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<64話
一日目は宿題がメインイベントとなってしまった。その後ディナーの準備が整うまでの間、柏木による撮影会に巻き込まれたことは、思い出したくない。不敵な笑いってなんだよ。つか、俺そんなにへなちょこな笑顔なの……?
夕飯をディナーと称したのは、そうとしか言えなかったからだ。学校でやる合宿だと、学食に事前に依頼して準備してもらうか、コンビニで買ってくるか。外部でやる合宿でも、宿舎の人が作ってくれたり、まれに自分たちで作ったりということもあるだろう。
で、俺たちの合宿はどうかと言うと。
「どうなさいました? 料理、お口に合いませんでしたか?」
じっと皿を見つめる俺たちに、呉井さんは慌てて声をかける。彼女自身は完璧なマナーでもってナイフとフォークを使用している。
「い、いや、あの……なぁ?」
山本は眼鏡を神経質に上げ下げして位置を調整し、柏木はスマホで写真を撮ることすら忘れて、呆然と皿を眺めている。彼らは呉井さんの問いかけにまともに解答をする心の余裕がないので、俺が代表で答える。
「合宿に来て、本格フレンチのフルコースが出てくるとは、思ってなかったんだよ……」
そう。目の前の皿に載るは、前菜《オードブル》。夏らしく冷たいもので、夏野菜のコンソメゼリー寄せっていう奴だ。野菜の色鮮やかさが、食欲をそそるのだが、うかつに手を出すことができない。
宿題をしていたら、チャイムが鳴った。仙川が立ち上がりかけたが、ドレスで動きが制限されるため、身軽な呉井さんがスタスタと玄関まで出て行った。仙川は、自分の存在意義が危機的状況に陥ったのか、「あああぁぁぁ」と奇妙な悲鳴を上げていた。
呉井さんが出迎えたのはシェフと補助の弟子ポジションの人の二人。目が点になったのは、言うまでもない。
出張シェフが来るような合宿って何? どこの金持ち学校の有閑倶楽部?
下ごしらえは済ませてからやってきたのか、あれよあれよと準備は整った。次に出てくるのはなんだっけ? スープ? 主食はおかずと一緒に食べたい日本人なんだけど、パンはいつ出てくるの?
「呉井さんや瑞樹先輩と違って、俺たちこういう食事に慣れてないんだよ」
「じゃあ、いい機会じゃない?」
ゆっくりとゼリー寄せを口にして、咀嚼し飲み込んでから、瑞樹先輩は言う。いたずらっぽい笑顔を浮かべて、「ここで勉強しておけば、どこに行っても困らないよ」と。
どこへ行っても、の言葉を呉井さんは超解釈する。ポン、と手を打ってはしゃぐ。
「異世界で皆さんが、貴族に転生しても大丈夫なようにしましょう!」
転生を夢みているのは呉井さんだけなのだが、いつの間にか部員全員が転生志願者にされている。俺や柏木はまだしも、今日呉井さんの本性を知った山本は、ひどいとばっちりだ。
異世界云々は別として、正しいテーブルマナーを身に着けるのは、やぶさかではない。いつ何時、必要に迫られるかもわからない。例えば将来、彼女とのデートでフレンチに行ったとして、あたふたしている姿を見せるのは、イケてない。
でも、明日の夜もこんな感じなのは、ちょっとなぁ……。たまに食べるからこういうのは美味しいんであって、連日はありがたみが薄れそうだ。
そこで俺は、一計を案じ、柏木に話を振る。
>66話
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