ごえんのお返しでございます【50】

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ごえんのお返しでございます

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【49】

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エピローグ

 その日を境に、僕のスマートフォンは、姉からの着信を告げることがなくなった。頻繁にやりとりをする友人は学校にはいないから、大輔や渚からの着信があるくらいのもので、静かな毎日を送ることになった。

 夏休みは平穏無事に終わり、九月。

 新学期になっても、人数の減ったクラスに増員があるわけではなかった。

 篤久は夏休みの間に退学届を出し、通信制の学校に編入した。

 事件から日は経っていても、篤久の愚行は、忘れられていない。彼の毒牙にかかった女子生徒は、決して彼のことを許さない。周囲の人間も同じだ。                                                                

 そんな場所に戻るよりも、逃げることを選ぶのは、賢明だ。

 美希の座っていた席は、新学期を機に、撤去された。花を用意するのも、最初は持ち回りだったのに、最終的には遠藤がすべて負担をしていたっけ。                                                                                                                                                 

 彼女もいない今、「席がある方が、美希のことを思い出してしまって悲しい」という、通るようで通らない理屈が、なぜか満場一致で可決されてしまった。

 遠藤からは、やっぱり何の音沙汰もないらしい。兄妹ふたりきりでの楽園をどこかで築いているのだと思うと、やっぱり喉に酸っぱいものが上がってくるので、彼女のことを考えるのは金輪際やめにしたい。

 青山と渡瀬も、始業式から欠席していた。何もなかった素振りで登校できるほど、彼らも図太くなかったらしい。ふたりとも、別の学校に転校するんだろうな。僕はぼんやりと思った。

 そしていなくなったのは、彼らだけではなく――……。

 放課後、糸屋に向かう僕を呼び止めたのは、大輔だった。まだまだ夏休みらしい、渚の姿も横にある。

 商店街のおばさんたちの間では、ふたりがいつの間にか恋人になったと持ちきりで、先日は、とうとう魚屋の親父さんのところに、大輔が挨拶にいって吹っ飛ばされただとかなんとか。おばさんネットワークとは、かくも恐ろしいものであった。

「よぉ」

「こんにちは」

「今日も行くのか?」

 僕はかすかに頷いた。糸屋へ、通い慣れた道を三人で歩く。

 わいわい言いながら先を行くふたりの後ろを歩き、こっそりと、ポケットの中に入れた糸切りばさみを握った。

 姉に対抗するための武器として、糸子から借りた、例のはさみである。

 自分に絡みつく黒い糸は、一度も見ることがなかった。姉の消滅とともに、本当に切れてなくなったのかは、わからない。

 だが、もはやどうでもいい気分になっていた。黒い糸は、ひょっとすると姉からではなく、僕から出ていたものかもしれない。

 篤久が、美希を求め続けていたのと同じように。

 僕が姉の死を信じられず、彼女を敬愛し、求め続けるがゆえに、真っ黒な糸になってしまったということも、考えられるのではないか。

「ごめんくださーい」

 古民家然とした店の前に着くと、大輔が扉を叩いた。反応はない。鍵がかかっていて、人の気配がない。

 消えてしまったのは、糸子も同じだった。

 僕が死闘を演じた次の日、糸切りばさみを返そうと訪れたときには、もう誰もいなかった。

 関係の糸が切れるようにぷっつりと、彼女は行方をくらました。

 彼女はいったい、なんだったんだろう。

 僕は最近、毎日のように考える。

 人間離れした女は、さようならすら言わせてくれなかった。貸してもらった糸切りばさみは、いつでも返せるように持ち歩いていたら、すっかり自分の持ち物のようになじむようになっていた。

 このはさみを握っているときに限り、僕には見えるようになっていた。

 大輔と渚の間に、輝く赤い糸が。

 人と人との間に、関係性の糸が見えるようになったのは、このはさみを通じて、糸子の力を分け与えられているからだろうか。

「なんだったんだろうなあ、あの人」

「さあ」

 人間が縁を繋ぎ、切り、関係性を育んでいく過程を見ることしかできないと言った彼女は、きっとどこへ行っても、同じことをするだろう。

 諦めた大輔と渚は、一緒に行こうと誘ったけれど、丁重にお断りした。

「せっかくのデートなんだから、僕みたいなおまけはいらないでしょ」

 言えば、真っ赤になったふたりの顔を拝むことができる。怒っているけれど、本気じゃない。照れ隠しなのがわかるから、僕はバイバイと手を振った。

 少し離れたところで、どちらからともなく繋がれる手を、僕はまぶしい思いで見つめる。赤い糸がより合わさって、太く、強くなる。

 いろんなことがあった。本当に。傷ついたし、傷つけた。命すら、危うかった。

 それでも最後に、大輔と渚が相思相愛結ばれた結果だけを見れば、じゅうぶんにハッピーエンドだった。

 人生というのは、そういうものなのかもしれない。

 僕は歩き出す。自分自身の生活へ。

 一度だけ、店を振り返った。

 このはさみがある限り、僕は糸子と繋がっている。

 そんな気がした。

 いつかは店をやろう。糸子のことを忘れないように。

 僕は彼女みたいに偏執なタイプじゃないから、糸だけじゃない、他の裁縫道具もちゃんと揃えて。

 ああ、売るだけじゃ芸がないな。僕はもっと、このはさみをはじめとして、ちゃんと道具を活かせる人間にならなければ、店主は務まらない。

 何せ僕は、糸子のようにカリスマ的な美貌だけで、人を惹きつけるような人間ではない。

 そして、赤い糸をドキドキしながら買いに来た人には、心から、前向きな気持ちでこう言うのだ。

「ごえんのお返しでございます」

 と。

 僕は糸を切っては紡ぐ、そういう星のもとに生まれついた男なのだから。

 (了)

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