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<69話
出発順は、俺たちが最後だった。そわそわしている呉井さんを、戻ってきた柏木が、「ぜんっぜん怖くなかったよ! 大丈夫!」と勇気づけている。
ひとつしかない懐中電灯は、俺が持った。細い三日月は、明かりの手助けにはならない。その分、星は美しく輝き、明日には帰らなければならないと思うと、なんだかセンチメンタルだ。
……そんな気分に浸っている場合ではない。
「なんだか、雰囲気がありますわね」
怖がるというよりも、ウキウキしている。昼間も通った道なのに、きょろきょろと辺りを見回している。
昼でも涼しい高原の気候は、日が落ちると途端に肌寒い。呉井さんは薄手のカーディガンを羽織っているが、腕を摩っている。あたふたと俺は、自分の着ていたシャツを脱いで、彼女の肩にかけた。
「ありがとう」
「ん」
もっとスマートにできればいいんだけど、俺にはこれが限界だった。
寒いからといって、速足にルートを回って別荘に戻るのは困る。俺は必要以上にゆっくり歩き、呉井さんとは違う理由で、辺りを見回す。
「呉井さん。ちょっとあそこで、星でも眺めてみない?」
「? ええ」
川べりの土手に、ハンカチを敷いて呉井さんを座らせる。スカートが夜露に濡れてしまえば、風邪をひくかもしれない。俺は頓着せずに、草の上に直接座った。
「きれいですね」
呉井さんは空を見上げている。まるで夢を見ているような瞳で、夏の星座を指でつないで確かめていく。
俺は思わず、その手を取った。
「!? 明日川、くん?」
びっくりしてひっこめようとした彼女の手を、そうはさせまいと強く握る。
言い訳のひとつも考えていなかった。衝動的だった。呉井さんが、遠い遠い世界へ行ってしまう。そんな気がして、引き留めた。
「……っ、その、なんでもない」
俺の錯覚に過ぎない喪失への恐怖を、どう説明すればいいのかわからなかった。おずおずと手を離した俺を、呉井さんが不思議そうな目で見つめてくる。
暗い中で見る彼女の目は、恐ろしかった。遠足のときも怖いと思った。でも、今はそのときの比じゃない。
透き通った目で彼女は俺を見る。一瞬でも逸らしてくれたら、いつもの調子で俺は、軽く話をできるのに。
でも、それじゃいけないんだ。俺は恐怖に駆られながらも、呉井さんをじっと見つめ返す。星空の下、見つめ合う男女。傍から見たら、恋人同士に見えるかもしれないが、残念ながらそんなんじゃない。
「呉井さん」
「はい」
ス、と息を吸い込んで、覚悟を決める。この問いかけで、すべてが変わってしまうかもしれない。いい方向に、ではない。悪い方へ。
それでも俺は、呉井さんとこれからも友人付き合いを続けていくために、聞かなければならない。
「異世界転生する方法は、見つかってるの?」
不意を突かれたかのような、気の抜けた表情を浮かべる。呉井さんはそれから、「そんなことも知らないの?」と、相手を子供扱いするときの笑顔になった。でも彼女が言ったのは、
「知るわけがありません。だって、転生を果たした方は、あちらに行ったきりなのでしょう? どうやったら転生できるのですか、なんてお聞きすることはできませんもの」
真逆の言葉だった。
嘘だ。そう糾弾するよりも前に、呉井さんは美しく微笑んで、俺との会話を拒絶した。
「ほら、そろそろ帰りませんか? 恵美が心配します」
立ち上がり、敷いていたハンカチを折り畳んだ。俺の持つ懐中電灯を取り上げて、彼女は先導する。
会話らしい会話はない。呉井さんは、俺が気づいてしまったことを勘づいている。不用意に発言をしないのは、そういうことだ。じっと彼女の背を見つめるが、一度も振り返らない。
それが答えだ。
彼女はこの世の生を放棄しようとしている。止めなければならない。瑞樹先輩も仙川も、きっと呉井さんの願いを知りながら、動かないでいる。何か事情があるのかもしれない。
俺と彼女は知り合って間もない。でも、俺が呉井さんを諦めたら終わりだ。
彼女が事を起こすのはいつになるのか。
それが問題だった。
>71話
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