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<12話
夏休みに入ると、飛鳥はすぐに帰省してしまった。
飛鳥の不在を知ったのも、実のところ彼から帰省予定を告げられたわけでも、自分で気づいたわけでもない。
他人から聞かされて初めて知り、祥郎は、自分が完全に、飛鳥に嫌われたのだと思った。
「どのくらい帰省するか知ってるか?」
さほど飛鳥と親しくない後輩は、そこまでは知らない、と首を横に振った。
「坂城先輩が知らないなら、たぶん誰も知らないんじゃないっすか?」
少し前までならば、一理ある。だが、今の祥郎は、飛鳥から一番遠いところにいる人間だ。
談話室を後にしながら、祥郎はスマートフォンをポケットから取り出した。トークアプリを立ち上げるが、メッセージを送ることに躊躇する。
何を言えばいいのだろう。当たり障りのない話題、というのを思いつかない。
元気か? いつ帰ってくるんだ?
そんな風に軽く尋ねてみればいいのだろうが、既読スルーされる未来しか見えなかった。
(やっぱりやめよう)
祥郎はそっと溜息をついて、スマートフォンをポケットに戻す。
外に出るのも暑いだけだし、特に用事もない。自室に戻ろうとした祥郎の耳に、「あっ……ちぃ~……」という独り言が届いた。
「……昭島」
汗を拭きながらも、どこまでも涼しげな顔をした美形の男は、片手を上げて応じた。
「よ」
「よ、じゃない」
時刻はまだ午前十時だ。こんな時間に彼が外を出歩いていたということは、また朝帰りだ。
最近は、飛鳥にちょっかいをかけるために、鳴りを潜めていた。飛鳥が帰省するやいなや、また夜遊びを再開したのか。
祥郎は呆れ返る。同級生だから、あまり何度も忠告するのも角が立つ。あまりしつこくしないように気をつけていたが、飛鳥のことを思うと、一言二言、苦言を呈さずにはいられなかった。
「また朝帰りかよ」
昭島は頷く。その様子には、少しも悪びれたところがない。
「時任がいるのに?」
短い一言を、昭島は最初、理解できていない様子だった。しばし呆けたような顔を浮かべ、祥郎を見つめる。
「ああ、飛鳥ちゃんね」
合点がいったのか、昭島はにやりと笑った。ぐっと祥郎は、言葉に詰まる。
(飛鳥ちゃん、か……)
食堂で、本人に向かって呼びかけたときも、飛鳥は少しも嫌がっていなかった。むしろ、祥郎の言葉よりも昭島のことを優先させていた。
『昭島先輩は、いい人です』
昭島の夜遊びも、ある程度容認しているのかもしれない。それなら、祥郎が口を出すのは野暮だろう。
「……時任と付き合ってるなら、ちゃんと大切にしろ」
祥郎には、そう忠告することしかできなかった。
(時任のことを傷つけたら、この俺が許さない)
そう言う資格は、祥郎にはない。自分は右手に過ぎないうえ、もうその役目もお払い箱だ。何の繋がりも残らない。
飛鳥のことを思えば、傷つくだけとわかっている昭島との付き合いは許容できないのは、事実。
しかし、飛鳥に直接言うことは、もうない。
昭島に釘を差すことが、祥郎のできる精一杯のことだ。
「じゃあな。おやすみ」
どうせ今から遅い眠りにつくのだろう。祥郎は昭島に背を向けた。
「それでいいの、坂城は」
意外な言葉をかけられ、祥郎は振り返る。てっきり、返事もなく、あくびをしながらまっすぐ部屋に戻るものとばかり思っていた。
足を止めた祥郎に、昭島は一歩近づく。妙な威圧を感じて、祥郎は身を引いた。
「そうやって正論ばっかり言って気取ってるけどさ。肝心なことは、飛鳥ちゃんになんにも言ってないんじゃないの?」
捲し立てる口調で、昭島は祥郎を圧倒した。
「昭島?」
「そりゃ俺だって、ちゃんとするよ。本当に飛鳥ちゃんと付き合ってるんならね」
えっ、と祥郎は顔を上げた。端正な顔を苦笑に歪めて、昭島は祥郎の額を指で強く弾いた。衝撃に、「いてっ」と声が上がる。
「たまには周りじゃなくて、自分のことを見つめてみろよ。じゃないと、俺が本当に飛鳥ちゃんをもらっちゃうかんな」
言いたいことを言い切ったのか、昭島は大きなあくびをして、「おやすみ」とのろのろ歩き始めた。
祥郎は部屋で一人、昭島の言葉を反芻する。
(本当に……ってことは、昭島と時任は、付き合ってない?)
少なくとも、今はまだ。
それに、付き合おうという意志も、あの言葉からは感じられなかった。
本気で飛鳥を落とそうとしていたのなら、祥郎を焚きつけるようなことは言わない。
いつもとは逆に、昭島は祥郎を諭した。彼の目には、飛鳥への恋愛的な興味は感じられなかった。
再びスマートフォンを取り出す。飛鳥はきっと、自分から連絡などしてこない。
昭島と飛鳥の急接近を目の当たりにしても、祥郎は自分の本当の気持ちに気がつかなかった。なんだか嫌だ。そう感じたのは、可愛い後輩を、性に奔放な同級生の毒牙にかけてたまるか、という理由だと思っていた。
だが、よく考えてみれば、飛鳥の白い指を己の雄に絡ませたときに、キスをしたいと思ったときに……いや、「助けて」と乞われて自慰を手伝ったときに、すでに答えが出ていた。
性欲と恋愛は別。享楽主義者の昭島は、そう言うだろうか。
蕩けるようなセックスは当然、好意を抱いている人間としかできないが、伴う感情は恋じゃなくてもいい。それが昭島の主張だろう。
しかし、祥郎は恋をした相手とセックスをしたい。飛鳥にも、恋愛関係になった人間としてほしいと言ったのは、嘘ではない。
飛鳥に欲情した。すなわちそれは。
(俺は、最初から、時任のことが好きなんだ)
大人しそうに見えて、苛烈な性格を秘している二面性も、情熱的な琥珀の目も、祥郎を惹きつけてやまないのだ。
彼に会いたい。顔を見たい。きちんと話をしたい。
(好きって言いたい)
感情が盛り上がるまま、祥郎はメッセージを作成する。
『いつ戻ってくるんだ?』
だが、いつまで経っても飛鳥の元から返信が来ることはなかった。
>14話
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