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<2話
動物全般好きだ。だからヒューマン・アニマルも助けてあげたいと思った。だが一種だけ、許せない動物がいる。ウサギは現在アニマル・ウォーカーの保護対象に入っていないので、自分も相手をすることは絶対にないと思っていたのに、こんな落とし穴があるなんて。
目の前にいるのは似合わないウサギの耳をつけた青年だ。ウサギのヒューマン・アニマルといえばもっと小柄でふわふわして可愛らしいのに、身長だって一八〇センチはあるだろうし、鍛え上げられた胸板は華奢な少女を抱きしめる方が向いているだろうから、裏風俗で働かされるような風貌とは思えない。
だが実際に、彼は愛玩されるべきウサギの耳と、今は見えないが尾もつけているのだろう。ブリーチのせいかやや傷んだ様子の髪の毛と同じ、ミルクティー色の垂れた耳。ロップイヤー。似合わないし、可愛くもない。
「どうしてこんな奴と一緒に住まなきゃならないんですか、俺が!」
見ず知らずの俊に「こんな奴」呼ばわりをされて青年もカチンときたらしく、敵意に満ちた目を俊に向けて吼える。まるで肉食獣だ。
「いきなりやってきてなんだよお前! 実習とか一緒に住むとか訳わかんないこと言ってんじゃねぇよ!」
ぐるるるる、と威嚇の音さえ聞こえてきそうな様子に、一瞬、俊は怯んだ。だが相手は憎たらしいウサギだ。一歩も引くものか。冷静さを装うために一度眼鏡を外し、持っていたハンカチでレンズを拭く。
「こっちだっていきなり連れてこられて訳わかんないんだよ!」
ウサギの青年を無視して、俊は高山と笹川に向き直った。
「ちゃんと説明してください! あなた方にはその義務があるはずだ!」
その勢いに気おされたように高山は目を瞬かせ、笹川は「やれやれ」という様子で肩を竦めてみせた。
放っておいたらいつまでも睨みあって罵倒しあっていそうな二人だったが、高山と笹川が間に入ってくれた。高山は俊を、笹川はウサ耳男をそれぞれ連れ出した。
俊は高山に連れられて、病院の喫茶室にやってきた。窓際の席を確保して、不意に外を見やるとちょうど駐車場から出ていく笹川とウサギの青年が見えた。
「あれ、患者なんて嘘でしょう?」
鍛え上げられた筋肉やぽんぽん打てば響くように返ってくる強い言葉からは、病人の要素は一切感じられなかった。コーヒーを持ってきた高山に対してそう言うと、彼はただ一言、「身体はね」と言った。
「身体は? ってことは……」
「記憶喪失なんだよね、彼。で、彼は君の知ってるヒューマン・アニマルとはだいぶ、いや、全然違うんだ」
事の発端は五日前だったという。男の声で、「ヒューマン・アニマルが創られている」という通報があった。ヒューマン・アニマルを違法に作り出すのは風俗店であるため、生活安全課の警察官たちが出動した。
通報によって駆けつけた場所は、夜の歓楽街とは一切関係のない、閉鎖された病院だった。廃墟とまではいえない。大学病院や総合病院に患者を取られ、立ち行かなくなった結果、閉院を決めた個人病院。閉院自体は事件の一週間前だった。
元院長とともに慎重に捜査を進めた。だが人間どころかネズミの一匹も出てこない状況に、次第に通報は悪戯だったのではないか、という空気が捜査陣に流れたときだった。
手術室のベッドの上に寝かされた、ウサギの耳と尻尾を持つ全裸の青年が発見されたのだ。
「それが、あいつ?」
「そう」
すぐさま病院へと収容され、異常がないか検査が行われた。その過程で驚くべきことが判明した。
「彼は、元々は僕たちと同じ、普通の人間だ。ヒューマン・アニマルではない」
「え?」
ならばあの耳と尾の説明がつかないではないか。玩具だというのならば、随分と精巧な作りである。尤も少し前には感情変化によって動く猫耳の玩具が発売されたはずだから、そのウサギバージョンとでも思えばいいのかもしれないが。
だがあの血の通った様子は、本物の耳と尾以外には思えないのである。
俊の問いに対して高山は痛ましい表情を見せた。
「彼は何者かに拉致されて……遺伝子を弄られて、後天的にヒューマン・アニマルとしての特徴を得ることになったんだ」
言葉が出せなかった。通常ヒューマン・アニマルを生み出すための方法は、二つ。一つは受精卵の遺伝子を操作して、動物の物を接合する。もう一つは人間の卵子に動物の精子を注入する方法だ。コストパフォーマンスとしては後者が圧倒的だが、望むような結果が出ないことも多い。試験管ベビーを産むまでの技術力はまだ持っていない人類は、皆女の腹の中に命を宿す。ヒューマン・アニマルも例外ではない。後者の方法は母体にも影響が出るため、相当劣悪な業者しか行わない。
ヒューマン・アニマルは生まれてから死ぬまで、一生ヒューマン・アニマルだ。過去には外科的手術で耳や尾を切除したこともあるが、ひどく短命になってしまうために禁止されている。
高山の言葉を反芻しても、まだ信じられなかった。人間の遺伝子を弄って、後天的にヒューマン・アニマルにする? 元に戻すことは?
「これが公表されたら、どんなことになるかわかるかい?」
ヒューマン・アニマルを成人の姿になるまで十年間、養うことは必要がなくなる。海外ではいまだ人身売買が行われている。そういうところで買ってきた子供の遺伝子を操作して、ヒューマン・アニマルへと変貌させ、客を取らせる。
容易に想像ができた。俊は何度かアニマル・ウォーカーをしたことがある。だが所詮その制度は、ヒューマン・アニマルと人類は別物であり、人類はそれ以外の生き物に対しての責任を負う、その一点によって支えられている。明日は我が身だと思えば、そんな心の余裕は生まれようがない。
「だから秘密裏に捜査するしかないんだ。彼を拉致したのは誰で、その目的は一体なんなのか」
尤も、と高山は溜息をついた。
「彼から聞きだせれば一番いいのだろうけれど、残念ながら、ねぇ」
自分の名前も、年齢も、元住んでいた場所も何も思い出せないのだという。
アイデンティティの崩壊だ、と俊は思った。あのウサギの青年は確かにここに存在しているのに、それを証明するものは何もない。すべてがあやふやだ。
だからあんな風に、周りが全部敵であるかのように虚勢を張って振舞っているのかもしれない、と俊は思い当たる。だとすれば、ひどいことをしてしまったのかもしれない。
「便宜上、ウサオくんって僕たちは呼んでる。早く彼に思い出してもらわないと、第二、第三の被害者が現れるかもしれない」
「……彼の事情についてはわかりましたし、可哀想だとも思います。でも、それとこれとは別なんじゃないですか」
「これ、とは?」
「俺の実習相手のことです」
コーディネーターになるためには長期に渡りヒューマン・アニマルと共に暮らし、アニマル・ウォーカーとして体験実習を行わなければならない。その相手として高山が、彼を指名したのがわからなかった。
「ああ、それは身体はどこも悪くないんだから早くベッド空けてくれって言われた笹川に相談されて、実習それでいいやー、って」
俊は脱力した。そうだ、こういう人だった。真面目に考えているようで何も考えていないタイプだった。
「……俺、そんなに金ないですよ」
その一言は了承の証だった。ウサギは嫌いだけれど、彼は元々人間だという。理性の備わった人間であれば、あんな不幸な過ちは起こらないだろう。そう信じようと思ったのだ。
高山は嬉しそうに笑うと、「大丈夫大丈夫。笹川がウサオくんの食費と、あと服くらい買ってくれるから」と言って、訝しむ俊を後目にコーヒーを啜った。
>4話
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