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<79話
「ああ、もう帰るところだった?」
瑞樹先輩がやってきた。結局俺たちは、彼のクラスが何をしているのか知らない。
「お疲れ様。ひとまずこれ」
疲れたときには甘いもの……と、購買横の自販機で売られている紙パックジュースが人数分。それぞれ違う味だったので、「ここはレディファーストで」と先輩は言って、呉井さんと柏木に選ばせた。
「ありがとうございます」
残ったバナナミルクが俺の。普段は選ばないけれど、ただひたすら甘さを追及しました! という味が身体に沁みる。
「明日なんだけど、これ、みんなで見に来ない?」
「なんです、これ」
瑞樹先輩の持っていたチケットは、明日体育館で行われる舞台の優先席だった。基本的には自由入場、早い者勝ちの体育館でのイベントだが、前方に優先シートが設けられており、そこに入れるというわけだ。
「舞台……えっ、先輩のクラス、舞台なんてやるんですか?」
うちの学校、演劇部が存在しない。立派な体育館ステージは、実は宝の持ち腐れなのだ。
しかし演劇となると、必要なのは役者だけではない。脚本や演出を担当する人間も必要だし、セットも作らなければならない。金も時間も莫大にかかるだろうに、それをわざわざ、三年生がやるだろうか。
前の学校では演劇部があったが、彼らはコンクールの参加に重点を置いていた。文化祭での発表は、衣装やセットを省略し、台本を覚える手間すら省いた朗読劇だった。高校の文化祭で劇をやるなんて、都市伝説みたいなものだと思っていた。
「全員じゃないけどね。たまたまなんだ。文章を書くのが得意な子がいて、美術部の子がいて、裁縫上手な子もいた。最後の思い出になることをしようって盛り上がってね」
「それって瑞樹先輩、もしかして舞台に上がるんですかっ?」
興奮した様子の柏木は、夏合宿のときのコスプレを思い出しているに違いない。鼻息が荒くて怖い。
瑞樹先輩は、はにかんだ笑みを浮かべて頷いた。
「まぁ、ね。断れなくて」
「え~! 絶対っ、見ます! 頑張ってください!」
拳を握る柏木の脳内では、すでに瑞樹先輩は王子様装束なのだろう。目がキラキラしている。
しかし、舞台かあ。だから瑞樹先輩、ダイエットしてたんだな。太った王子様でも、先輩ならそれはそれで可愛い感じだろうけど、今のシュッとしたスマートな姿の方が、客ウケもいい。
「まどちゃんも、見に来てくれるよね?」
「あ……見たいのは見たいのですが、この時間はちょうど、このブースでの店番がありますわ」
チケットに書かれた時間帯を見れば、閉会直前の時間帯が上演時間だった。セットの移動もろもろを考えると、他のステージ演目を先に済ませた方が得策だろうから、納得である。
「そうなの? うーん。でもこれ、まどちゃんにもぜひ見てもらいたいんだよね」
先輩ならあっさり引き下がると思ったが、今日は違った。何か理由があるに違いない。そう思った俺は、山本に目配せした。彼は俺の言わんとしていることを察知する。
「呉井。そこの当番なら、僕が前の時間から続けてやればいいだけだから、心配するな」
「でも」
「大丈夫。この時間帯なら、ほとんど客も来ない。みんな舞台を見に行ってしまうだろうし。僕はここで、参考書を読みながら店番をするさ」
あながち嘘ではないな。というか、山本の場合、これは間違いなく本心だろう。準備段階でいろいろ骨を折ってもらったから、当日暇な時間帯くらい、好きにさせてやるべきだ。
「……わかりました。よろしくお願いします」
呉井さんがぺこりを頭を下げた一瞬の間に、山本は俺と瑞樹先輩に目を向けて、頷いた。これでいいんだろう、と問われ、俺も頷く。
瑞樹先輩が何を思って、呉井さんを舞台に呼びたいのかは、今のところは不明だ。でもきっと、何か理由がある。
「明日、楽しみだね」
俺が言うと、呉井さんは柔らかく微笑んだ。
>81話
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