<<はじめから読む!
<8話
次の日すぐに、文也は夏織が妊娠したことを上司に申し入れ、退職の旨を切り出した。夏織は彼の隣で、黙っているだけでよかった。
おめでとう、という祝福の声が、ぱらぱらと上がった。以前子供ができた職員に対しては、もっと皆、声を大に祝っていたのに。夏織は自分の評価が地に落ちていることを、改めて実感した。
話し合った結果、夏織は月末で退職することになった。あと二週間ほどの勤務だが、閑職に追いやられていたので、引き継ぐ業務も何もない。
週に何日かは出勤する必要があるが、残っている有給の消化に努め、文也の棲むマンションに引っ越しする準備にあてる。
夏織が「残り期間もわずかではありますが、よろしくお願いします」と頭を下げた後の、百合子の表情は見ものだった。
わなわなと唇を震わせて、充血した目で夏織を睨みつけてくる。その異様さに、近くにいた同僚たちは、彼女から距離を置いた。
彼らの目は、「もしかして、古河さんが言ってたことって本当だったんじゃないの?」と、百合子を疑う目になっており、やがてその空気は伝播し、課長にも伝わった。
課長は百合子から、夏織の悪評を散々に聞かされ、夏織を冷遇した張本人だ。
彼は咳払いをして、「とにかく、最後まで頑張って働いてくれ」とだけ言い残し、そそくさとその場を離れた。
トイレにでも行くのかしらね、と課長を見送り、それから夏織は、百合子に再び視線を戻す。
百合子は青い顔をして、唇を噛みしめていた。二重あごがたるんでいて、その顔はとても醜い。
嫉妬に塗れた女を、夏織は見下した。鼻で笑いそうになって、じっと堪えた。
痩せてもっと魅力的な女になろうという努力もせず、大人しく自分の言いなりにできそうな文也に狙いを定めた、浅ましい女にしか見えなかった。
夏織との交際を知ったときに、大人しく諦めて次に行っていれば、こんなに惨めな思いをすることはなかっただろう。
すべては彼女の自業自得だ。
最後だけ、夏織は微笑みを浮かべて、百合子から視線を外し、デスクに戻った。
>10話
コメント