耳たぶの献身

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短編小説

 盆の季節、田舎の居酒屋は繁盛している。「しゃーせー!」と、若いアルバイト店員の威勢のいい声は、半ばやけくそに聞こえた。

 広い座敷を一間借り切っての高校の同窓会は、年に一、二回開催されているが、私が出席するのは、久しぶりのことだった。

芙美ふみ! こっち帰ってきてるんだって?」

 声をかけてきた友人とグラスを合わせ、「母親がひとりで心配だからね。来週から出勤」と、簡単にUターン転職の理由を話す。

 父が病気で亡くなったのは、一年と少し前のこと。通夜にも来てくれた彼女は、神妙な顔をする。

「そっか……うん、看護師の芙美がいてくれたら、お母さんも安心だよね」

「そうかな」

 病院勤めで忙しいから、家のことはほとんどできないから、逆に迷惑をかける気がする。

(それに、私が早く結婚した方が、お母さんは安心するだろうし)

 同窓会に出席すると知った母は、拳を握った。

「まだ、イイ男が残ってるかもしれないじゃない!」

 と。

 そんな風に発破をかけられたものだから、同級生たちの左手が、なんとなく気になってしまう。

 半分はシンプルな指輪をしていて、残りの半分はしていない。ひとり、痕だけ残っている男子を見つけて顔を確認したところ、女遊びが激しいことで、在学中から有名な男子だったので、合点がいった。

「お。葉山はやま! おせぇぞ!」

 入り口付近の男子が声を上げた。名前に反応した筋肉のせいで、持っていたグラスの中の氷が揺れる。

 興味ありません、という顔で頑なにそちらを見ない私に、友人は「ふぅん」と唇を突き出した。そっと身を寄せて、耳打ちしてくる。

「まだ気になってんの?」

「……まさか」

 高校時代、私は葉山道久みちひさのことが、好きだった。そのことを知る数少ない友人である彼女は、「だよね」とビールを呷りつつ、賑やかな一団をちらりと見る。

「あいつ美容師やってんだけど、それにしても……」

 離れた場所からでも、彼のピアスの数が多いことはわかる。片耳に五個か六個ずつ、おそらく耳たぶに付けられる数としては、最大値だ。

 高校時代から、葉山くんはピアスをしていた。複数個開ける人も珍しくはないが、アラサー男性にしては、多すぎる。

 大学に通っているときは、目の前の友人も、髪をブリーチしてみたり、ピアスを開けたり、肌を露出して出歩いていたはずだが、そんなことは棚に上げ、「さすがにチャラすぎるって」と、言う。

 途端に、友人が老けて見えた。よく言えば、落ち着いたというべきか。けれど私は、あの頃のギラギラした彼女の方が、好きだった。田舎育ちのコンプレックスから逃れようともがいている彼女は、一生懸命できれいだった。

「なんであいつが好きだったの?」

 私は微笑んだ。いわゆる、曖昧な笑み、というやつだ。向こうは勝手に何かを納得して、引き下がってくれる。

 学生時代から、「好きだ」ということは打ち明けてあっても、具体的な相談をしたり、彼に惚れた理由をわざわざ述べることはなかった。今さら、話す気にはなれない。

 彼の左の薬指には、指輪そのものも、痕もない。法律上はフリーだが、あの頃よりも数が増えたピアスは、彼とパートナーの関係が健在であることを、示していた。

 修学旅行先の京都で告白に至ったのは、偶然と勢いが重なったからだ。

 行動班が、葉山くんと同じになった。「告白しちゃえば?」と、無責任に煽られて、意識はしていた。さらに、自由行動で他の班員とはぐれてふたりきりになったのだ。

「俺らまではぐれるとやべえな」

 と笑い、彼は私にソフトクリームを奢った。十月、北国育ちの私たちにはまだまだ暑くて、冬服のセーラーは重く、汗をかいていた。

「あ、ありがとう」

 財布を取り出そうとした私に、葉山くんは首を横に振った。

「ここは俺に、男を見せてくれよ。つか、お詫びだから、あとであいつらから徴収するし」

 本当のところは、違う。私が和雑貨の店の前で足を止め、「ここ見たいんだけど」と声をかけるも、ボリュームが足りなかった。テンションの上がりきったメンバーには聞こえなかったのだ。女子は、私の気持ちを知っていたから、あえて気づかなかったフリをしたのかもしれないけど。

 彼は「でも」の後は聞かないぞ、と涼しい顔をして、自分のソフトクリームを舐める。

 こういう、スマートなところが好きだった。 クラスの中心の彼は、よく目立った。教室の隅にいる私とは対照的で、最初は苦手なタイプだと感じた。

 きっと、こちらを見下している。いわゆる「陽キャ」タイプの男子って、いつもそう。

 小中学校という限られたコミュニティでの経験をもとに、私は勝手に判断をしていた。

 けれど、彼には私が予想していた傲慢なところは、ひとつもなかった。リーダーシップがあり、盛り上げ役。先生やクラス委員が困っているときは、自分がちょっとした意見を言うことで(往々にして、それはややずれていた)、「こんなこと言ってもいいんだ」と、空気を変える。そんな人だ。

 何か大きなきっかけがあったわけじゃないけれど、高校一年の間に彼の人となりを知ることがいくつもあって、そのうちに惹かれていった。

 横目で彼のことを窺う。上着を脱いで、シャツの袖を捲っている。この季節、地元ではもうなかなか拝むことのない腕の筋肉に、ドキドキした。顔に目をやれば、濃い藍色のピアスが目を引いた。

 いつの間に、開けたんだろう。

「お。あいつらようやく気づいたか」

 スマホで連絡を取り、落ち合う場所を決めた葉山くんは、通話を切って、「行こう」と、私に声をかけた。

 ああ、もう合流しちゃうんだ。もう二度と、ふたりきりになる機会はないかもしれない。 

そこから先は、衝動だった。

「葉山くん……好き、ですっ」

 それまで私は、自分が少し賢い女の子だと思っていた。告白するなら、誰もいないふたりきりの場所。あるいは古風に手紙もいい。

 理性的に、適切な状況を選べる人間だと、勘違いしていた。

 実際に、情動に身を任せたのは、観光地の往来ど真ん中。喧噪にかき消される。届かなくてもいいと思った。届かないでくれとさえ思った。

 果たして、背中は振り返った。届いた。届いてしまった。

 彼の目は驚きに満ちていた。丸まったのは一瞬で、目を細め、葉山くんは私と距離を縮める。彼が一歩進むごとに、期待に胸が膨らむ。

 しかし。

「ごめんなさい」

 頭を下げる。

 傷つきはしない。私なんか、最初から釣り合う相手じゃない。

「俺、ずっと好きだった先輩と、この間、ようやく付き合えるようになったところで。だから、木下きのしたとは、その、ごめん」

 顔を上げ、彼は耳たぶのピアスに触れる。正面からまじまじと見て、左に一個しか開いていないことに気がついた。

「それ、もしかして、彼女さんからのプレゼント?」

 私の言葉に、初めて自分がピアスを弄っていたことに気がついた葉山くんは、パッと手を下ろした。

「うん。そう。毎年、誕生日にひとつずつくれるって」

 私なら、赤いピアスにする。藍色は暗すぎるし、もっとキラキラした石の方が、彼のキャラクターに合っている。

「ごめんね、困らせて。このことは、忘れて……」

 それがお互いのためだと言いかけた私に、葉山くんは首を横に振った。

「忘れない」

「え?」

 聞き返すと、彼は真剣な顔をしていて、思わず口を開けたまま、見惚れてしまう。

 ずるい。ただのお調子者だったのなら、私は。

「だって木下、今、めちゃくちゃ勇気振り絞ってくれただろ。そういうの、忘れたくないんだよ、俺」

「葉山くん……」

 優しい彼は、言うとおりに忘れたフリをしてくれるとばかり思っていたから、驚いた。

「自分勝手なのはわかってるけど、でも」

「ううん……本当は、忘れないでほしいのかも」

 私の気持ち、私の勇気、行動。最初からなかったことにされるのは、悲しいこと。

 合流してから、葉山くんは私の方を見なかった。これがいつもの距離感、接し方だ。 

 彼は本当に、誰にも言わなかった。からかわれたりすることなく、ただ、淡々と季節は過ぎ行く。

 三年生でクラスは分かれた。秋に見かけた彼の耳には、同じ色のピアスが増えていた。

 ピアスの数は、今年の誕生日で十二個。これ以上は耳たぶに穴を開ける限界を迎える。

 そろそろ、彼らは結婚するつもりでいるのかもしれない。

 配属されたのは、小児科だった。

 子どもは嫌いじゃない。好きだと言うには、彼らと触れ合いすぎてしまった。

「木下さん。精神科ってもう覚えた?」

 脳内に館内図を浮かべて、頷いた。医師が忘れていった書類を届けてほしいと言う。中途半端に電子化をするから、余計に忘れ物が増える。

 走らず歩かず、病棟へ。精神科は小児科と比べて静かで、病室の壁の中の人の息遣いまで、伝わってきそうだった。

 書類はナースステーションに預け、さっさと自分の持ち場に戻ろうと踵を返す。

 笑顔で見知らぬ老人に挨拶をしながら、階段を下りようとして、ふと人の気配を感じ、立ち止まった。

「……葉山くん?」

 車椅子を押す、派手な男性。思わず呟いた名前を、彼は聞き取り、振り向いた。

「え? 木下?」

 目をぱちくりと瞬きする。なんでここに、と雄弁に語っているので、「転職して、一週間前からここの小児科にいるの」と応じた。

「そっか……戻ってきてたんだ」

 葉山くんは一瞬、車椅子の相手を隠す素振りをする。だが、看護師である私なら、いくらでも情報を手に入れられるということに思い当たり、無駄だと悟った。

 車椅子の主は、同世代の女性だった。ゆるく波うつ髪は艶が失われている。

 彼女はうつろな目で、うさぎのぬいぐるみを抱き、親指を銜えている。見覚えのある顔に、私は思わず、「あっ」と、声を上げてしまった。

 葉山くんの言うところの、先輩だ。確か名前は、花岡はなおか……。

「花岡、瑠璃るりさん?」

 そうだ。花岡瑠璃だ。私たちよりも一学年上。何かと目立っていたのは、クールな美人だったから。憧れている子は、大勢いた。

 名前を呼ばれたことに気づき、先輩は私のことを認識した。とろんとした目つき、小首を傾げて、「だれ?」と、言う。

 咄嗟に屈んで、私は彼女と目を合わせた。前の病院でも、小児科にいた期間が長かったから、自然と身体が動いた。

「こんにちは、瑠璃……ちゃん。初めまして」

 看護師の格好に安心して、「こんにちは」と、微笑んだ彼女は、見た目は大人だが、あまりにも舌足らずで、幼かった。

 上の空で相手ができるほど、子どもたちはじっとしてくれない。勤務中は頭の片隅に追いやっていたが、更衣室で着替えているときに、ふたりのことがふっとよみがえってきた。

 明らかに長期入院中といった様子の、幼い彼女。車椅子を押す彼。仕事中で、あまり話すことができなかったのが、悔やまれる。

 院内の人間だから、花岡先輩の病状を知ろうと思えばできる。やらないけど。

「お疲れ様です」

 まだ更衣室にいる同僚たちに一礼して、外へ。スマホを出すのは、病院から出てからだ。大抵は、なんとなく登録した店の宣伝だが、今日は違った。

「ん?」

 見知らぬ人から、フレンド申請が来ていた。何も見ずに拒否しそうになったけれど、「葉山」という名前に、踏みとどまる。

『木下、時間取って話せる?』

 一も二もなく返事をして、私は彼が指定する店へと向かった。高校時代はよく遊んでいた界隈の、あの頃にはなかったカフェだ。

 葉山くんは所在なさげにアイスコーヒーをストローでかき混ぜていた。私に気づくと、片手を上げる。

「わざわざごめん」

 私は首を横に振る。

「ううん。私も、葉山くんと話をしたかったから」

 小腹が空いたけれど、ケーキセットはぐっと我慢する。注文したアイスカフェオレが届いてから、葉山くんは、「びっくりしたろ?」と、静かに話を始めた。

 彼曰く、先輩は五年前に交通事故に遭い、脳に深いダメージを負った。直後は家族や恋人である葉山くんのこと、自分自身についてもある程度把握できていたけれど、時間が経つにつれて、記憶障害が表れ、今は幼児退行も進んでいる。

 恋人は家族ではなく、詳細は葉山くんも知らないし、彼の話だけで断じることができるほど、私は医療職の矜持を捨てていない。

 結果、しんみりと相づちを打つことしかできず、彼は居心地が悪そうに、忙しなく耳たぶを弄った。

 ふと思い出して、彼のピアスを確認する。

 修学旅行で見せつけられた深い青の石は、変わらず左耳の一番いいところを占めている。同じ色のデザイン違いは、一、二……七つ。

 私の視線に気がついた彼は、耳を弄るのをやめた。恥ずかしそうに笑って、コーヒーを飲む。氷はもうほとんど残っていなかった。「毎年ひとつずつ、先輩がくれるんだっけ?」

 驚いて手を止める。葉山くんは自分が惚気た内容までは忘れているようだ。

「瑠璃が事故に遭ってからは、自分で買ってるんだ」

「だからって、全部つける必要はないと思うけど」

「確かに」

 今はじめて思い当たったと目を丸くした葉山くんを見て、私は笑う。

 高校時代だって、こんな風に親しく話をしたことはない。当たり障りのない同級生。告白した/されたという事実は、お互いの胸に秘めていた。

 大人になった今、いい友人になれるかもしれないと思う反面、胸はズキズキと痛みを訴えている。

 いいなあ、と。葉山くんはずっと、葉山くんだった。

 見た目も言葉遣いも軽いのに、本当は誠実で、他人の気持ちを真正面から受け止めて返そうとする。そんな彼に、一生を捧げてもらえる先輩のことが、うらやましい。

 もちろん、そんなことはおくびにも出さない。笑って話をしながら、時折彼が触れるピアスを目に焼きつけるのだった。

 転職後一ヶ月経って、お互いの人となりもわかってきたところで、私があれこれとお遣いを頼まれたり、厄介ごとを振られる回数が減るわけでもなかった。

 それでも、小児科を管轄する師長に呼び出されるのは初めてだ。お説教か。心当たりはまるでなくても、そわそわする。

「訳ありの患者さんが転科してくるのよ」

「はぁ」

 適当な相づちを打って聞き始めたが、患者の名前を聞いた瞬間、納得した。確かに、おおいに「訳アリ」だ。

「花岡瑠璃さん。事故の後遺症のせいで、今は五歳児レベルの知能しかないの。最近は特に、癇癪を起こすことが頻発していて、あちらのスタッフのことも怖がるそうなの。小児科の方が扱いに慣れているだろうから、って」

 まさしく厄介者を押しつけられて不満だと、師長の口ぶりからうかがえた。

 小児科は、入院しているのが幼い子どもたちなので、内装からして、大人向けの病室とは違う。先輩も穏やかに過ごせるだろう。

「わかりました。私が中心になって担当します」

「悪いわね」

 ちっとも悪いと思っていない顔で、彼女は肩を叩いた。

 先輩のもとには、葉山くんが頻繁に見舞いに来る。だから、会う機会が増える。医療従事者にあるまじき不謹慎さを胸に、さっそく病室に向かった。

「瑠璃ちゃん、こんにちは。今日からよろしくね」

 大人ではなく、子どもに接するように挨拶をすると、彼女ははにかみながら、「よろしく」と、頷いてくれた。もともとが大人っぽい顔立ちの美しい人が、幼い仕草をすると、ギャップもあって、きゅんと来るものがある。そんなこと言えないけれど。

 私の思惑通り、葉山くんは週に二、三度は見舞いに来た。最初は私が担当になったことに驚いていたが、仕事ぶりを見ると、安心して、あれこれと話をするようになった。

「瑠璃ちゃん。お絵かき楽しい?」

「うん!」

 他の入院中の子どもたちとはあまり会わせないように、というのがご両親の希望のため、退屈そうにしていた。

 そこでスケッチブックとクレヨンを手渡すと、どんどん絵を描くようになった。こうなる前の彼女の画力を知らないが、五歳児にしては、写実的な印象の絵を描く。

「上手ね」

 花畑の中で笑っている女の子の絵だ。主人公はおそらく、先輩自身だろう。

 彼女の描く絵を微笑ましく見ていると、ある特徴に気づいたので、聞いてみた。

「瑠璃ちゃんって、青色が好き?」

 クレヨンは十二色入りの一般的なものだ。色とりどりの花も、女の子の洋服も、その多くは青が使われている。

 先輩は、私をきょとんと見上げて、首を横に振った。

「んーん。ピンク」

「そうなの?」

 けれど、今も手にしているのは青のクレヨンで、違和感を覚える。普通、好きな色を一番使いたいと思うはずなのに。

 一心不乱に絵を描く先輩を観察してから、私はそっと、病室を後にした。

 花岡先輩が小児科に移ってからしばらく経ち、秋も深まりをみせていた。

 葉山くんは病室に行く前に必ず、ナースステーションに顔を出す。

「木下さんの顔を見に来てるのよ、あれは」

 などと、調子のいい同僚は笑う。私は「そんなことない」と、本心から応じた。彼の心を占めているのは、先輩だけなのだから。

 彼の来訪から数十分後、ナースコールが響いた。すぐさま確認すると、花岡先輩の病室だったので、駆けつけた。

「いやああああ! やだああああああ!」

「瑠璃ちゃん!」

 精神は幼くなっていても、身体は成人女性だ。遠慮のない泣き声、暴れ回ってベッドの柵にガンガンと腕を打ちつける図は、一瞬、ぎょっとする。

 看護師だけでは手に負えないと判断し、一緒にやってきた同僚は、素早く彼女の担当医師を呼んだ。

 先輩は、葉山くんの手を強く拒絶していた。「だれ」「こわい」と断片的なつぶやきを拾い上げるに、おそらく症状が進み、葉山くんを忘れてしまったのだろう。

 五歳の女の子にとって、見知らぬ成人男性は、恐怖を煽るものだ。

 定期的にやってきて、車椅子で散歩を任されるほどの信頼を勝ち得ていた彼は、突然のことに、表情を強ばらせていた。

 私や花岡のご両親同席のうえで、何度か接触を試みるものの、惨敗。すぐに泣き叫ばれ、仲良くなることはもはや不可能だった。

「道久くん。あの子のことは、もう、忘れてくれないか」

 母親は、ぐずっている娘のベッドの横についている。後は任せて、と言う彼女にうなずいて廊下に出ると、真剣な顔で、父親は葉山くんに懇願していた。

「そんな」

「君が瑠璃のことを、昔から大切にしてくれていることは、わかっている。瑠璃も、君のことを好きだった。私も、君のことを本当の息子のように感じている」

 真剣な表情は、怒りの表情と紙一重だ。先輩の父の目は涙ぐんでいる。怒っているのだとすれば、それは葉山くんにではなく医療や、何もできない自分自身に対してだろう。

「君には幸せになってもらいたいんだ。あの子はもう、君の恋人には戻れない。一生を棒に振る必要はないんだ。君は、まだ若いんだから」

 でも、と言いつのる葉山くんに、厳しい顔を向けるのは、愛情なのだ。父親にとっても辛いはずなのに。

 その日以来、葉山くんを病室で見かけることはなくなった。看護師が見つけ次第、お引き取り願っている。

「木下さんは、あの人に弱そうだから」

 という理由で、日勤の際はなるべく病棟をうろつかないよう、私は外来の診察室に立たされている。

 知らないうちに病棟にやってきては追い返される葉山くんを次に見かけたのは、十一月、晩秋にさしかかってからだった。

「あのね、葉山さん。いい加減にしてください」

 師長に怒られている背中は、完全にしょぼくれて丸くなっている。私はいそいそと近づいた。

「師長。私、ちゃんとお引き取りいただきますから」

「木下……」

 愛想笑いとともに、葉山くんの背を押して、病院の裏口に連れていく。表玄関で、話をするのはどうしても目立ってしまうから。

「ごめん、木下。俺」

 所在なさげに立ち尽くし、田舎にはそぐわない洒落たコートをぎゅっと握る手は、血管がくっきりと見えるほど、力が入っている。

 かっこ悪い。けれど、幻滅はしない。耳たぶを穴だらけにしてまで、恋人を一途に想い続ける彼のことを好きになったのだから、今さらだ。

 ふと見た彼の耳には、ひとつピアスが増えていた。十二個め。彼の誕生日は、十月だった。小さな一粒の赤い石。彼らしい色。隣の青の石とは、お互いに引き立て合って並んでいる。

 ――あおよりも、ピンクがすき。

 一心不乱に青のクレヨンを使いながら、矛盾したことを言う先輩のことを思い出して、ようやく合点がいった。藍色の石は、七つ。その他のピアスは五つだ。

「ねえ、葉山くん。明日って、空いてる?」

 翌日は、休みだった。午前中はやることがあったから、待ち合わせは午後になってから。場所は、いつだったかに入った喫茶店だ。

 今回は、私の方が先に席に着いていた。すぐにこちらを見つけて近づいてきた彼のオーダーは、ホットコーヒー。

「あれ?」

 葉山くんは、コーヒーを一口飲んですぐに気がついた。

「木下、その耳……」

 昨日までは空いていなかった、穴。ファーストピアスは敬意を表して、深くて濃い、青色の石を選んだ。

「葉山くんは、花岡先輩のことを愛しているから、ピアスを増やし続けてるのよね?」

「ああ」

 愛という単語に照れるほど、お互いに若くない。

 葉山くんの愛情は、会うことを禁止されているからといって、諦められるものではない。執念と言い換えてもいいかもしれない。恐ろしいほど、純で、一途で、強くて、それでいて儚くもある。

 私は、そんな風に誰かを愛することのできる彼だからこそ、好きなのだ。もちろん、その対象が私になれば、こんなにも嬉しいことはないけれど。

 私はいい年をした大人で、年相応にずる賢い。

「でも、十二個が限界でしょう。来年はどうするの」

「……軟骨にでも開けようかと思ってた」

 痛そう。午前中にピアッサーを使って開けたときの衝撃を思い出してしまって、自然と眉根が寄った。

「軟骨も全部開けたら? 鼻? 口? 舌っていう手もあるけれど」

 それ以上は、人体改造レベルになって、いくら美容師といえども、敬遠されるレベルだ。都会ならまだしも、ここは地方都市、平凡をこよなく愛する田舎だ。葉山くん自身、十分過ぎるほど理解していて、反論できずに黙っている。

「だから、私の耳を貸す。これで向こう十二年は安泰よ。よかったね」

「は?」

 何を言っているのかわからないという顔で、彼は固まった。

「石はこの色で統一して」

 勇気を出して、手を伸ばす。葉山くんの耳の最古参のピアスを引っ張った。深い藍色。ラピスラズリ――瑠璃、だ。

 ピンクが好きだと言った彼女は、頑なに青色のクレヨンを多用する。それは、自分の名前が「瑠璃」だからだ。

 自分の名前のついた石を、毎年毎年、恋人に贈り続ける。

 彼らは似た者同士。一途すぎて、馬鹿馬鹿しい。そして私も、同じくらい愚かだ。

「この石は、先輩のあなたへの愛情だもの」

 私から石の名前を聞き、葉山くんは絶句して俯いた。肩が細かく震えている。しばらく沈黙していた彼が次に顔を上げたとき、その目は赤かった。

「その、木下。ここまでしてくれても、俺は君に応えられるかどうか……」

 なんだ、わかってるじゃない。

 私はにっこりと笑ってみせた。

「打算よ。葉山くん、優しいもの」

 いつか、先輩への恋心を諦めなければならないときが、必ずくる。

 そのとき、彼は文字通り献身した私を無下に扱うことができるだろうか。

「看護師って、タフじゃないとダメなの。心も身体も」

 高校時代の私とは違うのだ。

 葉山くんは、目を瞬かせて私をじっと見つめると、最後に「……ありがとう」とだけ、呟いた。

「だから、打算だって言ってるじゃない」

 素直に礼を言われる義理はないのだと言っても、葉山くんは何度も何度も、頭を下げた。果ては涙声になる彼に、呆れつつも、「ああ、やっぱり好きだな」と、思うのだった。

                 

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