桜待人

スポンサーリンク
桜 短編小説

 四月になってカレンダーは桜の花の写真に切り替わったが、実物を目にするまでにはあと一か月弱。それでも私は、今日から通うこの市立高校の桜並木に満足していた。

 野暮ったいセーラー服――タイも紺色で、黒のラインが入っている重い色合いの――に袖を通すと、母は溜息をついた。

城咲しろさき女子の特進に受かってるのに、なんだって……」

 私が進学先に選んだのは、市内で三番目の偏差値の学校だ。城咲女子の特進の方が進学実績もいいし、公立でも市内で一番の高校に合格できるだけの内申点も学力もあったけれど、断固として「ここじゃなきゃ嫌」と言い張った。

 高校の偏差値なんて関係ない。高校の名前でいい大学に入れるわけではないし、第一勉強は、学校だけでするものではない。

 私がこの高校にどうしても入学したかったのは、偏差値の問題ではない。部活、というのは少し当たっているけれど、青春を送るためではない。

 私の目的は、そう、「桜」だ。

※※※

 その年の冬は長く居座り、四月になっても雪が降った。北海道でも南に位置し、比較的暖かいこの街では珍しいことで、父は呑気に、「このまま寒い状態が続いたら、桜が開花しないかもしれないなぁ。公園にも雪が積もってるみたいだし」と身を震わせながら言った。

「それってどういうこと?」

 生まれた日に病院の窓の外に見える木が花をひとつつけていた。その様子に感動した父によって「さくら」と名付けられた娘の私は、当然のことながら、可憐な白い花のことを愛していたから気が気ではない。

 父の話によれば、標準木と呼ばれる桜の木に花が咲くことが、開花なのだという。他の木にどれほど花が咲こうとも、開花したことにはならない。

 本当かどうかはわからなかったけれど、父の言うことを私は信じた。春休み最終日、私は公園へと走った。普段ならば自転車で行く距離なのだけれど、雪が降り積もっているから不可能で、何度も転びそうになりながら公園へとたどり着く。

 管理人のおじさんに聞いて、私は標準木の元へとたどり着いた。看板を確認して、はぁ、と白い息を吐き出す。

 思ったよりも細い。どっしりとした強い老人のような木だと想像していたのに。これでは本当に、雪に負けてしまうかもしれない。

 囲んでいる柵は低い。きょろきょろと辺りを見渡して、えいっ、と乗り越えた。

 ごつごつとした木肌に触れる。冷たい。命の火が燃え尽きてしまうのではないか。そういう不安に襲われて、私は桜の木を抱きしめた。勿論腕が回るはずもないから、傍から見たらへばりついているだけに見えるだろう。

「負けちゃダメ……負けないで……きれいな桜、咲かせて……」

 目を閉じて、小さな声で語りかける。気休めに過ぎないとわかっていた。それでも。

 時間はそれほど経っていなかったけれど、どこかトリップしたような感覚に陥っていた。そんな私を現実に引き戻したのは、音だった。

 ――カシャ、カシャ。

「誰?」

 驚いて目を開け、振り返った。

※※※

 新生活はなんだかんだと忙しい。オリエンテーション、歓迎会、部活勧誘、身体測定。その合間を縫って図書室に行くことができたのは入学式の三日後のことだった。

 本を読むのは好きだけれど、目当ては小説ではない。人気のある図書を置いているコーナーからずっと奥へ、なかなか生徒の立ち入らない郷土史のコーナー。その隣の、学校史のコーナーに、お目当てのものを見つけた。

 五年前、「彼」は高校生だった。何年生かは知らないので、該当する範囲の卒業アルバムを持って、読書スペースへと移動する。

 寒い春の公園で、一度きり出会った。その後街中で再会することがあるかもしれないと、しばらくは遊びに行くときも買い物に行くときも辺りを気にしていた。その後は会うことはなかったけれど、顔ははっきりと思い出せるし、名前だって覚えている。

「……いた」

 重山しげやま直樹なおき。あの日見たのとまったく同じ顔で笑っている、あなた。目を引く美形というわけではないけれど、照れたような優しい笑顔がとても魅力的で、胸が温かくなる。

 今度スマホで撮影をさせてもらおう、と心に決めて、それから私はじっくりとアルバムを吟味し始めた。直樹さんの写真が目的ではない。「桜」を探さなければならないのだ。私の、このやり場のない恋心に終止符を打つために。

※※※

 ――泣いているのかと思った。

 突然現れた人物は、そう言った。手にはカメラがある。

「……泣いていると思ってて、写真を撮るんですか?」

 変な人、と言外に匂わせると、くしゃりと彼は顔を歪めて「ごめん」と謝った。自分の方がよほど泣きそうな顔をしているな、と思って、「別に。いいですけど」と早口に言う。

「何をしていたの?」
「桜が、寒さで死んじゃわないか心配で」

 ふぅん、と相槌を打つ年上の彼は、学ラン姿だった。友達のお兄さんが着ているのと同じだ。市内には学ランの高校は一つしかない。

 桜の木を見上げた彼は私よりもずっと背が高くて、背伸びをして高く手を上げて、桜の蕾に触れた。

「まだ全然硬いけど、たぶん大丈夫」

 なんであなたにそんなことわかるんですか、と普段の私なら食ってかかっただろうけれど、言いようのない不安に襲われた私を、彼の笑顔は落ち着かせてくれた。

「桜、好きなの?」

 初対面の年上の男の人に対して、私は不思議なほど緊張しなかった。勝手に写真を撮られていたのだから警戒すべきだろうに、柔らかな春のような雰囲気に、流される。

「そうか、サクラ、か。……君もサクラなんだ」
「君も?」

 ざざざ、と強く風が吹く。長い髪の毛が視界の邪魔をして、彼の表情がよく見えない。どこか遠くを見ているような、目の前の私を見ていないような……泣いている、ような。

「あなたの傍に、桜っていう人が、いるんですか?」

 こちらを見て、と言う代わりに具体的に尋ねた。すると彼は、教えてくれた。

「そう。同級生で、同じ写真部で……誰よりもおれのことを理解してくれる奴」

 そのときの彼の表情を、私は二度と思い出したくないのに、忘れることができない。だって彼が見せた顔の中で、一番素敵だったのだから。

「……好き、なんですか? その、桜さんのこと」

 墓穴を掘っている自覚はあったけれど、聞かずにはいられなかった。彼は思ってもみなかった問いかけをされた様子で目をぱちぱちと瞬かせていたが、すぐに「そうだね」と頷いた。

「おれは、サクラのことが好きだ」

※※※

 初めての恋は芽生えた途端に破れた。けれど私は今もなお、彼に想いを寄せ、諦めることができずにいる。なぜなら私は、直樹さんのことは知っていても、「桜」のことは知らない。

 一体どんな人なのだろう。直樹さんがあれほどまでに楽しそうに語ったのだから、きっと素敵な人なのだろう。直樹さんのことを考える以上に、「桜」のことを考える夜も、時にはあったくらいだ。

 中学二年のときに、告白をされた。相手は鼻の頭にいつもニキビを作っているような、冴えないけれど愛嬌のある同級生だった。嫌いではなかったし、付き合うのもいいかな、と思ったけれど、でも私は、直樹さんのことを思い出して彼の告白を受け入れることができなかった。

 「桜」という私と同じ名前の少女を、照れ笑いしながらも、「好きだ」と臆面もなく言った直樹さん。付き合うというのならば、私もあんな風に心の底から好きだと言えるような相手とじゃなければ、嫌だ。

 桜を探すために高校に行くことを決意したのも同じ時期だ。あまり交友範囲が広くない私は、友人も少なく、その伝手を頼ることができない。ならば自分自身の手で、彼と同じ高校に行って、「桜」の顔を見よう。どんな人物なのか探ってみよう。そう思った。

 そうすれば私の初恋は本当に終わりを告げ、また新しい恋ができるのだと、信じている。

 卒業アルバムは一番手っ取り早い手段だと思っていたのだが、残念ながら私は、「桜」を見つけられなかった。「桜」という名前の同級生はいたのだが、彼女はテニス部で、写真部ではない。

 アルバムの中の部活紹介のページで、直樹さんは微笑んでいる。その周囲には四人の女子生徒がいる。このうちの誰かが「桜」だと思ったのだけれど、それも違った。念のために他の学年の卒業アルバムも確認したが、「桜」という名前の写真部員は存在しなかった。

 直樹さんが初対面の子供であった私に嘘をつくとは考えられなかったから、写真部に「桜」が存在していたのは間違いないはずだ。途中で辞めてしまったり、転校してしまったのだとすれば、卒業アルバムから探ることは不可能だ。

 だとすれば、当時を知る人物を探して聞いてみるしかない。ルーズリーフにしたためた入部届を持って、次の日の昼休み、職員室へと向かった。

 この学校の職員室は変わっていて、生徒は決して中に入ることはできない。そのためインターフォンを使って教師を呼び出すのだ。初めてのことで緊張しながら、ボタンを押した。

「一年二組の九重ここのえですが、岡島おかじま先生はいらっしゃいますか」

 所用で不在ではない限り、このまま待っていれば先生はやってくる。

 岡島先生はすぐに出てきた。授業は持ってもらっていない。化学の先生だということは聞いていたので白衣を着ているのは納得だが、何をどうしたらこんなに変色するのだろう。

「ん? 九重、だっけ? 授業持ってないよな? なんか用か?」

 長く伸ばしっぱなしの髪の毛をがしがしと掻きながら、岡島先生は言った。

「あ、はい。これを提出したくて……」

 入部届、と書かれた封筒を目にして、先生はばつの悪そうな顔をした。写真部の顧問は先生だと伺ったんですが、と付け足すと、「確かにそうだが、うーん」と困ったようにまた髪の毛を掻き乱す。どうやら癖らしい。

「入部してもらうのは構わんが、うち、開店休業中なんだよね」

 その言葉の意味がわかったのは、放課後のことだった。それでもよければ授業終わったら部室に案内してやるよ、と言われたのでついていった。

 部室、というのは岡島先生の城である化学準備室の隣に設けられた小さな部屋だった。昔、フィルムカメラしかなかった時代には暗室として使用されていたが、デジタルカメラが普及した今となっては、暗室は不要だ。

 年季の入った看板がぶら下がっている扉を開けると、異臭がした。そして目の前の光景に、眉を顰めた。

 ごみ、ごみ、ごみの山。中身がまだ残っていて、黒いカビが浮いたペットボトル。数年前に限定販売されたお菓子のパッケージ。そんなものから、この山が築かれたのがここ最近のことではないことを悟ってしまう。

「だから言ったろ。開店休業中って」

 先生は肩を竦めた。なるほど、と理解はするものの、納得はできない。何をどうしたら、こんなことになるのだろう。

「写真撮りたい奴はだいたい、新聞部の方に行っちまうなぁ、最近は」

 三年前から部員数は減り続け、今在籍しているのも幽霊部員ばかりで、その結果部室は彼らの仲間たちの格好の溜まり場になっている。足でごみをかき分けながら、先生はどうやらあってはならないものを発見したらしく、舌打ちをした。また田中だな、と。

「どうするー。九重。これでも入部する?」

 俺としてはオススメしないよ、と先生は飄々としている。顧問をしている部活動が荒れていたり、新入部員が入らなかったら評価下がるんじゃないですか、と言うと、「俺別にそういうの気にしないしー」と、間延びした口調で言われてしまった。

 ぐるりと部室内を見渡した。大した広さではない。このくらいなら、頑張れば一人ででも片づけられるかも。

 五年前は、直樹さんがこの部屋で笑っていたのだ。ヒントはここに必ずある。

 簡単に諦めるつもりは、ない。

「入部しますよ」
「……あっそ」

 面倒なのが増えた、と言わんばかりに先生は肩を落とした。片づけは自分でやってね、先生は手伝わないから、と出ていく先生を慌てて呼び止めた。

「五年くらい前に、写真部に桜さんっていう女の子、いませんでしたか?」

 道すがらの会話で、先生が五年前にはすでにこの高校に赴任しており、写真部の顧問も任されていたことを聞いていた。先生が記憶喪失にでもなっていなければ、きっと知っている。

 先生は首を捻って少し考えて、言った。

「いいや、桜なんて名前の女子は知らないな」

 そんな馬鹿な。思ったことが珍しく表情に出てしまったようで、

「いや俺さすがにまだモーロクするような年じゃないからね!?」

 と、先生は言った。髭とだらしない髪の毛と白衣の汚れが寂れた中年感を醸し出しているけれど、なるほど、よくよく見ると、まだ肌にはつやと張りがある。

「でも先生、なんか、適当なところがあるみたいだからなぁ……」

 思わず零れた独り言は先生に捕捉されている。

「適当とはなんだ、適当とは」
「ああ、すいません。声に出てましたね」

 お前さぁ、と言ったきり先生は絶句した。なんとなく楽しい気分になったのは、高校に入ってから初めてかもしれない。どうしても「桜」を探すことに必死になって、クラスに馴染んでいるとは言い難い。

「先生、交換条件ですよ」
「……乗るかどうかは、聞いてから決めてもいい?」

 その後私は、岡島先生はだらしないしやる気もなさそうに見えるけれど、その実生徒たちのことをしっかり思いやる、ユーモアのある先生ということで、上級生には人気があるのだということを、風の噂で知ったのだった。

 どうしても「桜」を見つけたい私は、岡島先生に対して交換条件を提案した。いち生徒である私が入れないようなところ、調べられないデータはたくさんある。けれど岡島先生は先生という権限によって、それらを見られる。

 先生は、写真部顧問としてこの部室の惨状をどうにかしないといけない。部室の掃除は私がする。そのかわり、「桜」という生徒について調べてもらう。

 途中で転校したのか、退学したのか、それとも部活を辞めただけで、私がこの卒業アルバムの中から見落としてしまったのか。

 窓を開けて換気をするところから、掃除は始まる。ホコリと臭いから自分を守るためにマスクをして、セーラー服の袖を捲り上げた。

 掃除のコツは、大きいものからかたっぱしに、だ。保健室からもらってきた大きなゴミ袋に分別して捨てていく。週に三日と定められた部活の日程は、しばらく大掃除で潰れる。その後は「桜」探しで。

 ちらり、と壁際の棚を見る。そこには写真部の先輩方が撮影した作品の数々が残されている。きっと、直樹さんの写真も。そして「桜」さんの写真もあるのだろう。

 見たい、という衝動に駆られるけれど、我慢する。掃除のコツその二。興味をそそられそうなものには最後に手をつけること。

 何本も見つかった中身が入ったままのペットボトルはよく爆発しなかったものだ。ゴミ袋に入れてもこのまま捨てることなんてできないから、水道の場所まで行って中身を捨て、ゆすいでからラベルをはがして分別する。

 それだけで時間も労力も使い、部室に戻ってきた私は少し休憩しよう、という気持ちになった。比較的きれいに見える机の上に、腰を下ろす。

 行儀が悪いのはわかっているけれど、椅子の上はゴミ袋置き場と化しているから仕方がない。岡島先生が来たところで、彼は何も言わないだろう。

 窓から入ってくる風は暖かい。あの年とは違って。テレビのニュースでは、このままの好天が続けばあと二、三日で桜が開花するだろうと伝えていた。窓の外でも、膨らんだ蕾が揺れていた。

 桜は咲くけれど、「桜」は見つからない。早く掃除を終わらせて、棚の中を確認しよう。

「よし」

 決意して、机から勢いよく下りた。

 一週間も掃除ばかりを続けていると、さすがに気が滅入った。岡島先生からも何の情報を得られないし。

 そんな私を慰めてくれたのは、本来は貸出禁止の卒業アルバムだった。岡島先生に頼んで持ち出してもらった。直樹さんの笑顔を見るとほっとする。

「でも、何度見ても『桜』はいないんだよなぁ……」

 ぱらぱらとめくっていると、ふとクラス集合写真が目に入った。今まで個人写真と部活動紹介写真ばかり見ていて、そういえばクラス写真はあまり見ていなかった。

 直樹さんのクラスは、三年三組だった。該当クラスのページを開くと、別枠で映っている少年がいることに気がついた。

 凛々しい顔が、快活そうに笑っていた。夏服の城さがひとりだけ眩しい。集合写真の撮影日に、たまたま風邪でも引いていたのだろう。悪目立ちして可哀想だなぁ、と思った。

「よ、掃除やってっか~……って、またアルバム見てんのか」

 幽霊部員の先輩方の姿は一度も見たことがないし、岡島先生も週に一回姿を現せばいい方だった。だいぶきれいになったな、と呑気なことを言い、飴を投げてよこした。

「なんですか、これ」
「飴ちゃん。先生、禁煙チャレンジ中で口寂しいんだよね。掃除のご褒美に、あげる」

 先生は自分も某付きキャンディーの包みを破り、口にした。それに倣って私も飴を舐め始める。懐かしい味がする。

「それでさぁ、お前、なんで『桜』っていう生徒探してんの? こんなに必死に一人で掃除してさ」
「そういえば、理由、話してませんでしたっけ」

 話す必要あります? と、言ってしまったのは、気安さのせいだった。岡島先生はそのあたり心得ているようで、「ないの!?」と、芝居がかった様子で悲鳴をあげた。

 まぁ、岡島先生になら話してもいいか。もしかしたらそれがヒントになるだろうし。

 そのとき私は初めて、先生に直樹さんの名前を出した。初恋の人で、彼の恋人であった『桜』さんがどんな人なのか知りたくて、この高校に入ったのだ――と、最後まで話し終わってから、先生の顔を見る。

「先生?」

 驚いて固まってしまった様子の先生だったけれど、ゆっくりと息を吐いて、それから私の頭を、持っていたノートで叩いた。

「お前ね、それを先に言いなさい」

 そうしたら、もっと簡単だったのに。

 先生が持ってきたのは一冊の写真集だった。タイトルは『桜待人――祈り――』。カメラマンは。

「……直樹、さん?」

 満開の桜の大木の表紙。そこには重山直樹の名前。

「これって……」

 先生を見上げる。もっと簡単っていうのは、どういうこと。

「あいつが最近出した初めての写真集。大学行かないで写真の専門学校行って、外国のカメラマンに弟子入りしてさ」

 最後のページを見ろ、と先生は言った。他の写真は後回しにして、最後のページの作品を見る。

 表題にもなっている『桜待人』というタイトルがついた写真は、素人目に見ても表紙になっている写真と比べたら、下手だ。被写体の違いもあるにせよ、鮮やかさなど皆無。けれど、私は心を揺さぶられた。だって。

「……私、だ……」

 五年前の、桜の木を抱いて祈る私の姿。小さな後ろ姿だけれど、間違いない。寒さで凍え死んでしまうそうな木だったはずなのに、そこには確かな生命力が見えた。

「九重が『女』って言うからややこしくなったんだ。重山の大切な奴なら……ほら」

 先生は卒業アルバムを手にして、さっき私が見ていたクラス写真のページを開いた。指さしたのは、枠外に一人、ぽつんと笑う少年。

「でも、『桜』って……女の子の名前じゃないですか」
「サクラはサクラでも、桜っていう名前じゃない。こいつは、佐倉さくら武文たけふみ

 佐倉……サクラ、だ。そういえば、直樹さんは自分から一言も「恋人」「彼女」とは言わなかったし、私も「彼女さんですか?」とは聞かなかった。私と彼の五年前のやり取りは、ずれていたらしい。

「親友だったよ。俺の目から見ても、こいつらは本当に仲がいいんだな、と思った」
「佐倉さんは、今どこに……?」

 死んだ、と先生は言った。その声があまりにも淡々としていて驚いてじっと見つめる。違う。感情を堪えているだけだ。

「白血病。高二の秋口に倒れて。高三上がった直後に、死んだ」

 じゃあ、あの時の直樹さんの顔は、佐倉さんのことを想っていたからだ。遠くを見つめていたのは、佐倉さんが心配だったからだ。胸がずきりと痛んだ。

 同時に集合写真の違和感も解決する。彼は高三の秋、すなわち卒業アルバムの写真を撮る頃には、もうこの世の人ではなかった。おそらくは、あの写真が彼の遺影なのだろう。漠然と、そう思った。

「あとがき、読んでみろ」

 私の写真の次のページからあとがきは始まっていた。「二人のサクラへ」という副題がついていて、思わず息を呑んだ。

『この写真集は、二人のサクラに捧げる。

 大親友、佐倉武文。私の初の写真集を誰よりも喜んでくれるだろう、天国の君へ。君に見せたい写真ばかり選んだ。笑って見てくれていることを、信じている。

 名前しか知らない少女、桜。あの日の君を見て、私の撮影の被写体テーマは決まった。

 天を仰ぎ、地を見据え、目に見えぬ存在に、祈る。その瞬間、とても無防備な人々の美しさ。

 それを教えてくれた君に、感謝をしている』

 先生は見て見ぬふりをしてくれた。それどころかハンカチを渡してくれた。持ってます、なんて可愛くないことは言わずに、ありがたく借りる。意外なことにアイロンがしっかりかかっていて、それがおかしくて少し笑う。

「……なに泣きながら笑ってんだよ」
「いいえ、なんでも……先生?」

 いつか私は、直樹さんに会う。そしてこの写真集を持って、「桜です」と名乗る。あのとき聞けなかった佐倉さんの話を、たくさん聞きたい。

 恋心は、このあとがきによって昇華した。彼は私を覚えていてくれた。大好きだと語っていた、佐倉さんの隣に並べてくれた。

「誕生日プレゼントにカメラ買ってもらうんで、アドバイスください」

 プロのカメラマンの前で「写真部です」と名乗ったところで、何も知らないんじゃ説得力がない。スマートフォンのカメラしか使えないんじゃ、笑われてしまうから。

 先生は「久々のやる気に満ち溢れた部員のお願い、叶えないわけにはいかないね」と笑って請け負ってくれた。

 ――もうすぐ桜の花が、咲く。私の好きな。そしてあなたの大親友と同じ名前の、サクラが。

ランキング参加中!
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説家志望へ



コメント

タイトルとURLをコピーしました