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<9話
部活終わりのジャージのまま、風子の家に行った。
小学生の頃から変わらない佇まいに、安堵と同時に言いようのない不安や焦燥に駆られるのは、私だけだろうか。
天木家は変わらない。でも、周りはどんどん進んでいく。そして、この家に暮らす人たちの時間もまた。風子の祖父母はどんどん年老いていくし、風子は風子で、いつか独り立ちしなければならないときが来る。
そのとき、私は風子の隣に立っているのだろうか。
ピンポン、と来客を告げるチャイムが鳴ると、奥の方から、「はーい」と声が聞こえてくる。たいていの場合、おばあちゃんか風子のどちらか。おじいちゃんの声は、ほとんど聞いたことがなかった。
午後からの来訪を知らせていたから、風子がすぐにドアを開けた。
「きちんと確かめてから開けろって言ってるでしょ」
天木家には、来客を確認するカメラがついていない。老人と子どもの三人暮らしだ。何かあったら、無事ではすまない。
不用心さを咎めると、風子はぺろりと舌を出して、「ごめんね」と謝った。軽すぎる謝罪だが、これまで大事に至っていないこともあって、まぁいいか、と、許してしまう。
「野乃花ちゃん。お昼ご飯は?」
前掛けで手を拭きながら、風子の祖母が私を温かく迎えてくれた。祖父は、町内会の会合に行っているそうだ。
「軽く食べてきたので、大丈夫です。おかまいなく」
そうは言っても、風子の唯一の親しい友人である私を、本当に一切構わない、なんていうのは、古い時代の人だからありえないと思っている。丁寧にお茶を淹れ、さらにはお茶請けのクッキーまで用意してくれている。
風子の部屋、というのは存在しない。いや、一応はあるのだが、あまりにも狭く、風子自身、寝るためだけの部屋だと認識している。一度だけ入ったことがあるが、とてもじゃないが二人で勉強をする雰囲気にはなれない。
居間のちゃぶ台(ローテーブル、なんていう洒落た横文字は似合わない)の上に、数学の教科書と問題集、それからノートが重ねてある。開いた形跡もなく、消しゴムのカスひとつないきれいな状態に、疑いの眼を向ける。
「フーコ?」
「えっと、そのぉ……」
もじもじと手遊びをして、どうごまかそうか考えている。追い打ちをかけたのは、クッキーを持ってきてくれた祖母であった。
「これね、風子が朝から一生懸命作ったのよ。食べてあげて」
どうりで、風子の全身から甘い焼き菓子の匂いがすると思った。
「こっからテストが終わるまで、お菓子作り禁止!」
「えっ、やだ!」
珍しく、風子が反発した。いつだって私の言うことを、「ののちゃんが正しい」と受け入れて、頷いてくれる。クラスメイトに化粧されていたときだって、そうだ。
私が風子にアレコレ言うのは、彼女のことを考えてのことだから。風子だって、それを理解してくれている。
「赤点取ったら夏休みも補習に行かなきゃならなくなるんだよ? お菓子作りなんてしてる場合じゃないでしょ」
作られたクッキーには罪がないので、ありがたく食べるけれど。
ゴツゴツと無骨な見た目のアイスボックスクッキーは、口の中に放り込むと、手作り独特の風味を感じた。既製品には出せない温かみ、という奴だろうか。
私に説教をされている最中だというのに、風子は期待のまなざしをこちらに向けてくる。
「美味しい?」
「美味しいけどさぁ……」
なんか、様子が変だ。風子はお菓子作りや料理が好きだけど、食べる人の反応はあまり気にしたことがなかった。
自分で食べて美味しければそれでいい。おじいちゃんやおばあちゃんの身体に差し障らなければそれでいい。そんな価値観で、台所に立っているようなところがあった。
私が褒めると、大げさに「本当っ?」と、念を押してくる。その勢いに負けて頷くと、肩の力を抜いて、「よかったぁ」と呟いた。
それでピンと来るほど、私は世の中の事情に精通しているわけではない。風子より要領が良い自信はあるけれど、たったの十五年しか生きていない、女子高生なのだ。知らないこと、わからないことは山ほどある。
「ねぇ、フーコ。どうかしたの?」
不可思議な態度についての答えをもらわなければ、とてもじゃないがテスト勉強に集中できそうにない。
思い切って単刀直入に尋ねた私に、風子はもじもじした。その頬はほんのりと赤い。
「あのね、ののちゃん。男の子って、手作りのクッキーもらったら、嬉しいかなあ?」
風子からの相談に、私が唯一できたリアクションといえば、
「はぁ?」
だった。
>11話
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