらと窺う。あまり猶予はない。

 雪彦は仕方なく、立ち上がった。ぞろぞろと友人たちが連なってくる。教室の前方に移動する雪彦たちを、大多数の真面目な学生たちは、若干の非難と軽蔑の籠った視線で眺めている。あるいは、雪彦の中の後ろめたさが、そう感じさせるだけなのかもしれない。

7話

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