恋愛詐欺師は愛を知らない(14)

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13話

 金曜の夜の街は賑やかだった。それでも、渋谷や新宿などに比べれば、この南青山エリアは「大人の遊び場」という雰囲気で、落ち着いた賑わいだ。

 駅から歩いて七分、ややわかりにくい裏通りに、目当ての店は、ひっそりと建っていた。

 流行に左右されない、シックな造りである。重厚な扉に、黒に金字で店名が書かれた看板は、高価な店のように見える。だが、その実かなり良心的な値段らしい。検索サイトでは、女性をデートに連れて行くと喜ばれる店、と紹介されていた。

 薫は扉を開ける。温かいオレンジの色味の間接照明が、キャンドルのように、薄暗い室内を照らしている。

 各テーブルには、《ロサ・ビアンカ》という店名になぞらえて、一輪ずつ清楚でありながら、あでやかな印象の白薔薇が飾られている。

 酒を飲ませる店特有の空気に、一瞬気圧されそうになる。良家の息子とはいえ、薫自身は一般的な高校生だ。こんな大人の店には、縁がない。

「いらっしゃいませ」

 という低く滑らかな男の声が、笑みとともに迎えてくれて、ようやく薫の肩の力が抜ける。

 薫は店主に促されるまま、カウンター席へと座った。

 薫はサングラスの奥から、抜け目なくカウンター内をを見渡すが、遼佑はいない。フロアに出ているのか、と素早く目配せしてみるが、どうやらまだ来ていないようだ。

 静の調査によれば、遼佑は金曜・土曜の夜、このバーでアルバイトをしている。イケメンバーテンダーとして、SNSで話題になっているそうだ。なるほど、よく見れば、遼佑目当ての女性グループもいる。

「えっと。飲みやすい、あんまり強くないカクテルがいいんですけれど」

 できればジュースで、と言うのは、さすがに憚られた。男はにっこりと笑うと、グラスにシロップやジュースを順番に注いだ。

「はい、どうぞ」

 ライムが飾られたグラスは、きれいな夕焼け色だ。口をつけると、爽やかな甘さが広がった。アルコール特有の臭いも苦みもなく、何杯でも飲むことができそうだった。

 そわそわと落ち着かない気持ちで待っていると、厨房から酒瓶を持って、遼佑が現れた。

「マスター。これでいいですか?」

 看護師がいい、いやCAがいいと話す同級生たちのコスチューム談義には、まったく興味を引かれなかったが、今ならわかる。

 黒いベストをかっちりと着こなして、カフェエプロンを巻いた腰は、高い位置にある。どれほど脚が長いのだろう。白く清潔なシャツの袖を捲り、惜しげもなく腕の筋肉を晒している。夜の仕事をしているのに、どこか爽やかだ。

 似合いすぎるのも、困りものだ。客の女たちの視線を一身に引き寄せても、遼佑は堂々と振舞っている。

 さて、なんと声をかけるべきか。そもそも遼佑は、カウンターの隅に座っている女が、薫だとわかるのだろうか。

 今日の薫は、またもや女装姿だった。素顔のままでは、あからさまに未成年で、バーに入っても、追い出されてしまう。二十代半ばに見えるように、静のときとも違うメイクを施し、念のためにサングラスで顔を隠していた。

 ちょうどグラスが空になった。今ならいける、と、喉の奥で声を整える。静以外の声を安定して出すのは、労力が必要だ。薫は、グラスを磨いている遼佑に、声をかけた。

「あの……」

「はい、お客様」

 遼佑は手を止めて、にっこりと微笑みを向けた。サングラス越しにも輝いて見えて、薫は思わず目を細めた。

「……同じ物が、欲しいんですけれど」

 空のカクテルグラスを掲げてみせると、ちらりと遼佑は手元の伝票を見た。そして一瞬、おや、という顔をした。

「何か?」

「あ、いいえ」

 首を横に振った遼佑は、マスターに声をかけようとする。薫は慌てて、「あなたに!」と、遮った。大きな声を出してしまった。

「あなたに、作っていただけたら、と……」

 今更、小声になっても遅い。薫は遼佑狙いの痛い女だと認識されただろう。

 遼佑は危なげなく、先ほど薫が飲んでいたのと同じカクテルを作った。

「お待たせいたしました。こちら、サマー・ディライトでございます」

 ありがとう、と受け取って、薫はサングラスを外した。会釈していた遼佑が顔を上げ、薫とばっちり視線が合った。

 第一声は、何と言えばいいだろう。薫が緊張で乾いた唇を舐めた、その瞬間、遼佑の表情が固まった。営業スマイルを浮かべていた口元は、引きつっている。

「お、お前……」

 メイクも違うし声も違う、ファッションも静仕様ではなく、仕事帰りの会社員をイメージして、固めの服装だ。

 すれ違ったとしても、高校の友人たちは薫だと気づかないだろう。自意識過剰な奴ならば、ナンパしてくる奴かもしれない。

 しかし、遼佑は目の前の女性客が薫だと気づいた。まだ一言も、話していないのに。

 地声で話す前に、薫だと気がついてくれた。次第に胸は、高鳴っていく。ドキドキとうるさい心臓の音を感じつつ、薫は女の声のまま、切り出した。マスターを驚かせるのは本意ではない。

「話がしたくて」

 電話には出ない。大学のキャンパスは広すぎて会うことはできない。そう判断した薫は、姉の所持しているデータを元に、一番確実であろう、バイト先まで訪ねてきたのである。

 ごめんなさい、と薫はまず、頭を下げた。

「この間のことも、それから今日、こうやって勝手に会いにきたことも……本当に、ごめん」

 真摯な謝罪をどう捉えたのか、遼佑は何も言わなかったし、表情も変えなかった。沈黙が落ちるのが怖い。何を考えているのか、わからない。

 それでも話は進めなければならない。薫は家で考えて、覚えてきたセリフを口にした。

「あの、この間言ったの、本気だから。あんなことしておいて、信じられないかもしれないけど……」

 一度切って、薫は目を伏せた。遼佑から見て、睫毛が震えて一番可憐に見える角度を考えた。

 恋する気持ちは計算によるものではない。けれど、その伝え方はある程度、確率アップのための方程式に、あてはめることができる。「イエス」という答えを引き出すためならば、薫は自分の演技力をフル活用する。

 薫は顔を上げた。大きな目で、遼佑を見つめる。遼佑の心を撃ち抜こうと、最後のセリフを述べる。

「好き、です」

 黙って聞いていた遼佑は、小さく溜息をついて、グラスを磨き始めた。反応のなさに、薫は口をぽかん、と開けた。

「……それ飲んだら、帰ってくれ」

 声は硬かった。まったく伝わっていないなんて。でも、と言い募るが、遼佑はグラスをやや乱暴に置いた。

「帰れって言ってるんだ……お前の話、全部嘘くさいんだよ」

 真剣な恋心を伝えたはずなのに、嘘つき呼ばわりされて、薫はショックだった。何も言い返せずに、遼佑をただ見つめる。視線は二度と、絡まなかった。

15話

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