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<7話
五月の連休も明けて、高校生活も少し慣れて、落ち着いてきた。哲宏の大きなお世話のアドバイスをよそに、私は相変わらず、風子と一緒に登下校をするだけの学校生活である。
一応、風子にも「部活とかしなくていいの?」と聞いてみたが、彼女は首を横に振った。何も考えていないようで、きちんと家の財政状況を理解している。祖父母が何か言うことはないだろうが、彼女なりに思うところはあるのだ。
だから私も部活はやるつもりはなかった。
だけど。
「お願い! 助けて!」
両手を合わせて必死に拝み倒してくる相手が、同級生であれば即座にお断りだ。しかし、彼女は先輩である。しかも、中学のときからの知り合いである。
「顔上げてくださいよ、香織(かおり)先輩」
短い髪の毛が似合う、ボーイッシュでサバサバしたところのあるこの人の、情けない姿は見たくない。香織先輩のお願いが何なのか、まだ聞いていない。聞いたら最後、頷かざるを得ない気がしている。
香織先輩は、片目だけを開けて、私を窺う。ああ、嫌な予感しかしない。
「バレーボール部に入って! じゃないと、試合に出られない!」
案の定、である。
先輩は、中学のときもバレーボール部で一緒だった。中学一年生の私を、「君、背が高いねぇ。バスケとバレー、どっちやるの? バレーの方が走る距離短いからラクだよ」と、強引に誘ってきた。
身体を動かすのは苦手じゃないから、という理由で入部したのを、少しだけ後悔した。
走る距離が短いのは試合のときだけ。基礎体力づくりに、ランニングは欠かせない。しかも場合によっては、ボールに向かって飛びつかなければならないバレーボールの方が、しんどいこともある。
すねあてやひざのサポーターがあっても、痛いものは痛い。
騙された!
気づいたときにはもう遅かった。先輩にはテストの過去問を貸してもらった。私にはいらなかったけど、風子には必要だった。
大きな借りを作ってしまったし、なんだかんだいいつつ、バレーボールは面白かった。
百合が原女子高等学校バレー部は、去年の三年生がごっそり抜けたあと、ギリギリで活動していた。
ひとりケガをしたらアウト、という状況で、なんとこの春、部員が家庭の都合で遠方に引っ越すことになってしまい、転校を余儀なくされた。
一年生の新入部員に期待をしていたが、バスケットボール部に部員を取られてしまったそうだ。バスケ部の部長はイケメン(女子校なので当然、女子なんだけど、イケメンとしか形容できない。遠目でもよく目立った)で、彼女に口説かれて落ちない女子はいない……とかなんとか。
このままでは試合に出ることすらままならない。廃部の危機!
焦った香織先輩は、私のことを思い出した。別に、忘れていてくれたままで構わなかったのに。目立たないように、息を潜めて生きているので。
「私、特進クラスだから授業終わるの遅いですよ」
普通クラスは毎日六時間目までだが、特進クラスは水曜を除いて七時間目まで授業が入っている。文化部ならまだしも、運動部員には、普通クラスの人が多い。先輩もそうだ。
特進クラスは、そもそも部活をすることを推奨されていない。そんな暇あったら勉強して、進学実績を上げてくれ、という学校側の本音が見える。
「それでもいい! 練習時間短くても、先生と相談して効率のいい方法考える!」
「それに、フーコのこともありますし」
香織先輩は、風子とも顔見知りだ。中学時代、私の部活が終わるのを待っている風子に、何度か話しかけていた。決して風子のことを馬鹿にしたりしない。だから私は、先輩の頼みを無碍にはできない。
「フーコって、あの子よね? ずっと一緒にいた……今も一緒にいるの?」
「ええ。普通クラスなんですけど」
ふーん、で流してくれるのは先輩のいい意味での無関心ゆえである。
一にバレー、二にバレー。バレーボールを通じて知り合った後輩である私のことは大切にしてくれるけれど、私のおまけである風子のことは、どうでもいい。
これがうちの母親だとか、哲宏みたいな人間だと、「まだ付き合ってんの?」「お前にはお前の人生がある」だとか、知ったような口で説教をしてくるんだけど、先輩は全部、
「ま、いいや! 限られた時間でも練習して、ちゃんと試合に出てくれたらそれで!」
で、流してくれるので気が楽だ。
ホッと力の抜けた肩を、香織先輩はバシバシと叩いた。相変わらずの馬鹿力に、ウッ、と息が詰まる。
「そんじゃよろしく! あとで今月の予定、連絡するから!」
喜びのあまりスキップする先輩に、何も言えなかった。
待って。私まだ、やるって返事、していないんだけど。
スキップでも先輩は、足が速かった。手を伸ばしても無駄である。叩かれて痺れた肩や背中をどうにか擦ったり伸ばしたりしてごまかす。
しょうがない。言い出したら聞かないんだから。他に部員が入ったら、どうにか説得して辞めさせてもらおう。
その日の放課後、私はいつものように風子の教室へと迎えに行った。四月の頃と違って、風子はひとりで椅子に座っていた。この時間で宿題でもやればいいのに、そういう部分には頭の回らない風子。
まだ何人か残っていた風子のクラスメイトは、私を一瞥すると、何事もなかったかのように無視をした。感じが悪いのはお互い様なので、別になんとも思わない。
「ののちゃん!」
ぼんやりと窓の外を眺めていた風子は、ガラスに私が映り込んだのに気づくやいなや、パッと振り返った。勢いよく立ち上がって、鞄を手にする。
「今日は遅かったね」
「うん……これからはもっと、遅くなりそうなんだ」
私はバレーボール部に入部することになってしまったことを、風子に話した。彼女は明るく笑うと、
「ののちゃん、バレー上手だもん。部活やったらいいのにって、ずっと思ってたよ」
なんてことを言う。
私はちょっと焦って、風子を説得しにかかる。
「でも、フーコと一緒に帰れなくなるんだよ?」
「? ひとりでも帰れるよ?」
何を言っているんだか。
そんな、きょとんとした顔を向けてくる風子に、無性に腹が立った。
一度だって、ひとりで真っ直ぐ帰れたためしがないくせに。
私がいなきゃ、何もできないくせに。
けれど、苛立ちを風子にぶつけたところで、きっと彼女は何も理解してはくれない。深呼吸を数回繰り返して、怒りを逃がす。
「……今日は帰ろう」
「うん!」
散歩に連れ出されて喜ぶ犬のように、風子は私の手を取り、くっついて歩き出した。
ほらやっぱり、ひとりでなんて無理じゃない。
>9話
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