アイのはなし

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短編小説

 ジャングルジムにのぼると、木の枝が近かった。おそらくは桜だろう。東京よりも暖かいこの地域では、三月中にすべて散って、すでに若葉がぴょこぴょこと顔を出している。柔らかそうなそれに手を伸ばそうと身を乗り出すほど、ぼくは子どもじゃない。


 ああ、違う違う。


「おれ、は、子どもじゃない」


 つっかえてしまうのは、変わりかけの声のせいもあるが、それ以上に、言い慣れない言葉が原因だ。奥でざらつく感じがして、思わず喉を押さえ、咳払いをする。


 小学校に入学してから、これが四度目の転校だった。もはや自己紹介も「何を言おうかな?」なんて、悩んだりしない。友だちが出来るかな? というドキドキもない。何をどう言えば、クラスに早くなじめるかってこともだいたいわかっていた。


 なのに、これまでとは勝手が違った。


「おーれ。おれ、オレ……俺!」


 人がいないのをいいことに、大きな声で「おれ!」と叫ぶ。膝や手に力が入って、ぴん、と張る。明日からは自然に「おれ」という言葉を使えるように、今のうちに練習しておかなければならない。


 自己紹介のあと、わらわらと集まってきた男子たちに、「ぼくは」と話をしようとしたら、笑われた。


『ぼく、だって! だっせ』
『家じゃ母ちゃんのこと、ママーって呼んでるんじゃね?』


 クスクスを通り越して、ギャハギャハと大きな声で笑われた。近くの女子にまで、クスリと笑われたような気がして、カッと耳が赤くなるのを自覚した。


『違うよ、ママなんて呼んでない!』


 否定すればするほど、ぼくは小学校五年生にもなって母親を「ママ」と呼ぶマザコン野郎ということになってしまう。


 たった一言、「ぼく」と発しただけで。


 新しい友だちとの出会いへの期待は、裏切られた。お母さんに、「新しい学校はどうだった?」と聞かれるのが嫌で、まっすぐ帰りたくなかった。


 十字路やT字路にさしかかるたびに、右折左折を適当に繰り返して、小さな公園を見つけた。始業式の日にまで帰り道に寄り道をする子はいなくて、ぼくひとり。秘密基地ってこんな感じだろうか。


「おれ、おれ、おれ!」
「ねぇ、なんの呪文唱えてるの?」


 誰もいなかったはずの公園に、声が響いた。

「うわっ」


 驚いて思わず、鉄の棒から手を離しかけた。当然バランスを崩してしまうので、なんとか踏ん張って、元に戻る。


「君、見ない顔だね?」


 平らな声だった。見上げてくる目は、お高い人形のガラス玉みたいに、キラキラ輝いている。


 可愛い。


 ドキッとした。けれど、よく見なくても女の子ではない。伸びかけのいがぐり頭は不格好で、せっかくのきれいな顔とはバランスが悪い。


 たぶん、同い年くらいだろう。ぼくはスルスルとジャングルジムを降りて、地上に立った。身長は、彼の方がちょっとだけ高かった。

「転校生?」


 にこりと笑った彼に、「ぼくは」と自己紹介しようとして、口を押さえた。やっぱりダメだ。言い聞かせていないと、「おれ」という言葉は出てきやしない。


 ぼくの様子を興味深そうにうかがってきた彼は、「わたしはメグム」と名乗った。


 わたし? わたしだって?


 我慢できずに噴き出した。ぼくが笑った理由をメグムは理解できずに、きょとんとしている。


「男なのに、わたしはおかしいでしょ」
「どこが?」


 メグムはぼくの頭のてっぺんから爪先まで、じろじろ観察する。笑ったことを怒っているのかと一歩後ずさったが、彼の声は変わらず、淡々としていた。


「たかが『アイ』を、どれだけ重視しているんだ?」


 心底理解できないという顔で、ぼくをまっすぐ見つめた。

 おかえり、と出迎えたお母さんは、さっそく友達と遊んで帰ってきたのだと思っている。寄り道して帰ってきたことを怒るでもなく、ニコニコとぼくの話を聞きたそうにしている。ぼくはおやつも断り、あいまいに頷いて、自分の部屋に籠もった。


 夕飯のときにはお父さんも帰ってきて、学校でのあれこれを聞いてくる。ぼくはやっぱり、特に言うこともなくて、担任の先生はすごく優しそうなおばさんだった、だとか、教室内で飼っているメダカのことについて話した。


 まさか、言葉遣いをからかわれただなんて、恥ずかしくて言えやしない。


 公園で会った変な男の子のことは、黙っていた。別にこちらは、ぼくの情けない一面抜きで喋ることができるんだから、言ったってよかったんだけど、なんとなく。


 食後にテレビを見ていたら、お父さんのスマホに電話がかかってきた。相手の名前を見て、お父さんは小さく舌打ちした。


 あんまり好きな人じゃないんだろうな。休みの日に、部下の人から確認の電話が入ったときだって、そんな態度見たことない。


 深呼吸をひとつしてから、お父さんは電話に出た。


「ええ、はい……。そうですね、それは私が、ええ」


 テレビから目を離して、お父さんの顔をまじまじと見た。家族といるときは、目尻が下がっていつもニコニコしているお父さんだけど、今はキリッとしている。仕事中の顔だ。


 でも、僕が気になったのはそこじゃない。お父さんは今、はっきりと「私」と言った。ぼくたちの前では、「俺」と言ったり、「お父さんは」と言ったりするのに。


 お風呂に入って、寝る時間になっても、ぼくは考えていた。


 そういえば、前の学校の友達の半分くらいはみんな、「おれ」と自分のことを言っていた。だからって、新しい学校のクラスメイトみたいに「ぼく」と言うぼくのことを、笑ったりはしなかった。


 そんな「おれ」を使う友達も、授業中に自分の意見を言うときや、作文を書くときにはみんな、「ぼくは、主人公がかわいそうだと思います!」みたいに、「ぼく」を使っていた。


 なんなら、今日隣に座っていた女子なんて、おしゃべりのときには「ウチ」や「ぼく」を使っていた。


 男が「おれ」を使うべきだというならば、女は「わたし」を使うべきだ。そう主張するのが自然なことなのに、ぼくをからかってきた子たちは、女子たちには何も言わない。


 なんて不公平なんだ!


 頭から布団をかぶって、イライラした気持ちをこらえながら、目を閉じた。


 明日、絶対に文句を言ってやる!


 ぼくばっかり言われる筋合いはないんだ、って。

 決意がもったのは、玄関を出るところまでだった。勢い込んで胸を張り、ずんずんと歩いていたが、やがて背は丸く、足取りは重くなる。校門をくぐる頃には、しゅるしゅるとしぼみきっていた。


 おれという言葉の結束でできている男子の輪に、ぼくは入れなかった。話しかけてくるのは物怖じしない好奇心の強い女子ばっかりだったことが、ぼくを男子から一層孤立させていた。


 転校二日目なので、先生はぼくを気にかけつつも、まだ放置だ。別にいじめられているわけでなく、ただきっかけが掴めないだけだと思っているんだろう。


 何回目の転校だと思ってるんだ。仲良くなるきっかけなんて、あちこちに転がっている。 ただ、あっちが見えないバリアを張ってぼくを受け入れようとしないだけでさ。


 昨夜考えたこと、今日学校で感じたこと。受け止めてくれるのは、親でも先生でもない。漠然と、そう思った。


 昨日と同じ公園。期待は、正直、少ししていた。ぼくと普通に話してくれる男子は、メグムしかいなかった。メグム自身は、普通じゃないけど。


 手足が長くてすらっとしている。口が小さくて、鼻はつんとしている。でもやっぱり一番は目だった。目は黒いだけのはずなのに、彼の目の中には虹が見えるような気がした。


「日本人は、『アイ』に意味を求めすぎなんだよ」


 くるっと一回転、軽やかに鉄棒を回ってみせたメグムは、昨日と同じことを言った。ぼくは鉄棒を握るだけ握って、回らない。


「だから、『アイ』ってどういう意味?」


 ムッ、としながら尋ねたぼくに、メグムは振り返って笑った。


 木の枝を拾い上げた彼は、少し離れた地面に、一本の縦線を引いた。それでようやく、意味を理解した。


 英語の「I」だ。小学校でも英語の授業はあるし、そのくらい、習わなくたって知っている。常識だ。


 その隣にメグムは、ガリガリとひらがなや漢字を書いていく。


 私、あたし、おれ、ぼく、わし、ウチ、我、おいら、おら。それから、自分。


 途中で枝が折れてしまうまで、彼は同じ意味の言葉を書き続けた。


「男子はガキのくせに、大人ぶりたくて『おれ』をお互いに強制する。女子は大人の女になりたくないから、『ぼく』や『ウチ』を使う」


 メグムはそう言いながら、最初に引っ張った縦線以外を全部、足でかき消した。砂ぼこりが風向きの関係で、ぼくの方に舞い上がり、目を閉じて、むせる。


「英語だったら全部、『アイ』なんだよ。すごいよね。ひとつにまとまっちゃうんだから」


 パシパシと瞬きをした。次第に見えてきたメグムの目は、今日一番輝いている。遠いところに憧れのまなざしを向ける彼が、ふっといなくなってしまいそうな気がして、思わずぼくは、彼のシャツの袖を引いた。


「どうしたんだい?」
 自分でも思いがけない行動だったので、理由をなんと言うべきかわからずに、うつむいた。結局、とっさに口をついて出てきたのは、「ごめんなさい」の一言だった。

「それは、何に対しての?」


 メグムはぼくの目を覗き込む。学校の先生みたいだ。キラキラに見つめられて、ぼくはますます下を向いて早口で言った。


「ぼくは、自分が言われてイヤだったのに、メグムのことを笑っちゃったから」


 クラスメイトが「ぼく」という言葉遣いを馬鹿にするのと、自分のことを自信をもって「わたし」というメグムを笑うことは、まったく同じだった。昨日のメグムの言葉を真に理解して、恥ずかしかった。


 メグムはぼくを、すぐに許した。


「いいよ、別に。『わたし』を使うのは、それが一番、わたしに似合ってると思うから」


 確かに、髪型さえまともならば美少女と見間違えるほどの美少年であるメグムには、「おれ」は似合わない。かといって「ぼく」というのも、大人っぽい振る舞いや考え方をする彼には、子どもっぽすぎる。


 ぼくはどうだろう?


「おれ」を使うに値する男だろうか?


 ぼくの疑問は顔に出ていたようで、メグムはにっこりと微笑んだ。男相手だとわかっていても、胸がぎゅっとなる。


「どちらでもいいんだよ。誰かが決めるようなもんじゃないし」


 男子の使い分けって、面倒くさいね。


 自分も男のくせに、メグムはそう言って、その場で手を広げて回ってみせた。


 まるで、「わたしは自由だけど、君は?」と、問いを向けるように。

 転校して二週間。教室を観察していると、女子だけじゃなくて、男子にもグループが存在しているのがわかった。


 ぼくは勇気を出して、比較的おとなしそうな男子グループに声をかける。ぼくをからかってきた子たちは、グラウンドにサッカーをしに行っている、今がチャンスだった。


「あの」


 こちらを向いた目に、敵意はなかった。ホッとしたけれど、疑問は浮かんでいる。とにかく話しかけてみて、反応が返ってくればいいと思っていたから、話題は何も用意していなかった。


 助け船を出してくれる人はおらず、かといって無視するわけにもいかずに困っている。


 何かないかな。話しかけたのはこちらだ。話題を提供しなきゃ。


 辺りを見渡すと、ぽっかりと空いた座席が目に入った。窓際の一番後ろの席の主は、ぼくが転校してきた始業式からずっと、登校してきていない。


「あの、あそこの席の子って、一回も見たことないんだけど、どんな子なの?」


 指さした方向を見て、ようやく彼らも安心して、会話を続けてくれた。しかし、その表情はわずかにくもっている。


「ああ、ワタナベさん……」


 出席を取るときも、担任の先生はちらりと最後尾を見て何も言わないので、ワタナベアイという名前すら、ぼくには初耳だった。


 病気とかケガなら、先生が何か言うだろう。お見舞いの手紙や千羽鶴をみんなで折ったりするかもしれない。でもそれがないってことは、残る可能性は。


 できるかぎり声を低めて、「いじめられてるとかじゃ、ないよね?」と尋ねる。


「まさか!」


 全否定、そののち彼らが身振り手振りをまじえて一生懸命に語ってくれたことには、ワタナベさんはものすごい美少女らしい。学年で、いや学校中で一番かわいい女の子。


 そういう子って、女子からは煙たがられたりするものだが、ワタナベさんはぶりっこしない。男女ともに態度が変わらないので、女子からも嫌われない。


「なんなら、学年で一番女子にモテるのも、ワタナベさんだよ」


 それはちょっと、脳内イメージがちがうな。優しい可憐な女の子を、クールな王子様系女子に変える。なぜかメグムのことがちらついて、慌てて首を横に振った。


 あいつは正真正銘の男だ。いくら顔がかわいくたって、坊主頭のお姫様なんていない。


「じゃあ、どうして学校に来ないんだろう」 ぼくの疑問に、答えてくれる子はいなかった。誰も彼女の動向について知らない。四年生までは皆勤賞だったというから、本当に突然、彼女は学校に来なくなってしまったのだった。


 ふうん。


 昼休みの終わりのチャイムが鳴った。席に戻りながらも、空席から目が離せない。


 そういえば、メグムも学校では見たことがない。あんなに目立つ奴、見過ごすはずがないのに。


 放課後、家に帰らずにまっすぐ公園に向かうぼくはランドセルを背負っているのに、メグムはいつだって、手ぶらだった。


 彼もどこかのクラスの不登校児なのだろう。元気そうだし、いじめなんかもどこ吹く風と無視しそうな性格だけど、人は見かけによらないということなのかもしれない。


 今日もきっと、公園にいるはずだ。もしかしたら、ぼくを待っているのかもしれない。


 たったひとりで。唯一の友だちかもしれない、ぼくを。

 案の定、彼は公園にいた。学校からそんなに離れていないのに、ぼくはメグム以外の子どもの姿を見たことがなかった。住宅街が逆方向にあるからかもしれない。ぼくの家も、公園とは反対側だ。


 メグムはぼくの姿を見つけると、駆け寄ってきた。相変わらず、ランドセルは見当たらない。


「今日はどうだった?」


 と、聞いてくるのだから、おそらく学校自体が嫌いということはないはずだ。適当に話をしながら、ぼくは軽い気持ちで、「どうして学校に来ないの?」と尋ねた。


「メグムのこと、学校じゃ一回も見たことないから。うちのクラスにも不登校の女の子がいるみたいで、気になっちゃって」


 メグムは自分の前髪をちりちりといじっている。上目遣いでその長さを確認している様子だ。早くのびろ、と念じているようにも見える。


 うーん、と唸り声をあげて考えていたメグムは、パッと顔を上げた。


「そうだね。そろそろ学校に行ってもいいかも」
「ほんと?」


 ぼくは嬉しかった。教室では相変わらず、幅を利かせているクラスメイトの視線から隠れるように過ごしているぼくだ。メグムみたいなかっこいい奴と友だちになっていたと知れば、きっとみんな、ぼくのことを見直すにちがいない。


 約束だからね、と何度も念を押して、ぼくはメグムと別れた。


 その日の夜は、なかなか寝つけなかった。

 朝早くに登校して、ランドセルを机の上に放り投げると、校門前に逆戻りした。毎朝生徒にあいさつするのが日課の校長先生が、びっくりした顔をしている。


「友だちを待ってるんです」


 久しぶりの登校だ。メグムだって、心細いはず。ぼくが出迎えることで、少しでも安心してもらいたい一心で、早起きしたのである。 校長先生の隣で、無言で突っ立っているわけにもいかず、「おはようございまーす」とあいさつしながら、そわそわとメグムを待った。


 なかなか姿を表さない彼に、不安になってくる。


 やっぱり学校、来たくなくなっちゃったかな。でも昨日、あれだけ約束したしなあ。あまりにしつこいぼくに、最後はメグムも「わかってるよ!」と、怒っていたっけ。


 メグムが登校したのは、チャイムが鳴る五分前だった。慌てず騒がず、のんびりと歩いているメグムに手を振る。ぼくに気がつく前に、クラスの女子が小走りに彼に近づいて、声を張り上げた。


「ワタナベさん! その髪、どうしたの?」


 って。

 嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき!


 教室でそうなじってやろうと思った。でも、小心者のぼくにはできなかった。メグム……ちがった、ワタナベアイは、久しぶりの登校にもかかわらず、緊張も気後れも一切なかった。平気でクラスの女子たちとおしゃべりしている。


「髪を切り過ぎちゃって。あまりに頭の形が悪いもんだから、ショックを受けてさ。伸びるまで休んでたんだ」


 って。そんな理由での休みが認められるのか?


 散々悩んだ末に、ぼくは今日も、いつもの公園へと向かった。教室を出たのはほとんど同時だったけれど、先に着いて待っていたのは、ワタナベアイだった。


 ひょっとしたら彼……いや、彼女は、ぼくの知らない近道を、知っているのかもしれない。


 彼女はちょっときまりの悪そうな表情を浮かべて、ぼくを迎え入れた。


「よかった。もう来ないかと思ってたんだ」


 ぼくだって来たくなかったよ。ただ、一言言わずにはいられなかっただけだ。


「嘘つき」


 ようやく言えた恨み言に、ワタナベアイは傷ついた。なんでお前がそんな顔をするんだよ。裏切られて、悲しい気持ちになっているのはぼくの方だ。


「嘘じゃないよ。わたしは女の子じゃない」
「嘘だぁ」


 真実を知ってしまった今、ぼくの目には、ワタナベアイはかわいい女の子にしか見えない。髪の毛はほとんどボウズ頭だけど、男子ではない。


「身体は女の子だけどさ。わたしは自分のことを、一度だって女だと思ったことはないよ」


 ワタナベアイはぼくを見つめた。


 四年生までは女子として無理矢理に振る舞ってきたけれど、新学年に上がるのを機に、がまんをやめることにした。


 親は彼女の主張を受け入れてくれているが、さすがに男子として改めて学校に行く、というのは反対した。春休み中はそれでケンカをすることが多く、しびれをきらしたワタナベアイは、髪を女子にはありえないくらいの短髪にすることにした。


 男だっていまどき、野球部でもなければボウズなんてはやらないのに。


「極端なことをしなきゃ、女の身体の自分は、男には見えないからね」


 ワタナベアイは言った。


 そしてボウズは頭の形が相当よくないと似合わないことにがく然としたのは、友人に語っていたとおりだ。


「そんなこと言われたって」


 ぼくはどうしたらいいんだよ。メグムなのかワタナベアイなのか。女の子なのか男なのか。彼女なのか彼なのか。どちらとして扱えばいいのか。


「君が簡単に受け止められないのはわかっている」


 メグム(と呼ぶ方がやはりしっくりくる)はぼくの手を取った。そのまま自分の胸へと持っていく。あまりに大胆なその行動に、ぼくは悲鳴を上げて手を振りほどいた。見た目にはほとんどわからないが、微かな膨らみは、やっぱり女の子だった。


「これからわたしの身体は、どんどん女になる。治療するとかしないとか、考えなきゃならない。病気なんかじゃないのになあ」


 身体が丸くなって、胸が大きくなって、子どもが産めるようになる。女じゃないのに、大人の女性の肉体になっていく。ボウズ頭にしたって、スカートを履かなくたって、身体のパーツをすべてどうにかしなければ、メグムは女のまま。


 メグムの目は、揺らいでいた。初めて見る彼の表情に、ぼくは内心で動揺した。


「アイって女の子の名前そのものでしょ。だから、メグムだって名乗ったけど、本当のところはどっちでもいいんだ」


 わたしは、わたしだ。それ以外の何者でもない。


 不安げな目は一瞬で鳴りをひそめ、メグムは前を向いた。あの日大きく地面に書いた、「I」の字を思い出す。


「込み入ったことを話すのは、親以外だと君が初めてだった。本当のことを言えなくて、ごめんなさい。君が嫌なら、もうこの公園にはもう」
「いやだ!」


 友だち付き合いは今日きりにしようと言いそうなメグムをさえぎって、僕は大声で叫んだ。驚いた彼が、長い睫毛に縁取られた目をぱちぱちさせている。


 成長とともに、メグムは困難に見舞われる。今は短い髪も、「なんとなく、気分で?」で通るけれど、メグムのことを知れば、絶対にからかう連中が出てくる。学校いちの美少女が、学校いちの得体の知れないバケモノ扱いされる可能性もあるのだ。


 ぼくは、からかわれる悲しさを知っている。


「ぼくは、メグムと友だちになれて、嬉しかった。ぼくだろうがおれだろうが、単に『アイ』の意味しかないって言ってくれたから、心が楽になった」


 だから、メグムの心が折れそうになったときには、隣で肩を叩いて慰めるのだ。


 メグムはメグムだ、と。


 ぼくの決意を聞いたメグムは、少しだけ涙ぐんだ。


「ありがとう」


 キラキラ輝く笑顔で言われて、胸はほんのりと痛んだけれど、ぼくは無理矢理笑顔を浮かべ、うなづいた。


 明日は、ぼくのことをからかってくるクラスメイトに、こちらから話しかけてみよう。何度笑われたって、かまいはしない。


 ぼくはぼくだ。メグムがメグムであるのと同じように、ぼくはぼくでしかないのだ。

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