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<10話
「口に合わないかい?」
「いいや……この間参加した舞踏会の食事よりも、よほど美味いのは、知っているよ」
オズヴァルトは、女性のドレスや宝飾品の製作・販売を行う大店、マイユ商会の三男坊だ。上の二人とは母親が違うことは、彼が兄たちとはまったく似ていないことから、すぐに知れる。
第一、オズヴァルト自身が最初から隠し立てしていない。三男かつ元々愛人の子である彼は、商会を継ぐことはない。
たとえ、兄たちよりも見目麗しい美丈夫である彼が店に立っているときの方が、売れ行きが好調であったとしても、覆ることはない。
一歩間違えば、兄たちから冷遇されてもおかしくない立場の彼であるが、今をもってピンピン生きていられるのは、ひとえに彼の処世術のおかげである。
オズヴァルトの母親は、隣の国の貴族出身であった。彼女がマイユ家の若旦那(つまり、オズヴァルトの父)を大層気に入り、酒を大量に飲ませたうえで、無理矢理寝台に引きずりこんだ。彼にとって幸いだったのは、その家の当主(オズヴァルトにとっては、祖父となる)が、過激な娘の行動をじゅうぶん理解して、若旦那に非はないと信じてくれたことだった。
とはいえ、娘に手を出してしまったことには違いない。オズヴァルトの父は、すでに結婚しており、子供もいた。ずっと養育費を支払っていたが、五年ほど前か。妻が亡くなったのを機に、オズヴァルトとその母を呼び寄せたのである。
しかしわがままな貴族令嬢は、同じ規模の商会から迎え入れた正妻とは違い、店のおかみになることはできなかった。
母親の代わりに働くようになったのが、息子のオズヴァルトだ。彼は母方の祖父に手紙を出し、隣国において、戸籍上の父となることを求めた。隣国のものであっても、爵位があればこの国の社交界に出ることが許される。
オズヴァルトは、パーティーの会場で新しい商品を宣伝したり、どんなものが求められているのかの市場調査を行い、マイユ商会の発展に寄与しているのである。冷遇しようものなら、商会は流行最先端を気取ることはできなくなるだろう。
オズヴァルトは食事に一切手をつけようとしない。尋常ではない事態に、クレマンも食事を中止した。
「……何があった?」
クレマンの問いかけに、友ははらはらと涙をこぼす。そこそこ長い付き合いになる友人の泣き顔を見るのは初めてだった。美貌の男の青い目が潤み、頬へと落ちる様に、うっとりと見入ってしまいそうになる。悲恋の歌劇を見ているようだった。いや、売れっ子の舞台役者だって、こんなふうに美しく泣くことはできないに違いない。
「イヴォンヌが……」
「イヴォンヌ……バロー嬢が、どうかしたのか?」
オズヴァルトはついひと月前、婚約した。相手はマイユ家と取引のあるバロー家の娘だった。貴族的な生活を夢見るバロー家の両親は、名義だけとはいえ子爵家の一員であるオズヴァルトと縁を持てたことに、ひどく感激していたらしい。
イヴォンヌとクレマンが言葉を交わしたのは、ほんのわずかな時間だったが、クレマンの肩にも届かない小柄な少女であった。十六歳という結婚適齢期の年齢にそぐわないほど、臆病でおどおどしていた。
そんな可愛らしい少女を、誰よりも美しい男がエスコートしているのを、婚約を記念したガーデンパーティーに呼ばれた女性たちは、羨ましいという溜息をもって見つめていた。お似合いだった。イヴォンヌの歩幅に合わせて歩き、緊張している彼女の手を取って進み、にこやかに挨拶をするオズヴァルトは、完璧な紳士であった。
イヴォンヌが可愛い。バロー家の人々も優しくしてくれる、いい人たちばかりだ。
そう語ったオズヴァルトを、微笑ましく思っていた。
そのイヴォンヌ・バローに何が?
「イヴォンヌが、死んだ! 殺されたんだ!」
悲痛な叫び声に、クレマンは目を見開いた。
>12話
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