重低音で恋にオトして(8)

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7話

 改めて、素面の状態で連れてこられた響一が暮らす部屋は、大学生の独り暮らしにはあはり、分不相応だ。3LDK、明らかにファミリー向けの物件で、しかも南向きの角部屋。

 不躾にならない程度にじろじろと観察していた敬士であったが、響一にはすべてお見通しであった。口元に苦笑を浮かべ、「叔父の持ち物なんだ。こっちの大学に受かったと言ったら、ここに住めって」と、恥ずかしそうに言う。

「叔父さんって、あの、医者の?」

「そう」

 こんなに立派な部屋を所有し、しかも自宅は別にあるのか。

 医者ってやっぱり、儲かるんだな。

 なのに石橋とは違い、匂わせることはない。本当の富裕層は、響一のように余裕があるものなのだろう。

「こっちは録音や編集に使ってる部屋」

「えっ」

 指し示された扉を、敬士はじっと見つめた。ドレミの父の持ち部屋ということもあり、一室は好き放題に改造されているらしい。この部屋の中で、鈴ノ音屋の番組は生み出される。

 そわそわ落ち着かない様子の敬士に気づき、「機材がごちゃごちゃ置いてあるだけだよ?」と言いながら、響一はドアを開けて中を少しだけ見せてくれた。

 壁紙が他の場所と違うのは、防音シートを貼ってあるのだろう。マイクやパソコンなど、いろんなものが雑然と置いてある。

「ここはドレミがメインで使ってるから!」

 散らかっているのが恥ずかしいのか、相方のせいにする。

 響一は「ほら、別に何もないでしょ」と、さっさと扉を閉めてしまった。

「さて、さっそく始めようか」

 本当は、もっと鈴ノ音屋のドラマが生まれる場所を見ていたかったけれど、一応自制心はある。敬士は神妙な顔をして頷き、リビングへと戻った。

 それからしばらくは、真面目にやった。敬士は英語の予習をする。大学生になったら、もっと実践的な会話をやるものだとばかり思っていたが、英語の教材は、高校時代のものとほとんど変わらない教科書だった。

 こんなん意味あるのかな、と思いつつも、辞書を引く。今の自分は高校のときよりも、浪人時代よりも読めるようになったと実感する。それもこれも、短期間でここまで叩き込んでくれた、響一のおかげだ。

 そっと彼の顔を窺った。

 響一は真剣な顔で、自身のレポート課題のために、ノートパソコンに向き合っている。敬士が渡してそのままになっているヘアクリップで、前髪を分けて止めている。形のいい額が露わになって、ぼんやりと見つめる。そして、ハッとなってノートに視線を落とすというのを繰り返す。

 不審な動きに、響一も時折気づくらしく、「わからないところあった?」と、優しく尋ねられるので、いたたまれなかった。首を横に振ると、にっこり微笑まれる。

「いつでも遠慮なく聞いてね」

「あ、うん!」

 再びキーボードの打鍵音と筆記の音しか聞こえなくなった。

そんな静かな空間を、切り裂く声が玄関から聞こえた。

「ちょっと、響一? いるの?」

 ピンポンも鳴らさず、勝手に開錠して入ってきた女の声に、敬士はサッと顔色を変えた。

 まさか、彼女?

 いつの間に、そんな存在を作っていたんだ。

 もちろん、親友レベルとはいかないし、なんでも報告するのが義務とは言わない。だが、家に招いてくれる距離感なら、少しくらい教えてくれてもいいじゃないか。

 無意識に唇がとがりかけて、ハッと気づいて両手で塞ぐ。

「って、あれ? お客さん? あんた、ガッコに友達いたの?」

 エコバッグを片手にやってきたのは、ボブカットの女だった。遠慮なくリビングに入ってきて、じろじろと敬士を観察する目つきが、やがて三日月型に笑み曲がる。

和音かずね。敬士くんが困ってるだろ」

 彼にしては珍しくムッとした表情と強い口調で、不躾な女を咎める。和音というその名前は、敬士の低容量の脳みそにも、かすかに残っていた。

 誰だっけ?

「いや~、だってさ、あんた家に呼ぶような友達って、昔からいなかったんじゃない? おばさんに報告しとくわ」

「やめろ!」

 荒ぶる声に、ようやく敬士は、和音という人物がイコールで結びつく。

「ああ、あっ、あの! 鈴ノ音屋のドレミさん、ですかっ?」

 自然と声が上擦った。キョウと一緒に鈴ノ音屋を運営している、憧れの人である。キョウの声の特性を理解して、魅力を引き出すシナリオには、いつも深く感銘を受けているのだ。

 ガタン、と椅子を倒して立ち上がる。

「オレ、鈴ノ音屋のファンで!」

 あわあわしている敬士に、和音は今更取り繕い、いいところのお嬢さんぶった。

「あら、ありがとう」

「ああ、あああ握手してくださいっ!」

 と、差し出した手は華麗にスルーされてしまったが。

「響一がお世話になってます」

 敬士は両手を顔の前でバタバタさせる。さすがに謙遜という言葉は知っている。

「そんな! いつもオレの方が世話になるばっかりで。オレ馬鹿だし、響一くんに迷惑ばっかりかけてて!」

 緊張と興奮で、これまでの自分の馬鹿な失態エピソードがついて出る。笑われることで警戒心を解き、仲良くなろうという、いつもの悪癖だ。

 次々繰り出される自分の失敗談を、和音は笑って聞いてくれた。あまりしつこく言うと、普通の女の子はドン引きして笑顔が引きつり始めるのだが、和音は演技ではなく、心から笑ってくれている。

「待ってそれ、今度何かに使いたい」

 なんて、メモを取り始める。

 ドレミは音無おとなし鈴香すずかというペンネームで、小説投稿サイトに作品を発表している。敬士の話にインスピレーションを得たらしく、詳細に突っ込んで聞いてくるものだから、興奮した。

 小説自体は読めないけど、お役に立てるのなら!

「光栄です!」

 調子に乗ってペラペラと喋っていた敬士を、物理的に黙らせたのは、響一だった。

 大きな手のひらが、突如にゅうっと目の前に現れたと思うと、口を封じられた。あまりに突然のことだったので、驚いて舌を噛む。

「敬士くんは、馬鹿じゃない。いつだって一生懸命で一途だし、俺のことを考えてくれてるんだ。和音がこの人を馬鹿にして、小説のネタにするなんて、許さない」

 力強い言葉に、敬士は舌の痛みも忘れかけた。

 同級生からも、教え諭すべき教師からさえ、敬士は馬鹿だ馬鹿だと嗤われてきた。自分は救いようのない愚か者のような気がした。自虐して貶めて、それをコミュニケーションにしてきたけれど、最終的には自己嫌悪。

 響一に褒められて、今初めて自覚した傷は、敬士の心のほとんどすべてを覆い尽くすように細かく、無数に存在する。

 口元を覆う手のひらは、血すら流れない切り傷に、薬を塗っていくかのように強く、優しい。

 響一と和音はしばらく見つめ合っていたが、不意に和音の口元が緩んだ。

「そっか。最近、響一が変わったのは君のおかげか」

 まだ口を塞がれているので、「オレ?」という反応も、くぐもったものになってしまう。

 和音は敬士にもわかるように、教えてくれた。どうして響一を、音声配信に誘ったのか。男友達ならいくらでもいたし、何なら声優志望の知り合いだっている。それでも彼女は、いとこの響一を選んだ。

「人見知りで、めちゃくちゃいいところあるのに自分なんかって落ち込む癖があったこの子のことが、心配だったのよ」

「和音……」

「でももう、平気みたい。最近はほんと、いろいろ大変だったのよー。美容院にひとりじゃ行けないだとか、服を買うのに着いてきてくれとか」

「和音!」

 ついでに暴露された自身の変身過程に、響一は抗議の一声を浴びせた。

 和音は肩を竦めると、

「でもこの調子なら、一万人記念の生配信はいけそうね」

 と言い放ち、収録部屋へと消えていった。

「まったく……作業に来たなら俺たちに構ってないで、さっさとやればいいのに……あ、和音のことは気にしないで。小説なんかにさせないから!」

 ようやく解放された敬士だったが、動けなかった。

 一万人記念の生配信。それは、鈴ノ音屋のファンとして、念願のものだ。キョウの素顔が知りたい一心で、SNSでファンを増やすべく、地道に宣伝活動を行っていたのも、生配信めあてだった。

 けれど、響一のことを知ってしまった今、敬士は大手を振って喜ぶことができない。

 顔を晒したら、きっとファンが増えてしまう。大学構内で声をかけられるのなんて比じゃないくらい、接触を求められる。

 その中には、響一の好みの女性もいるかもしれない。そうしたら、きっと彼は、付き合う。

 今日はいとこの和音だったからよかったけれど、いつか本当に、彼女と鉢合わせする日が来てしまう。

 嫌だ。そんなの、見たくない。

「敬士くん?」

 黙ったままの敬士を心配した響一が、名前を呼んだ。我に返った敬士は、「何でもない」と言って、再び口を閉ざした。

 当然、勉強はそれ以降、捗ることはなかった。

9話

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