右手じゃ足りない(12)

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11話

 チャンスはバーベキュー大会当日だ。

 三年の祥郎と比べ、一年生の飛鳥は多くのテストやレポートに忙殺されていた。そのため、寮内で出くわすことは少なかった。

 彼は夜遅くまで図書館で勉強をしたり、帰ってきても自室に直行して引きこもる。

 祥郎は祥郎で、バーベキュー大会の準備もあったし、アルバイトもしていたため、話をする機会に恵まれなかった。

 そして迎えた当日。

 祥郎は主催者として乾杯の音頭を取った後も、基本的には焼き役に徹していた。紙皿に焼けた肉を載せていき、申し訳程度に野菜も盛ってやる。

「ピーマン嫌いなんですけどぉ」
「二十歳超えて好き嫌いすんな」

 汗だくになりながら働いている祥郎は、なかなか飛鳥と個人的に話をするチャンスはなかった。肉を取りに来たときに、ちらりと顔を見たくらいだった。

 自分から積極的に人と関わろうとしない飛鳥は、どうしても孤立しがちだ。

 これまでなら、話しかけてべったりとはりつくところだが、祥郎は心に決めたのだ。

(絶対、ただの先輩後輩に戻る)

 自分は、飛鳥が他の寮生とうまく話ができるように、潤滑油役になる。話を回して、人の輪に溶け込めるように配慮する。

 それがまともな寮長としてのあり方だ。すっかり失念していた。

 今からでも遅くはない。祥郎が卒業してからも、飛鳥が円滑に寮で過ごすことができるようにする。今まで囲って自立させなかった、自分の責任だ。

 ひとしきり焼ききったところで、ようやく祥郎もゆっくりと肉にありつくことができる。

 山盛りにした肉とビールを受け取って、きょろきょろと飛鳥を探した。

 寮の前庭にテントを立てた会場の傍には、姿を発見できなかった。

(中かな)

 ずっと外にいなければいけないというわけではない。暑さに弱い道産子たちばかりなので、肉と飲み物を寮内に持ち込み、食堂で涼みながら食べる人間も多い。

 特に飛鳥は、上京して初めての夏だ。ずっと外にいるのは堪えるだろう。

 話しかけられることも多く、すぐには中に探しに行けなかった。

 肉を食べきったところで、祥郎は寮の中に入る。空調が利いた寮内は涼しく、顔や体の火照りをほっと癒す。

 真っ直ぐ食堂に向かうと、足を踏み入れる前に、中から笑い声が聞こえてきた。

(時任?)

 高い声、大きな声で笑う飛鳥なんて、さすがの祥郎でも、一度も見たことがなかった。一瞬、人違いかと踵を返しかけたくらいだ。

 だが、楽しそうにはしゃぐ声は、どう聞いても飛鳥のものだった。

 祥郎は、そっと食堂の扉を開ける。音もなく入室したから、飛鳥は祥郎の存在に気がつかずに、隣の男に話しかけていた。

 そしてその男の方は、祥郎が入ってきた瞬間から視線をこちらにちらりと向けて、唇を持ち上げた。

 腹が立つ笑みだ。祥郎の神経を逆撫でする。わざと彼を無視して、「時任」と、飛鳥の名前だけを呼んだ。

「……坂城先輩?」

 自然と硬い声になったので、いつもの朗らかな声を記憶している飛鳥の反応は、やや鈍かった。

 首を傾げながら「どうしてこんなところに?」と尋ねてくる飛鳥の手首を、祥郎は掴んだ。細い手首に指の跡が残りそうなほど、強く。

「え、先輩、ちょっと」

 無理矢理立たせると、飛鳥の持っていたビニールのコップから、烏龍茶が零れた。

「おっと」

 被害が拡大しないように押さえたのは、飛鳥の隣にいた昭島だった。テーブルに置き直して、にやにやと笑う。

「さーかーき。飛鳥ちゃん、嫌がってんだろ?」

 飛鳥ちゃん、というなれなれしい呼び方に、大人げなく怒鳴りそうになる。だが、飛鳥が嫌がる素振りを見せない今、祥郎が怒るのは筋違いだ。

 それに、こいつに構っている暇はない。

「時任、ちょっとこっち」

 やや強く引くと、飛鳥は戸惑いながらも着いてきた。食堂を出て、祥郎は自分の部屋に飛鳥を案内する。

「坂城先輩、どうしたんですか? なんか、いつもと違って……変です」

 最後の「変」はためらいながら言った。

 いらいらしているのは、確かに自分でも変だと思う。

 自分以外の人間と親しくしていることを、喜ぶべきだと頭ではわかっているが、感情がまるでついてこないのだ。

(見たくない)

 仲睦まじい様子の飛鳥と昭島なんて。

 そもそも飛鳥は、軽薄な昭島のことを不得手としていたのではなかったか。

 なぜ、二人きりの食堂で隣合って座り、飛鳥は楽しげな笑い声をあげていたのだろう。

 祥郎は、飛鳥を掴む手の力を抜いた。簡単に、彼の手は抜け出す。

「昭島と、何を話してた?」
「なにって……」

 明らかに飛鳥は、回答を嫌がっている。彼はわずかに下を向いて、祥郎のことを真正面から捉えようとしない。

 しかも、よく見ると、その頬は恥じらいのピンクに染まっている。

(なんだよ、それ……)

 どうして昭島のために、そんな顔をするんだ。

 祥郎は、カッとなって飛鳥の肩を掴んだ。薄っぺらい肩には、いくら力を入れても指は食い込まない。それでも、痛みはあり、飛鳥は顔を顰めている。

「昭島は、男女見境ない節操なしで、危ない奴だってことは、時任も知ってるだろ。なんで二人で会ってるんだよ。お前、まさか」

 あいつと付き合うつもりじゃないだろうな。

 かなりきつい言い方になった事実は、発してから重くのしかかった。

 先ほどまでと違い、飛鳥は真っ直ぐと祥郎を見る。いや、睨んでいるというのが正しい。

 初めて癇癪を起こしたときと、よく似た厳しい表情で、祥郎を見ている。

「昭島先輩は、いい人です」

 冷たい声音は、自分に懐いていたとは到底思えなかった。祥郎の心もまた、冷えていく。頑なになった身体も心も、祥郎のことを拒絶している。

「確かにちょっと、問題はあるかもしれませんけど……でも、そんな理由で全部を拒絶するのは、間違ってる」

 祥郎は、はっとした。

「そうわからせてくれたのは、坂城先輩なのに。どうして先輩が、昭島先輩のことを、そんな風に悪く言うんですか」

 ノーマルな男ならば、異性の身体に興味がある方が当たり前。それを大っぴらにするのはよくないけれど、欲望を持っていること自体は、否定することはできない。自分のものであっても、他人のものであっても。

 グラビア写真集の一件から、飛鳥はそう学んでいた。

 気持ちよくなりたいと思ったときに、祥郎を頼るのと同じように、昭島は外の人間に求めている。

 そう理解したからこそ、彼は昭島と、普通に接していたのだ。

「僕は昭島先輩からも、いろんなことを教わってるんです。それを邪魔する権利は、坂城先輩にもありません」

 言葉を失った祥郎に、「失礼します」と礼儀正しく言って、飛鳥は食堂を出て行った。

 追いかけることは、できなかった。

 ぴしゃりと扉を乱暴に閉じなかっただけ、飛鳥は冷静だった。

13話

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