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診察室を出て、支払いを済ませる。それからまっすぐに篤久の病室を目指そうとしたところで、ふと、見舞いの品のひとつも持ってきていないことに気がついた。
いかにも自分の(姉の)診察の「ついで」感が出てしまって、あまりよくない。
顔を合わせることはないとはいえ、手土産の有無によって、印象は大きく変わる。誰の、といえばナースステーションに詰めている看護師の、である。
僕は売店に行くことにした。この辺りでは、一番大きな総合病院である。見舞い客が時間を潰すことのできる食堂やカフェもあれば、売店も入っている。
大手コンビニの店舗が入っているが、街中の店とはちがい、規模も小さければ、店員は制服を着ていない。その一角だけ、病院の中とも外とも異なる空間が、できあがっている。
棚の前にやってきた僕のことを、店員は一瞥しただけで、「いらっしゃいませ」の一言もなかった。場所柄、大声を出せないのはわかるが、やっぱり独特だった。
このコンビニが入っている西棟は、精神科以外には、整形外科や皮膚科などの診療科が入っているため、食品の数もそこそこある。
これが東棟だと、食事に制限がある内科・外科の患者が、勝手に買い食いしないように、という配慮で、ほとんど入っていなかったりする。
僕は、篤久が毎週買っていたジャンプを買う。いつか正気に戻ったときに、「ワンピースが終わっている!?」なんてことにならないように。ハンターハンターは大丈夫だろうけど。
会計を済ませて、病室へ。入院患者がいるのは、三階から上だ。部屋の番号だけは、篤久の母に聞いてある。四階の、四〇一号室。
精神科の病室が並ぶ廊下は、寒々しく感じた。
なぜだろう、と考えてわかった。
精神科は立って歩いている人が少ない。看護師や医者くらいのものだった。
内科の病室なんて、元気な入院患者という矛盾めいた存在が、雑談をしたり、歩き回ったりしているというのに。
四○一号室の前で、僕は立ち尽くす。面会謝絶、と無機質に印刷された用紙をじっと見つめ、それから扉に耳をくっつけてみた。
うめき声は聞こえなかった。
僕はすぐに諦めて、ナースステーションにジャンプを預けた。名前を聞かれたので、「ツムグ、と言ってくれたらあいつはわかります」とだけ言付けて、僕は一礼して、エレベーターへと向かった。
一階にたどり着いたとき、僕はふと、喉の渇きを覚えた。さっき一緒に買えばよかったな、と売店へ向かう。自動販売機でもいいのだが、紙パックばかりで、この場で飲んでから帰らなければならない。
冷蔵の棚の中に、びっしりと詰められているのは麦茶だった。なるほど、ノンカフェインで、患者の多くが口にできる。回転もいいのだろう。実際、僕が手を伸ばす前に、パジャマ姿の女性が、扉を開けた。
「あれ?」
病院といえば老人。しかし、麦茶を買おうとしている彼女の髪の毛はふさふさ、艶のある黒だった。若い女性、僕と同年代だろう。彼女の「お願いします」という声に、僕は聞き覚えがあった。
「……濱屋さん?」
学校では髪の毛を結んだり巻いたりしているから、ぴょこりと頭の上で跳ねる寝癖? がついた髪型には違和感があるが、その下にくっついている顔は、愛らしく整っていて、どう見ても美希だった。
声をかけた僕に、彼女は普通の顔をして、振り向いた。
同じクラス、だけじゃない。僕は篤久の親友で、彼女は篤久の元カノ。決してポジティブなものではないが、顔と名前が一致する、というレベルの関係ではない。
なのに、美希は不思議そうな顔をして、首を傾げた。会釈に見えなくもないが、ただ単純に、困惑しているだけの顔。
そのまま彼女は、僕と言葉を交わすことをせず、無言で売店を、パタパタとスリッパの音を立てて去って行った。
残された僕は、ただ呆然。
少々やっかいな事情、わだかまりをお互いに抱えているとはいえ、無視をされるのは、気分がよくない。声をかけて損した。
僕は彼女のパジャマの後ろ姿を見送ることしかできなかった。
……パジャマ?
彼女は入院しているのか? 学校では、特に普通だったように思うのだが……。
美希が病院にいた事情に混乱していた僕は、買おうと思っていた麦茶を忘れ、帰路についた。バスに乗ってから、再び喉の渇きを思い出したけれど、もはや家の最寄りに着くまでは、どうしようもない。
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