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<18話
準備期間も短く、たった三日間の公演。しかも大学キャンパス内の施設を使用するため、音響や照明設備など、外部の劇場と比べて、はるかに質が劣る。
突貫工事のような舞台であっても、『新月荒野』の完全新作である。ファンや演劇関係者たちで、会場は熱気に包まれていた。
生命や倫理といった、社会的な問題を取り入れることが多い仁の戯曲だが、今回は議論を呼ぶようなものではなく、コメディ要素を多く含んだ、ある男の半生を語る、ラブストーリーだ。
主役の男は、舞台上には存在しない。周りの人々が彼とのやり取りを芝居で繋いでいき、不在の主人公の存在を際立たせる、という演出になっている。
まず出てきたのは、男の両親。それから、看護師。天使のように愛らしい子だと、言葉を尽くす彼らによって、赤ん坊の姿が見えてくる。
自我が芽生えてから、少年は自分の顔のよさを自覚して、周りを振り回す。思い通りにならないことなどない。そう、彼は思いあがっていた。
彼の人生が一変したのは、中学二年で、初めて彼女ができたときだった。
舞台に出てきたセーラー服の少女は、イケメンと付き合えて嬉しい、という顔で見えない主人公に寄り添った。しかし彼女の顔は、次第に曇っていき、真顔での溜息が増えていく。
男の失態の数々が、原因だった。財布を忘れ、雑誌で当たりをつけていた店に行ってみたら定休日。小さなミスが重なって、少女は彼氏に、何の期待もしなくなる。
最終的に、少年は彼女から別れを告げられる。そのときの台詞が、彼のその後を決定づけた。
『あなたって、本当に顔だけ!』
中学二年の多感な時期に、価値観は決定づけられた。自分の価値は、顔だけ。周りにいる友人も、ちやほやしてくれる親や教師も皆、自分の顔しか見ていない。
本当の意味で、自分を好きになってくれる人間なんて、いない。
大学に入学した青年の前には、たくさんの女たちがいた。彼がその手を取るのはいつだって、深窓の令嬢というにふさわしい、奥手な女たち。
彼女たちは、男の王子様のような振る舞いに感激し、湯水のごとく金を使い、貢いだ。
アクセサリー、洋服、それから時計。そうした貢ぎ物が男にとってのステイタス。顔についた値段だけが、男が信じることのできる、己の価値になっていった。
何人もの女と付き合ったが、男は別れ際もきれいなものだった。彼女はぼうっと熱っぽい瞳で虚空の男を見つめていた。
薫は目を一度閉じ、深呼吸をしてから、再び目を開けた。その瞬間から、薫は、自分ではない人間になり、熱いライトの下に飛び出す。
作中で「薫」が男と出会うのは、男がアルバイトをしていたコンビニエンスストアだ。酔っぱらいの男にしつこく絡まれて困っていると、彼が助けてくれた。
『あの、助けていただいて、ありがとうございました!』
仁と話し合った結果、メイクをして完璧に女装はするが、声は男のまま、素のままでいくことにした。観客を騙すことが目的の舞台ではないからだ。
薫がすでに男であることを提示して、それから見えない主人公とどのような物語を紡いでいくのかに、集中してもらうことにしたのである。
声はともかくとして、薫は誇張するほどに女性らしく演じた。指先までぴん、と張りつめさせて気を抜かずに。遼佑の前で静を演じていたとき以上に、男の理想とする女を演じてみせる。
夢中になっていく男を、観客は見る。そして彼らもまた、薫の演じる「薫」に、知らず知らず引き込まれていく。
女のフリをして、男と付き合う目的は一体何なのだろう。そう考えながら、観客たちは、繰り広げられる物語を見守っている。
やがて男は、「薫」の目的を知る。「薫」は、売れない役者だった。
いつもきれいに、後腐れなく別れたと思っていたのは、男の方だけだった。中には、男のことが忘れられずに、その後の婚姻にまで影響を及ぼした女もいた。
いつも金欠で困っている「薫」を雇ったのは、そういう女の実家だ。夢中にさせておいて、男にとって最悪のタイミングで、性別を明かしてほしい。謝礼はたっぷりと弾む。あの最低な男を、ぎゃふんと言わせてほしい。
そう懇願されて、「薫」は金欲しさに、頷いた。
板の上で薫は、ブラウスの前を開き、ブラジャーから何枚ものパットを取り出して、平らな胸を晒した。
『私……いや、俺、男なんだ』
見えない主人公に、淡々と自分がなぜこのような姿をしているのかと語り掛ける「薫」は、しかし、次第に泣きそうになる。
ここから先は、台本に書かれていない。正真正銘、自分だけで創り上げた「薫」で勝負しなければならない。
「待って!」
悲痛な表情を浮かべて、逃げようとする男を――見えない遼佑を、薫は強く引き留めた。客席を真っ直ぐに見つめ、薫は一歩、踏み出す。動きを止め、自分を見つめている遼佑に近づく。
手を伸ばして、動かぬ彼の頬に、触れる。
「確かに、俺はあんたを騙した。でも、俺は……俺は」
自然と、薫の両目から涙が零れた。あえて舞台用の崩れない化粧品ではなく、市販の物を使っている。ぐしゃぐしゃと擦ると、マスカラやアイラインが落ちて、目の下が真っ黒になり、涙も透明ではなく濁った色になった。
さらにウィッグを外せば、「薫」は無様な、格好悪い、ただの男だった。
「あんたのことが、好きだ」
薫は声を振り絞り、遼佑へと愛を叫ぶ。
「あんたが人一倍、寂しがり屋なのも、付き合ううちにわかった。ただ、認められたかっただけなのも」
薫の前では遼佑が、首を横に振る。
「俺が、俺が認めるから! あんたが最低なクズでも、自分で顔しか取り柄がないって思ってても、俺はあんたのいいところ、いくつだって言えるから!」
初心者を装った薫にゲームで敗北して、「もう一回!」とリベンジを果たすまで諦めない、子供っぽい姿。
本当は女慣れしていなくて、デートの度に緊張して、手が汗ばんでいる初々しい姿。
「ただ、本当の姿で向き合いたいだけなんだ」
ずるずると膝をついて、薫は嗚咽しながら泣いた。男は「薫」の元に戻ってきて、震える肩を、武骨な手でそっと叩いた。それを感じて、「薫」は顔を上げて、みっともない顔のままで、微笑んだ。
劇団『新月荒野』の完全新作、『恋愛詐欺師は愛を知らない』は、幕を下ろした。
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