青炎は銀の御巫の愛に燃ゆ(8)

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(7)

『で? あんた結局、帰ってくるのやめたの?』

 ルルは呆れ果てている。滝越しでよかった。直視しなくて済む。

 彼女には、人間に利用された恨み辛みをぐちぐち言っていた。

 人間に肩入れするからよ、と厳しいことも言うが、基本的にはホムラの味方であるルルは、一緒になって怒ってくれた。

 早く帰ってこい、こっちで楽しくやろう……その誘いに、つい先日までは乗り気であったのだ。

「うん。まだこっちで、人間についてよく知りたいと思って」

 精霊祭で見た花火や、シャビィから受け取ったドライフラワーなど、自然をそのままに扱うことをよしとする精霊には思いつかないものばかりだ。

 人間の感性やアイディアは、実は生活の随所に取り入れられていることを知った。よく考えてみれば、毎日入っている風呂だってそうだ。水を炊いて温めることを、精霊は知っていても、それではその中に入ってみよう、とはならない。

 一方的な憧れを抱くのではなく、彼らの中で生活をし、悪いところも含めて知ること。

 そうすることで、ホムラはより一層、人間を愛することができるのではないかと思った。

 ルルはまじまじとこちらを見つめている。表情はよくわからないが、怒ったり蔑んだり、悪い方の感情はなさそうだ。

『まぁ、勝手になさい。でも、イフリート様のことも考えてさしあげて。あんたがいなくて、なんだか寂しそうよ』

「まさか」

 間髪入れずに否定した。イフリートはいつだって、高位の火の精霊に傅かれている。自分のような出来損ないに構うのは、王とはいえ精霊である彼の、精霊らしさの表れで、気まぐれなものだ。ホムラひとりがいなくたって、イフリートに影響はない。

「便りがないのがいい便り、ってね」

『そんなんじゃないと思うけどね……』

 ルルとのやりとりは、毎日ではないが頻繁だった。いつもなら、そろそろレイニがやってきて、通信を遮断するところだったが、今日は現れない。

 いや「今日は」ではなく、「今日も」であった。

 ここのところ、レイニはホムラの庵に現れる頻度が減っていた。前までは、どんな些細なことであっても、また自身がどれだけ忙しくとも、ホムラの世話を他の人間にさせるものかと、並々ならぬ気迫でこなしていた。

 しかし、ここ三日ほどは、自分の手の者を派遣するに留まっていた。

「……」

 なんだか少し気にかかった。レイニはホムラに忠誠を誓ったが、あれ以来、あまり会えていない。これまで毎日顔を合わせていてのが、たった二、三日会わなかっただけで、どうしてこうも、気もそぞろになるのか。

「ごめん、ルル。おれ、ちょっと用事を思い出した」

『そ』

 ルルは名残惜しさを感じさせることもなく、あっさりと手を振り、どこかへ行ってしまった。

「さて」

 ホムラは行動を開始する。庵のある森から、レイニたちの暮らす村まで降りる。族長の一族が暮らすということで、ナパールの民の領地では最も栄えている村である。

 村人たちは、いつも通りだった。ホムラがひとりでふらふら現れたときに、「あら、精霊様。おはようございます。今日はおひとりですか? 珍しいですね」と、にこやかに挨拶をされた。

 思わず笑顔で「おはよう!」と、元気に返しそうになった。危ない。レイニ以外の前では、威厳たっぷりに振る舞わなければならない。

 しかも、嫋やかな水の精霊らしく、ゆったりとした動作で。どうも火の精霊は、せっかちで感情がすぐに表れる性質でいけない。

「ああ」

 だが、自分の素を隠そうと努めると、言葉が喉から出てこなくなる。レイニが隣にいれば、あれこれと先回りして取りなしてくれるが、ホムラひとりでは、円滑な対話も難しいことに、改めて気づかされる。

 実際、話しかけてきた女は愛想笑いを浮かべて、「では」と会釈をし、離れていった。

 やれやれ上手くいかないものだと思いつつ、ホムラは村の中をふらふらと歩く。

 ちょうど市が立っていて、人々が多くやってきていた。人間は好きだが、人混みは不愉快だ。ホムラが「どけ」と言えば、彼らは道の真ん中を譲ってくれるだろうが、横柄な態度は取りたくない。

 赤い実を寄越したのは、八百屋だった。精霊様に、と捧げてくれた店主に礼を言うと、ホムラは道の端に寄り、立ったままで実を囓る。

 甘酸っぱい果汁を堪能しつつ、耳を澄ませる。人間よりも発達した聴覚は、井戸端でああでもないこうでもないと喋っている女たちの会話を拾う。

 彼女たちの話は、九割は取るに足らない些細なことで構成されている。だが、残りの一割は、非常に示唆に富んだものが隠れているのだということを、ホムラは人間と過ごすうちに知っていた。

 レイニの居場所、彼が今、どんな立場にあるのかを知るのには、彼の従者に直接尋ねるよりも、女たちの噂話に耳を傾けた方がより正確なのである。

「ねぇ、見た? ティリア族のお姫様!」

「ちらっとね。ものすごく美人だったわ。レイニ様のお隣で、とてもお似合い」

 レイニの名前に反応したホムラは、女の肩を捕まえて、詳しい話を聞きたい衝動に駆られた。はやる気持ちを抑え、じっと動かずに聞き耳を立てる。

「お姫様も御巫でいらっしゃるんですって。レイニ様の若奥様になったら、ナパールもティリアも、精霊様の恵みをより一層受けられるようになるわ……」

 そこまで聞いて、ホムラは歩き出した。ティリアの姫君がどんな人間なのか、自分の目で確かめなければ。

 辿り着いたのは、周りの家よりもずっと大きな族長の屋敷である。召喚され、レイニとともに訪れて以来の再訪に、ホムラは人間のマナーとやらを思い出す。

 確かレイニはこうしていたよな……と、扉を叩いた。

 力加減が弱すぎたのか、一度目のノックに反応はない。二度目は強く、回数も多く叩いた。ようやく来訪者に気づいた様子で、初老の使用人は溜息とともに屋敷から出てくる。

「何事ですか。今日はレイニ様の見合いがあるから、何人たりとも近寄ってはいけないと……」

 そこでようやく、訪ねてきたのが精霊であることに気がついた彼は、泡を食った。青い顔で深々と頭を下げる。

「も、申し訳ございません! 精霊様! 何卒ご容赦を……!」

 取って食うわけもないのに、男はホムラの不興を買ったことを恐れている。宥めるほどの雄弁さを持ち合わせていないホムラは、首を横に振り、身振り手振りで落ち着くように促した。

「レイニは?」

「あ、あの、精霊様。レイニ様はその、先ほども申しましたとおり、見合いで……」

「レイニは」

 単語しか話さないことで、普段はない迫力が出ていたのだろう。ひぃ、と声を上げた男は、屋敷の奥へと引っ込む。玄関先でホムラは立ち尽くした。

 見合い。それがなんだというんだ。こちらはレイニが一生を捧げると誓った精霊だぞ。人間同士の一時的なつがい関係を結ぶことと、どちらが大切だと言うのか。

 苛立ちを隠せないまま、何度も足を踏み鳴らす。そうしているうちに、奥からどたばたと足音がした。

「……精霊様!」

 レイニである。彼の口から「ホムラ」という名前が出ないことに、より一層腹が立ったが、彼以外に名前を明かしていないのだ。レイニの心遣いであるとぐっと我慢した。

「レイニ」

 ともかく、自分の呼び出しにきちんと応じてくれたことに、まずは安堵して彼の名前を呼んだ。常ならば微笑みを返すレイニだが、今日は違った。どこか、後ろめたそうに視線を逸らす。

「レイニ様。こちらが?」

 彼の背後には、小柄な女が立っていた。レイニと同じ褐色の肌に、黄金の髪、海の青色を映す瞳。大きくはだけた鎖骨から首にかけて、入れ墨が入っている。目つきはいささか鋭い。ホムラの好みではないが、確かに美人ではある。

 レイニはのろのろと場所を女に譲った。

「精霊様。こちらはティリアの族長の姫君……」

「ピアナですわ、精霊様」

 紹介の言葉尻を奪って名乗りを上げたピアナは、同じ御巫であってもレイニとはホムラへの接し方が違う。あくまでも精霊を持ち上げ、最上級の敬意を欠かさないレイニと比べ、あまりにも不敵。

 ホムラは気分を害するが、これを「面白い」と思う精霊がいるのも事実だし、何よりもピアナもまた、美しい容姿をしている。

 スカートの薄い生地をつまみ上げて淑女の礼を取るピアナに、ホムラは「うん」と頷くに留めた。本当は、この場でレイニに「この女と結婚するのか?」と問い詰めたい気持ちはあれど、ホムラにも精霊としての矜持がある。

 この女の前で、みっともない真似だけはしない。立派な高位の精霊のように見せてやる。

 ピアナという女は、ホムラをじろじろと観察した。顕現して以来、こんな風にぶしつけに見られることはなかったから、大層不快であった。

「何を見ている」

「精霊様、失礼を……」

 代わりに謝罪しようとするレイニを、ホムラは手で制した。ホムラの視線に晒されたピアナは、心得たように跪き、頭を下げる。

「ご無礼をお許しください。精霊様」

 ティリアの民は、ナパールの地から離れた、海沿いの領地に暮らしている。

「そのため、私たちティリアの御巫は、水の精霊様との親和性が高いと言われております。実際、荒れた海を鎮めるためにお力をお借りするのも、水の精霊様です。地や風の精霊様は、なかなか声に応えてくださりませんので」

 ピアナは顔を上げた。

「ですので、水の精霊様の気配には敏感ですの。けれど」

「けれど?」

 見上げてくるその目に宿るのは、崇拝や畏敬ではない。

「……精霊様からは、水の匂いがいたしませんわ」

 疑念だ。

 ホムラが震える声で反論しようとするよりも先に、レイニが動いた。

「ピアナ殿! 我らを加護する精霊様に対して、何をおっしゃるのか!」

「……ええ、そうですわね。大変失礼いたしました、レイニ様」

 謝罪はレイニに対してのみで、ホムラ本人にはされない。どころか、見下したような目を隠さないピアナに、レイニはいらいらと「どうやら、我々はもっと話をする必要がありそうですね」と言い放ち、彼女を使用人に託し、部屋に戻るように言いつけた。

 彼女の姿がすっかり見えなくなると、「ホムラ様」と、レイニは言いにくそうに切り出す。

「あれが、お前の妻になる女か?」

 自然と声は低くなる。レイニは血相を変えて、ふるふると首を横に振った。

「いいえ。いいえ! 私は……」

「村でも噂になっていたぞ。お姫様は美人で、レイニ様と並んでもお似合いだ、とか」

 違います、とレイニは叫び、ホムラの元に跪いた。ホムラの手を取ると、そこに額をつけて、許しを請う。

 自分よりも美しく逞しい男が見せる哀れな姿に、ホムラは一度手を引こうとしたが、レイニは決して離さなかった。

「いいえ、ホムラ様。私は結婚などいたしません。すべての人生を、ホムラ様に捧げると誓いました……!」

 懺悔と忠誠の言葉に、ホムラの心は満ちていく。

「信じて、いいんだな……?」

 もちろんです! と、感極まったように叫ぶレイニに、「ならば許す」と言った。同時に、ピアナのことはどうにかするようにと指示をする。

 レイニに再びの言質を取ったのはいいが、問題はあの女だ。

『水の匂いがしない』

 そう指摘されたときは、肝が冷えた。

 気配だけで、精霊の司る元素を見分けることは、普通は不可能だ。よほど力の強い御巫でなければ。

(とんだことになったな……)

 嘆息は深いが、これからピアナと話をしなければならないレイニのことを思うと、自分の方がまだましな気がして、ホムラは彼の背を優しく摩るのだった。

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