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<21話
空港を一人で訪れたのは、何年ぶりだろう。悔恨の気持ちから、要はこの地に己を呪縛していた。修学旅行は仕事だと割り切っていくが、個人的な旅行など、もってのほかだった。
俊平が、土曜日には東京に戻るという情報は、知っていた。だが、何時の飛行機なのかまでは、聞いていなかった。だから、朝一番に着いて、ずっと要は待っていた。
入口が見える場所に腰かけて、見逃してはならないと、スマートフォンも弄らず、休憩も取らずに、ただ待っていた。
俊平がやってきたのは、昼過ぎだった。車で送ってもらったのか、要の存在には気づかずに、スーツケースを手に親と歓談している。
話しかけてもいいものか、要は悩んだ。だが、搭乗手続きを済ませてしまうと、俊平は機上の人になってしまう。
「新田」
親子の会話を中断して、俊平は振り向いた。驚愕の顔を貼りつかせた彼に、要は自分でもはっきりとわかる、ぎこちない笑みを浮かべた。
「瀬川、先生……」
要は俊平の母に、ぺこりと会釈をすると、スーツケースに手を添えた。先生? と不思議そうに声を上げた俊平に、「俺が飛行機代出すから、帰るのは、明日にしないか?」と要は言った。
声も出ない俊平を後目に、要はさっさとスーツケースと俊平の手を引いて、駐車場へと向かった。
一人暮らしのマンションに、他人を入れたのは初めてだった。いや、親でさえも、引っ越しの手伝いのときしか、ここには足を踏み入れていなかった。
「適当に座って」
要は言ったが、俊平は居心地が悪そうに、身体を揺すりながら、部屋の中で立ちっぱなしになっていた。苦笑して、まずは要がベッドの端に座る。釣られて俊平も、腰を下ろした。
要は、出しっぱなしになっていた卒業アルバムを、俊平に渡した。昨夜、眺めながら眠ってしまったのだ。ためらいながら俊平は、開く。
「それが、陽介」
クラスの集合写真を指差した。俊平は、写真の中に小さく映った青年を見つめた。その目にはありありと、嫉妬心が混じっている。
「ようやく、陽介が思い出になった」
アルバムを見返すことが、できるようになった。彼は今も、要の親友だ。遺した手紙の中でも、陽介は「好きだ」と伝えてくれたし、それをありがたいとは思ったけれど、恋人だったのは、卒業式の日の、あの一瞬だけだ。
「お前は、二週間で運命を変える恋をしたって、言った」
それならば、要が経験したこの二週間も、また。
要は一度、大きく深呼吸した。初めての授業のときよりも、緊張している。相手はたった一人なのに。
「俺も、この二週間で、運命が変わったんだ」
ずっと、一人で生きていくのだと思った。陽介の家族に気づかれないように、陰で墓守をしていくのだと、思っていた。
「俺は……お前といる、未来を選ぶよ」
俊平が息を呑むのを、至近距離で感じた。大きな目が、歓喜の涙で潤んでいく。
「……俺ね、あんなこと言ったけど、本当は二週間じゃダメだと思ったんです」
期限付きの恋人関係の中で、要が俊平の想いに触れて、恋をすることの素晴らしさを、思い出してくれたら、それでよかった。
「俺じゃない人とでも、いつか、恋に落ちてくれたら、それでいいや……って」
唇が、触れた。何度も、小さな音を立てて吸われるキスを、要は目を閉じて甘受する。くすぐったいのは心だ。もう三十になるというのに、子供と恋人の狭間のキスに、どうしようもなく揺さぶられている。
「好きだよ、せんせ」
息継ぎの間の、吐息交じりの告白に、要は頷いた。愛しているが、溢れている。
もう俺は、お前の先生じゃないよ。そう笑うと、俊平は深く長い口づけを、要に施した。
>23話
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