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<87話
クリスティンとは、直接会うことがないままだった。手紙のやりとりだけを続けている。もっとも、彼女はまだ字を習っている最中だということなので、代筆の文章がサンソン邸には届けられる。
「ブリジット。クリスティンから手紙が届いたよ」
悪阻まっさかりのブリジットの青い顔に、ほんのりと朱が混じった。クレマン宛というよりは、ブリジット宛の内容のことがほとんどなので、彼女に先に渡すようにしていた。ゆっくりとベッドの上に身体を起こすブリジットを支える。
中身を読んだ彼女は、嬉しそうに、けれど怪訝そうに首を傾げる。
「どうした?」
クレマンも手紙にざっと目を通すが、妻が引っかかるような文面は何もない。身重のブリジットを気遣う言葉が書いてあるだけだ。妻曰く、それがおかしい、とのこと。
「だって私、彼女への手紙に子供のことは書いていませんもの」
妊娠初期は子が流れやすい。大々的に知らせてから流産した、となると悲しみも深くなるので、あまり喧伝するものではない。ブリジットの実家の人たちにすら、知らせていない。
現時点でブリジットの妊娠を知るのは、産婆と最初に看破した老女たち、それから遊びに来たオズヴァルトだけだった。彼らには安定期に入ってから他の人には知らせるつもりなので、内緒にしてほしいと頼んである。
「オズヴァルトが口を滑らせたんじゃないか?」
親友を信頼していないのか、と怒られそうだが、彼は酔った勢いであったり、その場の雰囲気に流されて「ついうっかり」という失敗がある男だ。その後の謝罪や普段の愛嬌もあって許されるが、実際クレマンも何度か、被害に遭っている。
「それならそれでいいのですけれど……」
言いつつも納得していないブリジットの気がかりを、クレマンは根気よく聞く。幸い、話を聞くのは得意だし、苦にならない。
「文字を習い始めて、もうずいぶん経ちますでしょう? 一言くらい、自分で書きたいって思うものじゃないかしら。少なくとも、私はそうでした」
できなかったことができるようになったときの喜びは大きい。特に子供であれば、大好きな人にその成果を見せたくて仕方がなくなる。意味を成す文章を書くことが難しくとも、自分の名前を最後に付け足すことくらいは、すでにできるようになっているはずだ。それも無理なら、練習の紙を同封するだけだっていいのに、とブリジットは零す。
そう言われてみれば、確かにおかしい気がする。オズヴァルトに「クリスティンは元気か?」と尋ねるも、彼は「元気だよ」と言うだけで、具体的なエピソードはまるで出てこないのだ。ブリジットが会いたがっていると言っても、何かと理由をつけて、彼女との再会は叶わないままである。
「ちょっと、オズのところに行って確認してみようか」
「でもあなた。忙しいのに」
捜査が暗礁に乗り上げて、また新たな手がかりの発見を待つ、地道な捜査中だ。新たな何かとはすなわち、次の犠牲者を待っているということに他ならないということを、クレマンは自覚している。
「たまには気分転換が必要だ」
クレマンの言葉に、ブリジットは心配そうな表情のまま、頷いた。
>89話
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