<24話
「もう行っても無駄だ」
エリーの声に、ヒカルは強く反発した。
「そんなの、わかんないだろ! ただ単に、風邪ひいて寝込んでるだけかもしれないし」
語尾にかけて声が小さくなっていった。そんな単純な話ではないということは、ヒカルにもわかっていた。
桃子は、公園に来ない。それどころか、学校もずっと欠席している。本部に出入りしている黒田も、彼女の消息は掴んでいない。
信者たちはそわそわと落ち着かない様子だと、黒田は報告した。それとなく、桃子のことを尋ねても、彼らはにやりと笑って、小声で耳打ちするばかりだという。
『桃子様は、大事なお役目があるのです』
と。
「大事な、お役目?」
儀式の日が近い。教団内の慌ただしい雰囲気も、関係しているのだろう。
だが、そこに桃子が関わっているなんて、ヒカルは知らなかった。ウサギのぬいぐるみの耳を掴んで、エリーに詰問する。
「どういうことだよ、エリー。お前、何も言ってなかったじゃないか!」
ウサギの耳が引きちぎれんばかりに振り回しても、現実のエリーには何ら影響はない。まったくぶれない声で冷静に、「言われなければ知らない、で通用するとでも思っているのか?」と返ってきて、ヒカルは動きを止めた。
悔しいが、エリーの言うとおりだ。与えられたことを鵜呑みにするだけで、それ以上調べようとしなかった、自分の怠慢だ。ヒカルは唇を噛みしめて、ウサギをテーブルの上にたたきつけた。
「奥沢くん」
黒田は、ハラハラしながらヒカルの動向を見守っていた。彼の声を背に、ヒカルはしばし考えた結果、行動に移した。
目を閉じて、戻りたいと願う。
三秒後には、ヒカルの姿は、黒田家の居間から消えていた。
※※※
リターン・スキップはいつでも正確だ。元々生きている時間に戻るのだから、当たり前だが。過去で過ごした日数はきっちりと経過した時間軸に、帰還した。
だから、モニタールームにいたエリーは、今まで口論をしていた人間が、目の前に現れて驚いている。
「お前……」
「きちんと自分の目で、確かめるために戻ってきた」
ヒカルはエリーと睨み合った。
彼は、ヒカルに何かを隠している。龍神之業で二〇一八年三月に起きた事件の真相を、あえてはぐらかして伝えたのも、エリーの意図だ。
おそらくその理由は、いつものような愉快犯的なものではないだろう。もっと真剣に、ヒカルのことを考えた結果の行動のような気がするのだ。
エリーの瞳は、問いかける。
真実を知っても、お前は冷静でいられるのか。
わからない。でも、知らなければならない。桃子のことを本当に想うのならば、真実を知りたいと思う。
正史課の捜査員であるにもかかわらず、ヒカルはこれまで、歴史を軽視しすぎていた。ただの文字列ではない。過去にスキップして、事件の当事者たちが実際に息づいていることを知った。
カルト宗教は、すべて悪だと思っていた。滅びて当然なのだろうと、勝手に想像していた。
だが、教団の中にあって、苦しんでいる子供がいた。教祖である父には、利用される。一年しか通えない高校でも、宗教アレルギーの生徒たちから弾圧される。
そんな彼女の姿を目の当たりにして、資料の文字の裏には、多くの人の人生が隠されているのだということに、ヒカルは改めて気がついたのだ。
すべての物ごとに、きっかけがあり、原因があり、そして結果が残る。残ったものだけを「歴史」と呼んでいた自分が、情けない。
睨み合いは、唐突に終了した。エリーが視線を逸らしたのだ。彼は何も言わなかった。ただ、憐れみの色を湛えた瞳で、ヒカルを促した。
「パスワードは、0312、だ」
誰かの誕生日を思わせる暗証番号を、告げる。ヒカルはその場にあったパソコンに、自身の職員IDでログインをして、データベースにアクセスする。通常、弾かれてしまうページのセキュリティを、聞いたばかりの暗証番号で突破する。
時間犯罪対策課の人間にしかアクセスできないデータベースだった。時の政府によって隠蔽され、マスコミによって報道された、表向きの歴史ではなく、「真実の歴史」がそこには収められている。
ヒカルは検索窓に、「龍神之業」と打ち込んだ。瞬時に現れた文字列に目を走らせて、「そんな」と絶句した。
何度読んでも、書かれている事実は変わらない。表向きの発表とは異なる、真実は一つしかない。
ヒカルたちが、全身全霊で守り抜くべき事実。
『龍神之業の事件の発端は、教祖の娘・桃子の自殺によるものである……』
>26話
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