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<27話
文化祭までの日々は、長く感じられた。
普通はあっという間だった、というのだろうけれども、私は早く日常に戻ってほしかった。
風子のクラスに様子を見に行けば、ギャルたちがわざと聞こえるように、嫌味を言ってくる。かといって自分のクラスも居心地が悪い。
その日割り当てられる仕事は簡単に終わってしまうものばかり。大変そうにしているクラスメイトを手伝おうとしても、喉の上の方に声は貼りついて、出てこなかった。
「やだもう。全然絵の具足りない!」
クラスメイトが叫んだのに、私は自分の持っているものを分けようかと席を立った。けれど、私よりも先に、「コレ使って」と、赤のチューブを差し出す手。
「ありがと~。マジ助かる」
「困ったときはお互い様でしょ。終わったら、こっち手伝って」
「了解」
自然なやりとりだった。二学期はクラス委員にならなかった、茅島さんだ。あちこちで困っているクラスメイトを、さりげなく手助けしている様子は、一学期の空回りしている姿からは、考えられなかった。
夏休みに、いったいどんな心境の変化があったのか。私に突っかかってくることも、そういえばなくなっていた。
彼女ですら、文化祭準備を通してクラスに馴染んでいるのに、私はぽつんと取り残されてしまっている。
最近は、スマートフォンの通知がうるさい。クラスのグループLINEはフル稼働していて、文化祭への期待がはちきれそうになっている。
それが煩わしくて、私は思い切って、通知をオフにした。別に、私が反応しなくたって、どころか読まなくたって、支障はない。
文化祭なんて早く終わって、日常が戻ってくればいい。
そうすれば、またクラスの人たちと、当たり障りのない関係に戻れるはずだ。根拠はないけれど、そう思う。
風子もクラスの出し物の準備で忙しくしていた。手持ち無沙汰に待っているわけにも行かず、こういうとき、部活に入っていてよかったと思う。
無理矢理部長に入部させられた形だったし、春の段階では感謝することなんて絶対にないと思っていたけれど、体育館という逃げ場をすぐに思いついたことは、ありがたかった。
体育館ステージは、文化祭前日のリハーサル以外では使用許可が降りない。舞台を使うクラスや部活動は、他の場所での練習を余儀なくされている。
私はひとり、体育館の隅でぼんやりする。ひとりしかいない空間なのに、どうして人は、端に寄ってしまうのか。それとも私だけなのか。
授業中にでたらめな方向に飛んでいき、そのまま放置されているバスケットボールがあった。忘れ去られて、どのくらいの時間が経過したのだろう。
なんとなく、他人事とは思えずに拾い上げて、地面についた。
バスケは得意じゃないけれど、動かなければドリブルくらいできる。やることがないからやっているだけ。手慰み程度のものだったが、無心で跳ね返るボールを床に叩きつけていると、幾分すっきりするように感じた。
「なーにやってんのさ」
声をかけられて、ボールを両手でキャッチする。
「部長」
部活を引退後、顔を合わせることも少なくなっていた香織先輩が、にやりと笑って立っていた。彼女は、「もうあたしは部長じゃないって」と言いながら近寄ってきて、私の手からボールを奪い取った。
鮮やかなボールさばきで一気にゴール下まで行って、お手本のようなレイアップシュートを決める。ゴールネットに触れることすらなく、ボールは落ちてきた。
それを拾い、私にパスをしてくる。
「先輩は、バスケ部でもやっていけそうですね」
「球技全般得意なの」
胸を張る彼女の前で、下手くそなドリブルを披露。ゆっくりとゴール下、右斜め四十五度のところから、狙ってシュートを放つも、ダメだった。
「で? 初めての文化祭なのに、クラスの準備しなくていいの?」
「先輩だって、高校生活最後の文化祭じゃないですか」
揚げ足を取ると、「すぐ戻るよ」と言われた。香織先輩は私と違う。クラスでもうまくやれていて、中心人物なのだろう。
先輩と話をしていても、心の鬱屈が晴れるわけじゃない。むしろ一層暗くなるばかりで、私は先輩の存在を無視して、淡々とシュートを放ち続けた。けれど、一向に入る気配がない。手応えがないんだから、当たり前だ。
早く教室に戻ってくれないかな。この人、何しに来たんだろう。
口に出しちゃいけないことくらい、わかる。邪魔だな、とか鬱陶しいな、とか、そういうよくない考えばかり浮かぶ。
沈黙は、何よりも雄弁だった。私の中のもやもや、苛立ちを、先輩は鋭く察知していた。
「あの子。天木さん、だっけ? 頼まれたの。あんたが落ち込んでいるけど、あたしじゃ何もできないから助けてあげて、って。最初、何言ってんのかわかんなかったけどさ、根気よく聞いてたら、そういうことだったから」
クラスにもいなかったから、ひょっとしたらと思ってね。
「意外とバレー、好きなんじゃん?」
いたずらっぽく笑った香織先輩だが、私はちっとも面白くなかった。殴られたような気分で、立ち尽くした。
風子が私を心配していた?
なんで?
私はあの子のお姉ちゃんで親友で……心配される筋合いなんてない。
「大丈夫です。うまくやれてますから」
「野乃花」
「教室に戻ります。先輩も、早く戻ったらどうですか」
硬い声と態度を咎めようとする先輩を背にして、私は体育館から逃げた。逃避にちょうどいい場所だと思っていたのに、そこからも逃げてしまった。
体育館から校舎へと続く渡り廊下を走る。
悔しい。
悔しい!
風子は空気が読めなくて、私以外に長く付き合う友達もいなくて、いつも私が心配する側だった。ほとんど話したことがない先輩に相談しようなんて、自分で思いついて行動するはずがなかった。
誰の入れ知恵?
風子のクラスの同級生たちの顔が、浮かんでは消える。誰が誰なのか、名前も知らない彼女たちの顔は、はっきりと覚えていなかった。でもきっと、あの中の誰かだ。
『あなたの友達、うちの教室にばっかり来るよね。クラスでうまくいってないんじゃない? 大丈夫?』
なんて、風子をそそのかしたに違いないのだ。
見下されている。私の方が頭がいいのに。
クラスでぎくしゃくしているのだって、他の同級生よりも、私がはるかにいろんなことを考えているからだ。
なのにどうして、馬鹿にされなきゃならない? ほとんど見ず知らずの相手に?
勢いに任せて、教室に戻った。ドアを開けると、思いのほか大きな音がして、中にいたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。
何か言われるのだと、身構えた。
何をしてたの? 準備手伝ってよ。やる気あるの?
そんな、マイナスの言葉でもいいから、かけてほしかった。
けれど、彼女たちはこちらを見たのと同様、また一斉に、自分の作業に戻っていった。楽しそうに話をしていて、私のことはまるで、最初からいなかったかのように。
心がざらつく。肌が粟立つ。私はここに、確かにいるのに。
無性に風子の脳天気な笑顔が見たくなった。あっちのクラスなら、敵対視くらいはされるだろうか。そんな賭けをしたい気持ちに駆られる。
でも、もしも、風子のクラスでも無視されたら?
風子すら、話しかけてこなかったら?
そう思うと恐ろしくて、私にできることは、ひとつしかなかった。
自分の席に座り、ぽつんと解散時間まで過ごすことしか、できなかった。
ああ。早く文化祭なんて、終わってしまえ。
>29話
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