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<11話
チャンスはバーベキュー大会当日だ。
三年の祥郎と比べ、一年生の飛鳥は多くのテストやレポートに忙殺されていた。そのため、寮内で出くわすことは少なかった。
彼は夜遅くまで図書館で勉強をしたり、帰ってきても自室に直行して引きこもる。
祥郎は祥郎で、バーベキュー大会の準備もあったし、アルバイトもしていたため、話をする機会に恵まれなかった。
そして迎えた当日。
祥郎は主催者として乾杯の音頭を取った後も、基本的には焼き役に徹していた。紙皿に焼けた肉を載せていき、申し訳程度に野菜も盛ってやる。
「ピーマン嫌いなんですけどぉ」
「二十歳超えて好き嫌いすんな」
汗だくになりながら働いている祥郎は、なかなか飛鳥と個人的に話をするチャンスはなかった。肉を取りに来たときに、ちらりと顔を見たくらいだった。
自分から積極的に人と関わろうとしない飛鳥は、どうしても孤立しがちだ。
これまでなら、話しかけてべったりとはりつくところだが、祥郎は心に決めたのだ。
(絶対、ただの先輩後輩に戻る)
自分は、飛鳥が他の寮生とうまく話ができるように、潤滑油役になる。話を回して、人の輪に溶け込めるように配慮する。
それがまともな寮長としてのあり方だ。すっかり失念していた。
今からでも遅くはない。祥郎が卒業してからも、飛鳥が円滑に寮で過ごすことができるようにする。今まで囲って自立させなかった、自分の責任だ。
ひとしきり焼ききったところで、ようやく祥郎もゆっくりと肉にありつくことができる。
山盛りにした肉とビールを受け取って、きょろきょろと飛鳥を探した。
寮の前庭にテントを立てた会場の傍には、姿を発見できなかった。
(中かな)
ずっと外にいなければいけないというわけではない。暑さに弱い道産子たちばかりなので、肉と飲み物を寮内に持ち込み、食堂で涼みながら食べる人間も多い。
特に飛鳥は、上京して初めての夏だ。ずっと外にいるのは堪えるだろう。
話しかけられることも多く、すぐには中に探しに行けなかった。
肉を食べきったところで、祥郎は寮の中に入る。空調が利いた寮内は涼しく、顔や体の火照りをほっと癒す。
真っ直ぐ食堂に向かうと、足を踏み入れる前に、中から笑い声が聞こえてきた。
(時任?)
高い声、大きな声で笑う飛鳥なんて、さすがの祥郎でも、一度も見たことがなかった。一瞬、人違いかと踵を返しかけたくらいだ。
だが、楽しそうにはしゃぐ声は、どう聞いても飛鳥のものだった。
祥郎は、そっと食堂の扉を開ける。音もなく入室したから、飛鳥は祥郎の存在に気がつかずに、隣の男に話しかけていた。
そしてその男の方は、祥郎が入ってきた瞬間から視線をこちらにちらりと向けて、唇を持ち上げた。
腹が立つ笑みだ。祥郎の神経を逆撫でする。わざと彼を無視して、「時任」と、飛鳥の名前だけを呼んだ。
「……坂城先輩?」
自然と硬い声になったので、いつもの朗らかな声を記憶している飛鳥の反応は、やや鈍かった。
首を傾げながら「どうしてこんなところに?」と尋ねてくる飛鳥の手首を、祥郎は掴んだ。細い手首に指の跡が残りそうなほど、強く。
「え、先輩、ちょっと」
無理矢理立たせると、飛鳥の持っていたビニールのコップから、烏龍茶が零れた。
「おっと」
被害が拡大しないように押さえたのは、飛鳥の隣にいた昭島だった。テーブルに置き直して、にやにやと笑う。
「さーかーき。飛鳥ちゃん、嫌がってんだろ?」
飛鳥ちゃん、というなれなれしい呼び方に、大人げなく怒鳴りそうになる。だが、飛鳥が嫌がる素振りを見せない今、祥郎が怒るのは筋違いだ。
それに、こいつに構っている暇はない。
「時任、ちょっとこっち」
やや強く引くと、飛鳥は戸惑いながらも着いてきた。食堂を出て、祥郎は自分の部屋に飛鳥を案内する。
「坂城先輩、どうしたんですか? なんか、いつもと違って……変です」
最後の「変」はためらいながら言った。
いらいらしているのは、確かに自分でも変だと思う。
自分以外の人間と親しくしていることを、喜ぶべきだと頭ではわかっているが、感情がまるでついてこないのだ。
(見たくない)
仲睦まじい様子の飛鳥と昭島なんて。
そもそも飛鳥は、軽薄な昭島のことを不得手としていたのではなかったか。
なぜ、二人きりの食堂で隣合って座り、飛鳥は楽しげな笑い声をあげていたのだろう。
祥郎は、飛鳥を掴む手の力を抜いた。簡単に、彼の手は抜け出す。
「昭島と、何を話してた?」
「なにって……」
明らかに飛鳥は、回答を嫌がっている。彼はわずかに下を向いて、祥郎のことを真正面から捉えようとしない。
しかも、よく見ると、その頬は恥じらいのピンクに染まっている。
(なんだよ、それ……)
どうして昭島のために、そんな顔をするんだ。
祥郎は、カッとなって飛鳥の肩を掴んだ。薄っぺらい肩には、いくら力を入れても指は食い込まない。それでも、痛みはあり、飛鳥は顔を顰めている。
「昭島は、男女見境ない節操なしで、危ない奴だってことは、時任も知ってるだろ。なんで二人で会ってるんだよ。お前、まさか」
あいつと付き合うつもりじゃないだろうな。
かなりきつい言い方になった事実は、発してから重くのしかかった。
先ほどまでと違い、飛鳥は真っ直ぐと祥郎を見る。いや、睨んでいるというのが正しい。
初めて癇癪を起こしたときと、よく似た厳しい表情で、祥郎を見ている。
「昭島先輩は、いい人です」
冷たい声音は、自分に懐いていたとは到底思えなかった。祥郎の心もまた、冷えていく。頑なになった身体も心も、祥郎のことを拒絶している。
「確かにちょっと、問題はあるかもしれませんけど……でも、そんな理由で全部を拒絶するのは、間違ってる」
祥郎は、はっとした。
「そうわからせてくれたのは、坂城先輩なのに。どうして先輩が、昭島先輩のことを、そんな風に悪く言うんですか」
ノーマルな男ならば、異性の身体に興味がある方が当たり前。それを大っぴらにするのはよくないけれど、欲望を持っていること自体は、否定することはできない。自分のものであっても、他人のものであっても。
グラビア写真集の一件から、飛鳥はそう学んでいた。
気持ちよくなりたいと思ったときに、祥郎を頼るのと同じように、昭島は外の人間に求めている。
そう理解したからこそ、彼は昭島と、普通に接していたのだ。
「僕は昭島先輩からも、いろんなことを教わってるんです。それを邪魔する権利は、坂城先輩にもありません」
言葉を失った祥郎に、「失礼します」と礼儀正しく言って、飛鳥は食堂を出て行った。
追いかけることは、できなかった。
ぴしゃりと扉を乱暴に閉じなかっただけ、飛鳥は冷静だった。
>13話
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