魔女の爪は赤い

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短編小説

「なぁ。その赤い口紅、やめない?」

 浩司こうじの言葉に、私はメイクの手を止めた。今まさに繰り出していたのは、広義の「赤」リップだ。この秋冬の流行であるテラコッタに近い色味は、いくつものブランドをはしごして手に入れた。私に似合う色を吟味して、ようやく見つけた、最近のお気に入りである。

「なんで?」

 出かけよう、と言い出したのは浩司だった。依子よりこと休みの日が被ることなんて、滅多にないんだから、と。珍しい誘いにテンションが上がって、つい念入りにメイクをした。

 肌はマットに仕上げる。目元はキラキラを通り越し、ギラギラ輝くシルバーのラメを載せて、マスカラは何よりも、ボリューム重視。リップが主役で、目元も派手だから、チークは自然なピーチベージュを選んだ。

 あとはこのリップを塗れば完成。唇だけ色を欠いているのはアンバランスだから、早く完璧な姿に仕上げてしまいたいのに。

「仕事のときは、そんな赤い口紅塗らないじゃん」

 勤め先のアパレルショップの店長になったのは、半年前だった。ますます浩司と休みを合わせづらくなると思って、同棲を始めた。

 高校時代から付き合い始めて、約十年。そろそろこの先のことも考えなければならない時期だ。

 私はドレッサーの引き出しの中にある、返事をしなければならない招待状を思い出した。出かけるついでに、投函してこよう。

「当たり前でしょ」

 新卒で入った会社は、複数のブランドを展開している大手だ。その中で私が配属されたのは、「一生乙女」「生涯ガーリー」をコンセプトにしたブランドである。

 子供っぽくならないように計算された花柄やフリルやレース。原色使いはワンポイントに抑えて、基本はパステルカラーとホワイトで構成された洋服に小物たち。

 だから店に立つときは、今日とは全然違うメイクをする。こんな顔で「花嫁ワンピース」なんか売ってられるか。

 肌はツヤを重視して、パールの入ったパウダーを叩く。アイメイクもふんわりヌーディーな色を使って、ラメは控えめに。唇と頬は、誰からも愛されるコーラルピンクで彩って。

 一度テンプレートを決めてしまえば、十五分で完成する顔だ。でもそれは、私の本当の姿じゃない。

「休みの日くらい、私の好きな格好をしてもいいじゃない」

 黒の異素材ミックスワンピースは、他社のブランドの物だ。背が低い私でも、ヒールを合わせればマネキン通りの着こなしが叶うことに感動して、買った。童顔・丸顔には合わないハンサムさだけれど、化粧と髪のセットでどうにでもなる。

 最後のリップをさっさと塗ってしまえばいい。リップライナーで縁取りする必要も、筆を使う必要もない。ラフに塗るのが、今の気分なんだから。

 浩司の視線は私に向けられていない。ベッドの上に寝転んで、スマホを弄っている。

 出かけようと言ったのは彼だったのに。いつだって支度に時間がかかるのは女。早くしろよと言いつつも、ギリギリまで自分は動かないのが男。

「なんかさ……唇赤いのって、おっかねぇじゃん」

 魔女みたいでさ。

 言われて、私は自分の姿を見下ろした。濃い化粧に黒いワンピース。なるほど、魔女だ。けれど、浩司にも世間にも、迷惑をかけているわけではない。

 そもそも浩司は、基本的に服装が変わらない男だ。

 オンのときは学生服からスーツに代わっただけ。オフのときなんて、高校時代から同じだ。夏はTシャツにハーフパンツ、サンダル。それ以外は上に長袖のシャツを羽織り、下はデニムかチノパン、スニーカーがお決まり。寒ければ気温に応じた上着を着るが、季節につき一着しか持っていない。

 しかも、物持ちがいいと自負しているのが、性質が悪い。襟ぐりがダルダルになっているTシャツを捨てて、喧嘩になったのは記憶に新しい。勿論、謝ったのは私だ。

 TPOに合わせてだとか、デートだから格好つけようとか、そういう気持ちは一切ないのだ。自分の見てくれをどうでもいいと思っているくせに、隣に立つ私に対しては、容姿を求める矛盾は、彼の中でどう整理されているのだろうか。

「やっぱ一緒に歩くんだったらさぁ……可愛い女の方が」

 チラッ、チラッ、とこちらを窺う視線がウザい。私は一度だって、浩司の格好に文句を言ったことはないのに。

 結局のところ、単純に彼は気が変わったのだろう。朝起きてみたら、外は重い曇り空だし、気温も低い。外に出るよりも、家でゴロゴロしていたくなったに違いない。はっきりと「出かけるのが面倒になった」と言ってくれた方がはるかにマシだ。

 私はサッと口紅を引いた。

「もういい」

「え? 今日のデートなし?」

 心なしか、彼は嬉しそうに声のトーンを上げた。

 浩司の中ではすでに、「依子が勝手に機嫌が悪くなって、デートがキャンセルになった」というふうにすり替わっている。自分で責任を取りたくないのが、態度にありありと現れている。

 口紅をティッシュでオフしてから、グロスで仕上げる。本当はもっと大人しいのにするつもりだったけれど、目元に負けないくらい大粒のラメが入ったグリッターグロスにした。

 雨が降りそうなのは気になるが、ここまで支度を完璧にしたのだ。一人でも出かけなければ、気が済まない。

「行ってきます」

 一応声はかけたが、「行ってらっしゃい」の一言もない。

 ちらりと振り返った浩司はやはり、スマートフォンを真剣な表情で弄っていた。何が彼をそんなに夢中にさせるのか、わからない。

 わかったところで、見習うべき点もないだろうけれど。

「依子さん、本気でそんな奴と結婚するつもりなんですかぁ?」

 間延びした声に、思わず苦笑した。出かける間際の出来事を話したら、この毒舌だ。客の彼氏を捕まえて、「そんな奴」呼ばわりなど、到底許される軽口ではない。

 けれど、彼女のキャラクターが「仕方ないか」という雰囲気にするのも確かである。明るいオレンジ色に染めた髪の毛は、くるくるふわふわ、アメリカのカントリーガール。それを二つに括って、幼稚園児がつけるキラキラしたヘアポニーを付けている。

 子供の頃よく食べた、ロリポップキャンディ。今思えば、オレンジ味もイチゴ味も、実際の果物とは似ていなかったけど、大好きだった。

 彼女は平均的な女性よりもだいぶ背が高い。大柄な女性が小さな少女めいた服装や髪型を好んでいる。鼻に浮いたソバカスは、わざわざ描き加えているものだ。

「あれでいいところもあるんだけどねぇ」

「でも、依子さんの口からあたし、彼氏のグチしか聞いてないっすよ?」

 むむ、と口を噤む。彼女ののんびりした棘のある言葉が心地よくて、ついつい話をし過ぎてしまう癖は自覚していたが、私はそこまで浩司への不満ばかり述べていたのか。

「そんなことないわよ。たぶん」

「ふーん」

 納得していないですよ、というのがありありと浮かんだ顔で、彼女は作業を進めていく。

「今日はどんな感じにします?」

 淡いピンクのベースを利用した大理石ネイルを、彼女は丁寧にオフしていく。ジェルネイルはソフトタイプで、薬剤で簡単に落ちていく。

「そうね」

 大理石ネイルは可愛かったけれど、私にしては地味で、今一つテンションが上がり切らなかった。

 爪は唯一、私が自由にできるパーツだ。

 服との調和を考えなければならないとは言うものの、接客中にずっと対面してる顔とは違う。代金を受け取り、釣銭やカードを返却する。そして品物を渡す。爪に注目が集まるとすれば、その一瞬だ。

 ナチュラルメイクに派手な爪はアンバランスだし、実際先輩にはチクリとやられたこともあるけれど、シンプルな桜色よりもやっぱり。

「赤がいいわ。ストーンもラメもいらない。真っ赤なネイル」

「単色ぅ? 難しい注文っすね……」

 緻密なアートを小さな爪に描く方がよほど難しいと素人目には思われるが、プロに言わせてみれば、単色の方がごまかしがきかない分、難しいと言う。

 ぶつぶつ言いながら、彼女は赤いネイルを吟味する。

 私もファッション業界の末端に携わる人間だから、よくわかるが、一口に「赤」と言っても、微妙な違いがある。似合う赤と似合わない赤が、人それぞれにある。

 往々にして、男はその微妙な差異に気がつかない。それは別に、相手に興味のあるなしではなくて、頭や目の構造がそうなっているだけの話なのは、有名だ。

 でも、浩司はそもそも、私が当てつけのために爪の色を赤くしたことにすら、気づかないだろう。

「この色は?」

 砂糖菓子めいたネイルを施した爪で一本のボトルをつまむ。

 オーダーどおりの真っ赤なネイルは、毒りんごの赤だ。

 頷けば、彼女は私の手を恭しく取った。身長差があるから、手のサイズも違う。浩司には、こんな風に大切に扱ってもらったことはない。

 必ず彼女を指名するのは、束の間の……偽りのお姫様気分を味わいたいからかもしれない。

「……はい、できあがり」

 十数分後、私の指先は赤く染まっていた。

 先週の土曜日は休めたけれど、今週は出勤だ。入っているモールのポイントが三倍になる期間で、いつも以上の混雑が予想される。

 行ってらっしゃいの一言も返さずに眠りこけている浩司については、もう諦めていた。

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございました」

 微笑みを絶やさずに、売り場を歩き回る。質問されれば即答し、試着室をご案内する。プライスダウンコーナーの洋服は、すぐにぐちゃぐちゃになってしまう。見映えが悪いので、いちいち畳むのは面倒だが、仕方ない。

 あっという間に午後一時を回ろうとしている。

「あれ。新人さんは?」

 二週間前に入ったばかりのバイトの子が、シフトの時間になっても来ていないことに気がついた。一人足りない状態だ。どうりで忙しいと思った。

「そういえば見てないですね」

 休憩から帰ってきた後輩社員が首を傾げる。

 採用には関わっていないが、うちの店に配属になってからは、私が指導している。

 驚くほど真面目な子だ。例えば、洋服を畳むのも几帳面に、アイロンをかけたのかと見紛うほどにピシッと畳む。お辞儀の角度は教科書通り。

 遅刻や欠勤の連絡も、きちんとするタイプだ。電話もLINEも来ていないということは、もしかしたら、スマホの操作すらできない状況なのかもしれない。そういえば、テレビで「インフルエンザ流行の兆し」とやっていた。昨日の朝のことだ。早いなぁ、と思ったけれど、他人事だった。

 視線で後輩に合図して、私はバックヤードに引っ込む。スマホを取り出したが、相変わらず彼女からの着信はなし。

 こちらから電話をかけるも、コール音が虚しく響いた。二十回くらいしてから、ようやく繋がる。

「あ、もしもし? 加賀かがさん? 大丈……」

 すぐにブツリと切れた。ツー、ツー、と不通音を呆然と聞く。

 彼女は電話に出た。けれど、私の話を聞くこともなく、自分から切った。もう一度かけてみるけれど、「電源が入っていないか……」と機械的な女性の声が繰り返すだけだった。

 大きく溜息をついて、店に戻る。後輩は私の様子を見て、何があったのかをだいたい把握する。

「いらっしゃいませ」

 笑顔を作る。

 さて、休憩には何時に入れるだろう。

 バイトのバックレ騒ぎで、帰宅も遅くなる。早番だから、午後六時には退店できるはずだったのに。人員が足りなくて皺寄せが来るのは社員で、私は特に店長だ。店から下がっても、今度は翌日以降のシフトの組み直し。ああ、しばらくまともな休みは取れないらしい。

 すぐに辞める人間は、珍しいことじゃない。アパレル業界という華やかなイメージとのギャップに苦しめられるのは、アルバイト店員だけじゃなく、社員もまた同じだ。

 何とか途中で浩司にLINEを入れることはできたが、帰宅できる時間になっても、返信はなかった。それどころか、既読にすらなっていない。

 急いで電車に乗り、スーパーに立ち寄って、夕飯の食材を購入する。

「ただいま。ごめんね遅くなって。これからご飯作るから……」

 靴を脱ぎ捨てて、室内へ。

「……」

 テーブルの上には、コンビニ弁当の空容器。アルコール度数がやや高い、チューハイの空き缶も転がっている。

 散らかした本人はというと、案の定、ベッドの上にいた。スウェットを着ているが、昨日寝るときと同じだった。着替えずに、コンビニへ行ったのか。

「もう食べたの」

「んぁ? ああ。お前、全然帰ってこないからさ」

 LINEで遅くなると連絡したのに。ずっとスマートフォンを握っているくせに、私からの連絡に、気づかなかったの。

 どっと疲労が肩にのしかかってきた。テーブルの上に置いたエコバッグから、食材が飛び出す。

『家にいるときくらい、ちゃんとしたもんが食いたい』

 同棲を始めたばかりの頃、店長に昇進して忙しかったこともあって、外食やコンビニ弁当が続いたときに、浩司が言った言葉だ。

 以来、私はできる限り、自分で調理をした。揚げるだけのコロッケも、具材さえ用意すればいいタイプのおかずの素も使わずに、きちんと一から作った。

 浩司が飲みに行く日はホッとした。自分だけなら、何を食べたってかまわない。

 私からのLINEを見てくれれば、返信をしてくれたら、後輩からの誘いに乗って、飲みに行ったのに。

 もう、何も作る気にはなれなかった。お腹は空いたけれど、食べる気力もわかない。冷蔵庫に食材をしまって、オレンジジュースのパックを取り出す。残りわずかなので、コップを用意するのも面倒で、そのまま口をつけた。

 むせながら飲み干して、そのまま流しに空のパックを放置する。浩司が散らかしたゴミも、明日でいいや。

 お風呂に入って寝よう……ああ、お風呂も掃除しないとダメなのか。寒い季節になってきたけれど、シャワーで済ませよう。

 ぐ、と口元を拭って浴室へ向かおうと振り返って、悲鳴を上げた。

「ちょ、浩司。何よ」

 ベッドにいたはずの浩司が、真後ろに立っていた。飲むなと言っているのに、ベッドでも酒を飲んだのだろう。顔は赤く、目は潤んでいる。

 流し台に押し付けられて、退路を塞がれた。顔に酒臭い息がかかる。ああ、キスをされる。

 酔った浩司に抱かれるのは、好きじゃない。まして今日は、仕事の疲れもあって、そんな気分じゃないのに。

 胸を押して緩く拒絶の意志を示すものの、彼の欲に流されて、私は目を閉じて、全部を諦めた。

 やることなすこと、倦怠感がつきまとう。逃げ出したい気持ちは強いけれど、今日も笑顔で店頭に立ち、「いらっしゃいませ」と声をかける。

 インフルエンザが流行り始めたのは本当のようで、スタッフも倒れる人間が出てきて、私はますます忙しい。

 もう、ウィンドウショッピングという名の冷やかし客は、帰ってほしい。

 心がぎすぎす、ささくれだっていく。

「ありがとうございました」

 店の外までショッパーを持っていて、渡す。頭を下げて、一、二、三。ぱっと顔を上げて、店に戻ろうとする。

「あの……」

 声をかけられて、振り返った。営業スマイルも忘れない。だが、目の前にお客様はいなかった。

 あれ? と思って視線を下に下げる。すると、子供がいた。平均身長よりも低い私よりも、ずっと小さな子供が二人。

「どうしたの? 迷子かな?」

 特撮ヒーローの絵がついたトレーナーを着た男の子と、小学校二年生くらいの女の子。女の子の服は、ひらひらふわふわで、大人になってもこのテイストが好きならば、うちのお客になってくれそうだと思った。

 二人は同時に首を横に振った。顔を見合わせて、女の子……お姉ちゃんの方が、話しかけてくる。

「お、お母さんの誕生日プレゼント、買いに来ました!」

 緊張のあまり、声はひっくり返っている。私は二度、目を瞬かせてから、にっこりと小さなお客様に微笑んでみせた。

 二人は今年のお年玉のポチ袋を握りしめていた。ぐちゃぐちゃになった千円札が、三枚。

 弟の方はまだ数やお金の概念が曖昧だった。これでママにきれいなお洋服買えるねぇ、とにこにこしている。

 さすがにお姉ちゃんは、店のマネキンの足元に置いてある値段を把握していた。高価格帯の店ではないけれど、最低でもカットソーやブラウスで、一万円から。メインターゲットは、二十代後半から三十代前半の、働いている独身女性だ。

「あの、やっぱり……」

「ママは、どんなお洋服が好きなの?」

 さようなら、を言わせる前に話しかけた。お姉ちゃんは虚を突かれて黙ったが、弟は元気に姉のスカートを引っ張った。

「ママ、おひめさまみたいな服、好き!」

「そうなの?」

 弟の言葉の裏付けを姉に求めると、彼女は小さく頷いて、居心地が悪そうにスカートの裾を弄る。

「お母さんと買い物に来るとき、いつもこの店の前を通るから……」

 飾ってある洋服を眺め、自分の着ているものを見下ろしては、溜息をつく。

「うち、お父さんいないから」

 女手ひとつで二児を育てるのは大変だろう。金銭的にも、体力的にも。セールのときでも半額にしかならないうちの服を購入するには、よっぽどの理由と臨時収入が必要だろう。

 よく見れば、少女の洋服はひらひらのレースが使われた可愛らしいものだが、プロが見れば、ブランド物ではないことがすぐにわかる。量販店が、類似のモチーフを取り入れて安く売り出した物である。

「お姉ちゃんも、こういう服が好きなの?」

「え……うん」

 母の買い物をしに来たのに、自分の好みを聞かれるとは思っていなかったのだろう。戸惑い、はにかみながらも、お姉ちゃんは小さく頷いた。すると緊張がほどけたのか、彼女は店の中の洋服を、楽しそうに見回した。

 こういう服が好き、というのは本当だった。よかった。自分が好きな服を着られないフラストレーションを、娘を着せ替え人形にすることで晴らしているんじゃなくて。

 心置きなく、誕生日プレゼントを選ぶ手伝いができる。

「お母さんの髪は長い?」

「うん! いつも結んでるの!」

「そう」

 三千円では、洋服はとても買えない。となると小物だが、スカーフやストールも値段は高いし、働き先によっては、使いにくいだろう。

 となるとハンカチあたりだが、ありきたりだ。私も子供のときに、誕生日やら母の日やらで、ハンカチばかり親に渡していたものだ。

 髪が長いとなれば、ヘアアクセサリーがいいだろう。レースでできた小花をあしらったバレッタだとか、一本でイイ感じに決まるバナナクリップは、上品なデザインで大人っぽい。

 ネックレスやブレスレットなども扱っているが、そちらよりも値段が安価で、二人の予算でも間に合う。

 私が用意したヘアアクセサリーを吟味して、二人が選んだのは、パールとストーンが薔薇をかたどった、ポニーフックだった。結んだヘアゴムに引っかけて使うタイプのアクセサリーである。

 使い方を説明すると、二人はこれを気に入った。

「お仕事のときはあんまり派手なのはダメなんだって」

 仕事中は外して、目立たない普通の黒ゴム。通勤、帰宅中はキラキラしたアクセサリーを付けて、オシャレを楽しむ。そういう使い分けができる優れものである。

「じゃあ、ラッピングするから待っててね」

「うん!」

 手早く小さな袋に入れて、リボンのシールを貼りつける。本当は、これだけではショッパーに入れないけれど、特別だ。二人の母親は、うちの店が好きだから。

「お待たせいたしました」

 今か今かと待ち構えていた弟の方に、私はショッパーを手渡す。

「お姉さんの爪、まじょみたい!」

 背の低い子供だ。普通に前を向いただけで、手元に視線が行く。はっとして、何も悪いことをしていないのに、手を咄嗟に背後に隠した。

 少年は、私の反応を訝しむこともなく、笑った。

「お姉さん、いいまじょだよね!」

 ママのことを笑顔にしてくれるんでしょう……。

 しっかりとショッパーを掴んで、「バイバイ」と手を振る様子を見送った。その胸の内は、なんだかスッキリしていた。

「で? 今日はどうしますかぁ?」

「そうね……」

 真っ赤なネイルはすでにきれいに落とされている。素爪の具合を確かめながら、ネイリストの彼女は私のオーダーを待つ。

『魔女みたい』

 あの日の小さなお客様は、人を笑顔にする魔女だと、私のことを言った。

 初心を取り戻した気がする。大学時代に古着屋のバイトをしていたときだって、入社したてのときだって、私はいつでも、ファッションの力を信じていた。

 店長になって、シフトを組んだりスタッフの研修をしたり、商品の補充をしたりで、その気持ちを置き去りにしていた。

 ありがとう、と言ってもらえること。自分が薦めた物が、みんなの笑顔に繋がること。それこそが、この仕事の喜びだった。

 仕事への取組み方が変わると、私生活も変わった。私は浩司のやること全部に苛立っていたけれど、彼に直接伝えたり、改善させようと動かなかった。

 あれこれ言うようになると、ストレスも溜まらなくなったし、捨てられると思った浩司の言動も、少しずつ改まってきた。

 ……まぁ、別れるのか付き合いを続けるのかは、今後の私の気持ち次第だ。

「そうだなぁ……黒」

「えっ。また単色?」

 嫌そうな顔をする彼女に、私は笑った。

「黒の上に、白で描いてほしいな。レースとか、花とか」

 私のオーダーに、「珍しい」と目を丸くした彼女だけれど、「了解」と、理由を聞かずに請け負ってくれる。

 そう。私は魔女になるんだ。花やレース、夢見るようなパステルカラーの洋服を売って、誰かをきれいにする、魔女。

 その意気込みを爪に載せて、私は明日も、店に立つ。

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